カチカチと時計の音が耳を割く。



震える指先を嗜めて夜の街を一人歩いた。












沈丁花怪奇談













夏とはいえ夜は冷える。

今のは榎木津と関口に買ってもらった綿のズボンにTシャツ姿。

何度考えてもあのままあの場所に居る気にはならず、榎木津達が寝入った頃を見計らい半ば家出同然で手荷物だけ持って出て来てしまった。

洋服だけ買ってもらってこれじゃなんだか詐欺みたいだ。

自嘲気味に空を見上げる。

三日月とも言えない不細工な月が夜空にぽっかりと浮かんでいた。










(これからどうしよう・・・・・)








どんなに時間が経っても声は出ない。

この世界、この時代にいる限り元には戻らないのだろうか・・・

もう此処に来て二日が経とうとしている。







(公園にでも行こうかな・・・・)





お金が無い以上、今夜はそれしかないだろう。

小さい頃は家を抜け出して、何処か遠くへ行きたいと夢見ていたけれど。


今はあの冷たい家に帰りたくて仕方が無い。






とぼとぼと歩いていると、やがて小さな公園が見えた。

手入れはほとんどされてなくて、公園というよりただの野原のようだ。

中央に錆びれたブランコと滑り台がポツンと立っている。

二つ下がっているブランコの一つに座ると、キィと軋んだ音がした。










「おい、お前そこで何してんだ!?」









自分以外誰もいないはずの公園で怒鳴り声が聞こえた。

慌てて顔を上げると、背広を着た大柄の男性が入り口に立っている。

首元はネクタイが緩められて、その表情は強張っていた。





「聞こえてんのか、コラ。何やってんだって聞いてんだよ」





返事をする間もなくあっという間に目の前まで近づいてくる。

ブランコから立ち上がったものの、逃げるにも逃げれない。

眉を吊り上げ、背広の中に手を入れた男性は内ポケットから黒い手帳を取り出した。






「安心しろ、警察だ。てめぇみてぇな餓鬼がこんな夜更けに何してやがる?」






どうやらこのヤクザ風の人は警察の人らしい・・・・そう言われてみればそんな感じもする。

けれど今この状態で警察に連れて行かれるのは多分、非常にまずい。

この世界では身分証明する術が無い。






「その風体じゃ客引きか商売女ってわけじゃなさそうだな」


じろじろと値踏みするように見られて思わず顔を顰める。

ブランコの脇に置いておいた鞄をそっと手にとって、男の隙を窺う。

―――――逃げるしかない。




そう思い相手を下から見上げる。

街灯の逆光を受けて、男は更に大きく見えた。






何も言わない事に業を煮やしたのか、やがて男の手が伸びてきた。

慌てて逃れようと手を振り払うが、その大きな手にあっさりと捕まってしまう。

もう片方の手で腕の中の鞄を奪い取られ、完全に逃げ場を失くした。






「安心しろ、別に盗りゃしねぇよ。こちとら取調べで疲れてんだ。
何も言いたくなけりゃ、この辺の駐在所にお前ェさんを引き渡すだけだ。
それが嫌なら、さっさと名前と住所言え。送ってやる」



どうやら本当に良い人らしい。

もちろん住所なんてものはないし、だからと言って交番に行くのも嫌だ。






この時点で私に選択支なんて残っていなかった。








ああ、また振り出しに戻るんだ。









そして私は綺麗に折りたたまれた紙片を胸ポケットから取り出した。















「・・・なんだ、そりゃ」

差し出された紙を見て、男の人はしばし間を置いてからそれを受け取った。

中を読むなり、みるみる内に男の表情が変わる。





「おい、てめぇ、なんだ?京極堂となんの関りがある!?」


少し興奮気味に私に顔を寄せる。思わず一歩下がる。


「あぁ、驚かすつもりじゃねぇんだよ。ただな・・・」


私の様子に怖がらせたと勘違いしたようで、男はガシガシと短髪を掻き毟った。

気を落ち着かせるようにネクタイを首元から抜いてポケットに突っ込む。。



「この中禅寺ってのは俺の古いダチなんだよ。あいつんとこの親類なんざ見たことねぇが・・・・兄弟はいなかったな。お前ェさん千鶴さんの親戚か?いや・・・・実家は確か京都だったよな。 おい、いい加減なんとか言いやがれ」






そう言われても頭が回らない。

さっき京極さんの知り合いだと言わなかっただろうか?



今度はこっちが驚く番だ。

頭の中で様々な単語が飛び交い、一本の線となる。






警察・京極堂と古い友達・この風貌・立ち振る舞い・話し方―――――・・・・・



















予測は間違っていないと思う。

逃げてきたはずなのに、逃げられない。

これで主要人物全員と会ってしまったことになる。













皮肉な事に京極堂の渡したメモはその役目を忠実に果たしてしまった。











木場修太郎の登場―――――・・・・・・・・








そして私は彼と共に二度目の京極堂を訪れることとなった。