コトン、と日本人なら一度は耳にする音が部屋に静かに響く。

目の前に並べられた料理は普段ならば絶対にお目に掛かれないだろうものばかりで、だからこそすぐさま食いつけないのが恨めしい。

その理由に普段着なれない和服で腹周りが締め付けられているのと、強いられている正座、そして目の前の人物が挙げられた。

先ほどからこちらを見ようともせず、日本庭園を眺めているこの男性の名は大豪院邪鬼。

そしてこの空気よりも空腹の方が辛いと思いながらも、意地になって大豪院邪鬼と同じく口を利かないでいるのが

只今お見合い真っ最中なのであった。











非・Romantic












大豪院方の世話役との両親が同時に席と立ったのは約30分前。

それから五分、十分、経っても向かいの席に座る大豪院邪鬼は口を利く様子もない。

両親に無理やり連れてこられた見合いで、ふてくされていたは邪鬼の様子に少し安心しながらそれでも微動だにしない邪鬼につられて身動き一つ出来ないでいた。

邪鬼の様子からは彼もまた意に添わない見合い話に無理やり付き合わされているのだと推測できる。

も特別に彼氏や好きな人はいないものの、根拠もなく結婚は恋愛結婚と決めているのだから今日の見合い話は寝耳に水だった。

そんなを両親も心得たもので、美味しいものを食べよう、と何故か無理やり和服を着せられこの料亭へ連れてこられたのだった。

普段食べないような美味しいものを、と言われれば朝ごはんぐらい抜くのは人間として当然の心理だと思う。

だからこそは今とてもお腹が空いていた。まるで年中飢えた男子学生のように。

お互いに見合いを勧める気がない同士なら、「じゃ、この話はご破算ということで」とどちらかが言えば話はまるく収まる。

きっとの両親はがっかりするし、向こうの世話役にも申し訳ないが両人にその気がないのはもはや明白。

それでもがそれを言いだせないのは、この大豪院邪鬼の並々ならぬ雰囲気に押されているからだ。




まず、でかい。

確かにとても逞しい方で〜〜なんて母親は言っていたが、そんな言葉では表現し尽くせないほどにでかい。

そして強面の顔に、どっしりと構えたなんだか寒色系のオーラが出ていそうな風格。

これだけで女子高育ちで男性と縁がなかったは萎縮してしまう。

もちろん社会人である今は男性社員とも互角に働いている自覚はあるものの、こういう体育会系の人間はあまり周りにはいない。

いや、目の前の男は体育会系というよりは明らかに格闘系だ。

どこぞの格闘ゲームに出てもなんの違和感もない。





そんな人物に、ごく一般の女性が立ち向かえるものだろうか。

いや、きっと出来ない。

こちらから喋りかければ、あの太い腕がそのままこちらへ向かってきそうなそんな気さえする。

向こうの拒絶は自分の態度よりも更にひどい。なんたって自己紹介の時すら口を開かなかったのだから。

自分でさえせめて自己紹介くらいはしなければ両親の顔が立たないだろうと思ったのに、邪鬼は校長先生のご機嫌を取る教頭先生の如く世話役の人が焦っているのにも目もくれずひたすら庭を眺め続けていた。

両親の話ではかなりすごい人――――らしいのだが、さすがに年長者を足蹴にする行為はいただけない。

どんな人物なのだろうかと、思って小さくため息を吐く。



いや、そんなことはどうでもいいのだ。

見合いなんてどうでも。今の自分はこの目の前の色鮮やかな御馳走にありつけさえすれば。

は腹に力を入れて、口を開いた。




「あのぉ・・・・・・」

「なんだ」


やはり微動だにせず、視線を庭から動かさず邪鬼が答える。


「お腹空いたんですけど、食べてもいいですか?」

「・・・・・・・あぁ、」


やはり妙なことを言ってしまっただろうか。その答えには微妙な沈黙があった。



「ついでに足崩しても?」

「構わん」



今度は即答だった。

実を言えば足も限界だったのだ。

正座なんて、高校の茶道の授業ぶりくらいだ。つまり・・・7、6年ぶりくらい?






