ついてねぇ。

木場は心底うんざりしながら、泣いている娘の横で苛々と舌打ちをした。



あともう少しで惰眠を貪る事が出来たというのに。



木場を嘲笑うかのように、娘の涙と共に時間だけがただ過ぎていく。










黒百合の章












偶然乗り合わせた電車で遭遇した人身事故。

警察官の性か、現場に向かってしまったのが運の尽き。

自殺か他殺か分からぬ被害者の友人で事件の真相を唯一知り得る少女は泣いたまま一向に事件の真相は見えてこない。


地元警察に泣きじゃくる楠本頼子の面倒を押し付けられて、数十分。

全く進むことのない事情聴取と寝不足で煙草の量は増える一方。

慌てふためく駅員を横目に見ながら、木場は溜息を付いた。





「木場さん、あの、目撃者が」

「何!?いたのか?」




先ほど叱咤した福本巡査が息を切らせて走ってきた。

僅かに顔が綻んでる。それもそうだろう。

木場にとっても、事件にとっても、膠着したこの状況で目撃者の存在は大きい。

福本が木場の前に連れて来たのは、喪服姿の若い女だった。

二十歳前後といったところだろうか。





「なんだ、あんた葬式帰りか」

「は、はい・・・・・」



必要以上に萎縮した女は顔を伏せた状態で、顔を上げようとする様子が無い。

この状況では仕方ないだろう。



「お互い運が無ェな。で、事故か自殺か分かるか?」

「私は・・・その・・・あの子が落ちた場所の近くを歩いていただけで・・・・」

「なんだ、落ちる瞬間は見てねぇのか?」

「はい・・・・・・」





思わず出てしまった溜息に、女の肩がびくりと震える。

別にこの女が悪いわけじゃないのだ。ただ、がっかりしただけで。




「福本、手前ェもっとよく確認してから連れて来い!!何年警察やってやがる」

「も、申し訳ありません!」

「ああ、あんたも悪かったな。一応身元を控えさせてもらうぜ。
もう終電が出ちまったが・・・・帰れるか?」



懐から警察手帳を取り出し、間に挟んであった鉛筆を手に取る。

だが女は下を向いたまま黙って動かない。



「あんたの身元、一応教えてくれねぇと帰せねぇぞ。
それとも言えねぇ事情でもあるのか」



冗談半分で言った言葉に、女は必要以上に反応した。

脅えた表情で木場を見る。

その顔を木場は何処かで見たことがあった。









「――――――お前ェ、いや、まさか―――――」










それはほんの一ヶ月ほど前の事件だ。

今日とてその事件の事後処理に追われていた。

忘れるはずも無い。











久遠寺医院から姿を消した少女―――――――











だがあの娘はまだ高校生だった。

薄っすらと化粧を施した顔でもここまで大人びはしないだろう。

身長も少し高く見えるのは何もハイヒールのせいだけじゃないはずだ。




似ているだけだ。




少しだけ鼓動が速まった胸を抑え、そう自分に言い聞かす。






「さっさと名前を言え」









それさえ確かめれば馬鹿馬鹿しい希望も消え失せるのだ。

だが女は木場の予想を裏切って、





です」






木場さん、と付け足された言葉は聞き間違いではないだろう。

とっさに掴んでしまった細い腕は振り解かれることはなかった。






「どうした―――――――どうなってる――――?」


「私にも・・・・・わかりません」











後ろでは少女のすすり泣く声が聞こえる。

目の前には消えたはずの少女が――――『女』になって再び木場の目の前に現れた。







訳が解からねぇ。

どうして成長した・・・・此処・・にいる?





もと居た場所に帰ったんじゃなかったのか?







だが、掴んだ腕は確かにのものだ。









ふと、また会えると豪語した馬鹿な探偵の顔が浮かんだ。