悲痛な叫びに気が遠くなる。




世界が色を失った。











沈丁花怪奇談












誰かに呼ばれた気がして目を覚ました。


ゆっくりと瞼を開くと、そこは色を取り戻していた。





「・・・きょ・・ごく・・・」




真新しいシーツと消毒液の匂い。

そう、ここは病院だ。呪われた久遠寺家。









「目が覚めたかい」

「京極堂さん!?」



その声に意識が覚醒する。

名を呼んだ人物がいきなり傍にいたことで、頬が熱くなった。





「いきなり起きない方が良い。水を貰ってこよう」


京極堂が立ち上がった。警察官の一人に何かを告げている。

見れば黒衣の陰陽師服ではなく、いつもの着流しに着替えていた。

ちゅんちゅん、と小鳥の鳴き声がする。太陽が高く昇っていた。




「今・・・・何時ですか?」

「丁度11時だ!ちなみに関猿の呆けはまだ冬眠中だぞ!
姫もあの間抜け面を見るがいい!!」




大声がして振り返ると榎木津がすぐ後ろに立っていた。

機嫌が良いのか悪いのかわからない。

木場が今にも怒鳴りそうな表情で榎木津を睨んでいる。






「礼二郎、手前ェは黙ってろ。じゃなきゃ関口を起こせ」

「おお、そうだな。いくらなんでも寝すぎだ、この三年寝太郎!」

「乱暴な真似はよして下さいよ、榎さん。君」




呆れ顔で帰ってきた京極堂に水の入ったコップを渡される。

井戸の水だろうか・・・・冷たくておいしい。

改めて部屋を見回すと、私服の警察官(多分青木と木下だろう)とお巡りさんが数名居た。

久遠寺家の人間は誰も見当たらない。梗子さんはどうなったのだろう。






「ぎゃあ!痛いよ、榎さん!」

「五月蠅い!いつまでも寝ているからだ!」




突然、部屋の隅で関口の叫び声が聞こえた。

榎木津が関口の首に腕を掛けている。

多分プロレスでいう十字固め。かなり痛そうな具合だ。




「痛いィィ!!」

「おい、この馬鹿止めろ!現場で何してやがる!!」

「はっはっは!!辛気臭い場なぞうんざりだ!これも警察が能無しだからだ!」

「んだと!喧嘩売ってやがるのかこの野郎!!」

「京極堂さん・・・梗子さん・・いえ、涼子さんは?」




騒ぎを尻目にもう一度辺りを見回す。やはり女は見当たらない。

京極堂は空になったコップを受け取ると、顎に手を当てた。




「梗子さんは病院だよ。無論、こことは別のだがね。
涼子さんや院長は別室だが―――警察の事情聴取には黙秘しているらしい」

「これから・・・・どうなるんです?」

「木場の旦那が煩いからな。少し話す必要があるようだ。
上手くいけば君も帰れるだろう・・・・約束は出来ないがね」







角ばった手で頭を撫でられる。

涙が零れそうになって、鼻を啜った。







「やっぱり・・・わかってたんですね・・・私の事」

「僕などに君に関して解ることなど何一つないよ。
ただ君の意に反して無理矢理連れて来られただろう事はわかる。
それがあの女の呪いの一つだということもね」

「帰れる・・・・でしょうか?どうやって・・・・・?」

「全てはこれからだ。君はただ見ていればいい。
それが久遠寺涼子に割り当てられた君の役割・・・・なのだから」







もう一度私の頭を撫でて―――――京極堂は立ち上がった。

殺伐とした雰囲気を纏う彼に榎木津達の馬鹿騒ぎが止む。

木場はいち早く京極堂の元へ歩み寄り、陰陽師を見据えた。







「おい、京極。やっと説明する気になったか」

「警察が有能ならば僕の出番などなかったんですがね」

「こんな奇怪な事件は他にねぇよ。あの死体は何処から出てきた」

「そうだ!京極。あれは一体――――」



横から関口が口を出す。その様子に京極堂は溜息を付いた。



「やれやれ――――あれだけの演出でも君の呪いはまだ解けないのかい。
藤牧はね、最初からずっとあそこで死んでいたんだよ」



関口が目を見開いた。

誰も彼の言っていることが理解出来なかったに違いない。



「藤野牧郎さんの死体は死んでからずっとあの部屋にあったんですね・・・・」



少し前まで藤牧の死体があった場所を見ながら、呟いた。

その声を拾ったのは関口。


「ちょっと待て!僕は死体なんて見なかったぞ!え、榎さんだって――――」

「僕は見たぞ。あんな気味の悪い物を見たのは初めてだ!」

「榎さん!?だってそんな事は一言も―――・・・」

「言ったじゃないか。さっさと修太郎を呼べと」

「あ、あれは・・・・・」



そういう意味だったのか、と関口は声にならない声で呟いた。





「久遠寺家の人間と―――関口には藤牧の死体が知覚出来なかったんですよ。
あの日榎木津が藤牧を見つけなければおそらく完全犯罪が成立したに違いない」

「殺したのは誰だ!」


木場の怒声が響いた。辺りに緊張が走る。



「梗子さんですよ。だがそれを操作したのは涼子さん――――あなたですね」





京極堂の言葉に部屋の扉が開いた。

そこには真っ白な着物を着た久遠寺涼子が姿勢良く立っていた。






「りょ、涼子さん!」

関口が叫ぶ。

「まぁ。一体何を証拠にそんな事を仰るのでしょう、貴方は」

凛とした声が部屋に響く。京極堂を相手に脅えた様子はまるでない。

「まずは梗子さんの想像妊娠です。そしてケチビだ。」

「ケチビ・・・・・」




じりじりと京極堂が涼子ににじり寄る。

誰も動けない。

まだ昼間にも関わらず、久遠寺医院だけは黒雲に覆われたように暗かった。




「貴方は梗子さんが想像妊娠である事を知っていましたね?
彼女が藤牧に愛されている証拠を欲したことを――――
だから貴方は子供与えたんだ。産まれるはずのない子供を」


「それが赤子失踪事件か!」

木場の怒声が響く。

だが、涼子は笑っていた。



「貴方は梗子さんで試したんだ・・・・・
呪われた久遠寺家の習慣がまだ生きているかどうか」

「―――呪われた習慣?」







「子殺し」





それは呪いの言葉と同義だった。

涼子の肩が僅かに揺れた。

それを京極堂が見逃すはずはない。








「ケチビの本当・・の正体を教えて差し上げましょう」