足を崩して少しだけ帯も緩める。

これで目の前にはなんの障害もなくなった。あるのは御馳走だけ。






「じゃ、頂きまーす」




そんなまるで自宅の団欒の時のように気の抜けた声をあげたその瞬間から、の前から大豪院邪鬼という人間の存在は消えた。

いや、もちろん居るのだけど、の心の中ではもう巨大な壁に過ぎない。いや、巨神兵のぬいぐるみとでも言おうか。





「あ、この煮物おいしー!ってもしかして鯛?鯛?」



「これ・・・・ゼラチン?桜の形してる〜〜」



「蟹・・・久し振りに食べた〜〜〜」





そんな感想を一人ごちながら、もくもくと食べる、食べる。

朝抜いたのは間違いじゃなかったと思いながら、大好物の刺身をぺろりと平らげる。

でもこういう和食のフルコースで出てくる刺身ってほんの飾り程度のもの。物足りなくて目についたのはもう一人分の刺身皿だった。






「あの・・・・食べないならそれもらってもいいですか?」





今まで巨大なぬいぐるみくらいにしか思っていなかったのに現金なもので、少しだけ甘い声を出して聞いてみる。

邪鬼は少し呆気に取られていたかのように沈黙して、少し間が空いてからすっと大きな手で刺身皿をこちらへ差し出した。

盛られている刺身はさっき胃袋の中へ収まったのと全く同じだけれど、隣の芝生はなんとやら。こっちはこっちで美味しそうだ。






「美味いか?」



その皿も勢いよく胃袋に入れたその時、初めて邪鬼の方から言葉が降ってきた。

その口元は少し上に上がっている。視線もこちらへ向いていて、初めて正面から邪鬼を見た。



「ん、美味しいですよ。意地張っていないで食べればいいのに。私は食べますよ。こんな料理もう二度と食べれないかもしれないし」




緊張するとよく喋る、それは友人に指摘された私の癖だった。

少し早口で思ったことを口にして、そのままの勢いで汁物に手をつける。

30分以上放置されていたお吸い物は当然ながらひやりと冷たく、けれどそれが上昇しかけている喉には丁度良い。

なんというかやはり、邪鬼には言葉で表現出来ない威厳と迫力がある。

どこぞの武道の師範を目の前にしたような、中学の生活指導の先生のような、何も悪いことしてないのに思わずごめんなさいと謝りたくなるそんな雰囲気。

それを肌で感じていて、別段普通の会話をしているのにも関わらず私は緊張していた。




「そうか」



そう頷いて、邪鬼の手が料理の椀に伸びた。

あまりに大きな手は、煮物が入ったお椀を掴み、そしてそのままお椀を口目掛けて傾ける。

中の煮物が邪鬼の口へ吸い込まれるかのように、ごろごろと消えていく。

口いっぱいの煮物を頬張りながら、一言美味い、と呟いた。



「あの・・・・この見合いのことなんですけど」



なんとなく空気が和らいだの感じて、漬物をつつきながら先ほどから頭にあった提案を口にする。



「お互い嫌がってるのは明白ですし、ご破算ということでどうでしょう?」

「ふむ、相違ない」




思った通りの言葉に途端に肩の力が抜ける。



「良かった・・・・じゃあこれで気兼ねなく食べれますね」

はぁ、っと大げさにため息をつくと、

「気兼ねなどしていたか?」

くくっと邪鬼が忍び笑いをした。

その軽口に、もう緊張する必要はないのだと感じる。

「してましたーー!ほら、まだデザートに手をつけていない!」

「デザートだからだろう?」





意地悪そうに笑う邪鬼はそれなりに普通の男性なのだと思わせた。

きっとこういう場での出会いでなかったら、友達くらいにはなれたのかもしれない。

そう思うと少し寂しい気持ちもしたが、それを押し殺して軽口を返す。

”貴方とはお付き合いできません”と互いに言い合った仲なのだから、今日この場が終わればもう会うことはないだろう。






「どうした?」

「あ、いえいえ、なんでも・・・・大豪院さんってなんでお箸使わないんです?」





今の気持ちをごまかそうと思って、なんとなくさっきから思っていたことを口にする。

それは邪鬼が先ほどして見せたように、なんでも箸を使わずに直接口に放り込んでいるのだ。

お世辞にも行儀がいいとは言えない行動だ。






「割りばしだろう・・・・だからだ」

指摘されたくないことだったのだろうか、少し歯切れ悪く邪鬼が言う。

