「お休みなさい、左陣さん」



そう言って妻が鼻先にキスをする。

それは最近得た安らぎの時間・・・・・のはずだった。










夫婦:夫の葛藤・妻の杞憂












いつもは左陣の利き腕である右腕を枕に眠るが今日は左側にいた。

それは昼間右腕に負傷を負った狛村を気遣っての事。

いつもと違う感覚に違和感を感じながらも、すやすやと眠る妻に目を細める。









――――儂はこの娘に惚れたのか









いつもと違うのは寝る場所だけじゃない。

左陣が己の想いを自覚してしまったが為に生じた違和感。

昨日の”少し仲が良いが形だけの夫婦”から”妻を想う夫”にと立場が変化してしまったのだ。

言うならば”惚れた女と床を共にしている”わけで。

落ち着かないのは雄として当然のこと。










欲しいならばすぐにでも抱いてしまえばいい。

そう思う。

は他の男の女でも全く知らない女でもない。己の妻なのだ。

求めればこの娘は拒絶しないだろうと思う。

無論、昼間卯の花に宣言した通り、の意志無くして抱くつもりなど毛頭ない。





――――――この身体が化け物でなければすぐに抱いたものを






こんなにも獣である事を疎ましく思ったことなどない。

腕の中で眠る存在をこれほど愛しいと思ったことも。








――――――儂は変わったのか。否――――





変えられたのだ。この小さな娘に。

その笑顔に。

愛しいと。誰よりも愛しいと思うからこそ抱きたいと思うのに。

それ以上に傷つけたくない。

脅えさせたくない。








―――――あの瞳に恐怖が写るのを見たくはない。












臆病になったものだと、狛村は静かに目を閉じた。

腕の中で眠る妻の鼓動を感じながら――――























ふと意識が浮上して目を覚ましたのは深夜だった。

壁の時計に目を凝らす。二時半過ぎ。

夫が目を覚まさぬようゆっくりと身体を起こす。

障子の隙間から月明かりが洩れている。

それに誘われるようには廊下に腰を下ろした。








「綺麗な月・・・・」








雲一つ掛からない月に目を奪われる。

夜だというのに月明かりだけでこんなにも明るい。

出来ることなら左陣と見たいと思った。

いつからそう思うようになったのだろう。

今は結婚して良かったと本当に思っている。







昼間左陣の負傷の知らせを聞いた時。

怖かった。

身体が震えた。

失いたくないと思った。






優しい、優しいあの人を。







愛しているのか、恋しているのか。

それは分からない。ただ傍にいたい。

触れたい、触れられたい。







もし左陣に請われたら拒みはしないだろうと思う。

は左陣の身体が何処まで獣で何処まで人間なのか知らない。

それでも構わないと思っている。





だって左陣に抱かれるんだから。









ただ左陣はをどう思っているのかわからない。









『儂は貴公に触れぬ』


昔言われた言葉。



の意思を無視するつもりはない』


昼間聞いた言葉。









夫に心境の変化はあったのだろうか。

少しは自分を求めてくれていると思っていいのだろうか。











――――――愛していると言ったら応えてくれるろうか?












・・・・どうした」





その声にハッと振り向くと、開けっ放しだった障子の間から夫が身体を起こしているのが見えた。

夜目なのか、月光に反射し猫のように微かに目が光っている。




「ごめんなさい、起こしてしまいましたか」

「否、眠れぬのか」

「少し・・・あまりに月が綺麗だったもので」




腰を上げて蒲団へ戻る。

上体を起こしている左陣の首に巻きついて、頬に口付けた。





「身体が冷えているな」

「じゃあ・・・・温めてください」




密着したまま今度は口元に口付けた。

左陣の動揺が身体越しに伝わる。













このまま夜が明けなければいいと思った。












次へ