「割りばし?割りばしが嫌い???」

「違う、持てば折れるのだ」

「はっ?折れる?」


邪鬼の言葉に意味がわからず自分の手の中の割りばしを見る。

角が丸く削られた所謂結婚式などで使われる少し高級な割りばしというよりは木の箸だ。

言葉では理解出来ないと思われたのだろう。邪鬼が箸を持って皿に近づく。

一個100円以上はするだろう高級梅を掴もうとしたところで、邪鬼の手の中のお箸がぼきっと音を立てて折れてしまった。





「え?何??馬鹿力??」

「木の箸は使えん」

「もしかしてずっと食事に手をつけなかったのは、お箸が折れちゃうの分かってて使えなかったから?」

「・・・・・・」



無言の沈黙は肯定だった。

決まり悪そうにそっぽを向く様はまるでどこぞの少年のようだ。

お腹の底から笑いが込み上げる。止められるはずのないこの衝動はお腹から口へ一気に突き抜けた。




「あっははっ!!ちょ!だったら早く言って下さいよ!そうすれば私ももっと早く食べれたのに〜〜〜」

「どう、言えばいいのだ」

「確かにそうだけど・・・・ああもう、大豪院さんのせいであったかいお吸い物が飲めなかった!!」

「むっ、笑うな」

「見かけを裏切らないですね!!むしろそのまんま!?」




止まらない笑いはウイルスのように目の前の邪鬼にも伝染する。

互いに笑い合ってしばらく軽口を叩き合う。なんだか同窓会で久しぶりに会った友人と話しているような、そんな空間。

もう少し此処に居てもいいかもしれない、そう思い始めていた時何処からともなく時計の鐘のような音がした。




「もう、時間だな」



そう言った邪鬼が少し残念そうに見えたのは気のせいだろうか。

その言葉に我に返って、座布団の上からさっと身を引く。足を楽にしていたおかげで痺れもない。


「本日はありがとうございました」


形ばかりの礼をする。邪鬼もそれに合わせて軽く一礼した。





「じゃあ、・・・・・さようなら」



そう言って部屋を出ようと障子に手を掛ける。

するとその障子に大きな影が出来た。邪鬼の手が、障子の縁のの手の少し上に添えられている。





「また、会えないか?」





頭の上から降ってきた声。

それはきっと私も望んでいた言葉だった。

だから驚いたものの、間も開けずに答えることが出来た。




「じゃあ今度は・・・もっと気軽な場所で」





そう言うと、彼も全くだ、と頷いた。

心の中で小さな波紋が起こる。それはきっと、

新しい出会いの喜びの旋律。

































影慶は柄にもなく緊張していた。

もうそろそろ邪鬼が帰ってくる。本家に強いられた見合いに顔を出して機嫌が良かった試しがない。

邪鬼にその気がないことをいい加減本家も察してくれないかと思うのだが、あちらにはあちらの事情がある。

天動宮にこれから訪れるであろう氷河期とも言える邪鬼の冷気に果たして三号どもは耐えられるだろうかと影慶は窓の外を見つめていた。


やがて黒い影が見える。出迎え役のくじを引かされたのは卍丸だ。

また調子良く余計なことを言わなければいいのだが、それは叶わぬ願いに思えた。






「帰ったぞ」


ドスのきいた声が響いた。

影慶は腹に力を入れ、身体を直角に折り曲げた。


「お帰りなさいませ」

「ああ」


邪鬼のその声を聞いて、影慶は おや? と思った。

もしやと思って後ろに控えていた卍丸を見れば、にやにやと笑っている。

どうやら機嫌を損ねてはいないようだ。むしろ良い、ように感じる。




「影慶、来月頭の週末の予定はどうなっておる?」

「はっ!今のところ予定は入っておりませんが・・・・」

「そうか。ではそのまま開けておけ」

「畏まりました」







邪鬼に向かって、見合いはどうでした?などと聞けるはずもない。

いや、もしかしたら卍丸は聞いたかもしれない。

だがやはり影慶にはそんな出過ぎた真似は出来ない。

そんな風に従順していると、邪鬼が誰が飾ったかもわからないカレンダーを見ながら

「今月の仕事は全て終わらせなければな」

と呟いた。








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