の女が必要だ。

私の隙間を埋める為に。

匣を用意しなければ。

の女を手に入れる為に。





ああ、の女が欲しゐ。









黒百合の章









「御筥様――――ですか?」




聞きなれぬ言葉がカストリ雑誌『實録犯罪』の編集者から飛び出し、は首を傾げた。



「そうなんですよ、おはこさまって言ってね。これがまた胡散臭いんですよぉ」



関口と一緒に京極堂を訪れた鳥口という男は、出された出涸らしの茶を一気に飲み干してそう言った。

もう秋だというのに、びっしょりと汗をかいている。


「この場所は魍魎に取り付かれている!さぁ御祓いだ!ってな具合に建物やらなんやらを御祓いして回って、その上穢れた財産を全部差し出せって言うんですよ。とんだペテン師だ」


鳥口は御筥様の真似なのか、ブンブンと両手を振り、祈祷しているような仕草を見せた。



「それでどうして僕の所へ来るんだい、それも関口君まで一緒に」



その仕草に苦笑すると関口を横目に、京極堂はまるで目線をくれずにそう言い放った。

途端に関口は下を向き、鳥口は気まずそうに頭をかく。



「で、その御筥様が、どうしたんです?」



助け舟を出すつもりで、は鳥口に聞いた。

確かこの鳥口という記者は関口と最近関東を揺るがしているバラバラ殺人事件を追いかけていたのではなかっただろうか。

それが何故急に宗教の話なのか。その先がは気になった。



「こりゃあ僕の秘密筋からの情報なんですが、どうも例のバラバラ殺人事件の被害者、いや、正確には被害者の家族はこの御筥様の信者らしいんですな」


鳥口が取り出して見せたのは、四人の被害者の資料と、御筥様の信者の名前を連ねた書簡だった。



「どうです、これ、ちょっと気になるでしょう」


見れば確かに身元が断定された2人目と4人目の少女の親の名前が名簿に連なっている。

家族構成、職業、住所まで記されているのだから疑いの余地はない。





「依然中禅寺さんにお話を伺った時は宗教家と超能力じゃあペテンの種類が違う、とかペテンか否かってなお話でしたが、殺人事件となればもう、こりゃペテンどころの話じゃない。そうでしょう?」




少しばかり自慢げに鳥口は、京極堂を見る。

さらに話は続いた。




「今年に入って起こった失踪事件73件の内10件が御筥様の信者でした。
更に警察がバラバラ殺人事件の被害者であるとしている少女は13人。
その内の7件が御筥様の信者なんです」



先ほどの軽い態度とは打って変わって、まるで京極堂の反応を伺うように身を乗り出した。



「武蔵野バラバラ殺人事件には御筥様が関係している。君はそう考えているのだね?」

「そうです。つまり僕は霊能者ではなく犯罪者として御筥様を摘発したいんです」

「いいだろう、くわしい話を聞こうじゃないか」





珍しく、京極堂は乗り気になったように手元の本を閉じた。

鳥口も張り切って資料をあれこれ茶色に煤けた鞄の中から取り出す。






君」

「は、はい!?」




その二人の迫力に圧され、黙っていたは突然名を呼ばれて慌てて京極堂を見た。





「すまないが、お使いを頼めないかい?煙草が切れたようだ」

「あ、はい!行って来ます」







これから先の話を聞かせたくない、京極堂に暗にそう言われたことに気付いたは素直に小銭を受け取った。

煙草を買うには少し多めの小銭が手の中にある。

見れば千鶴子の姿も無い。これはしばらく時間を潰していた方がいいのだろう。




「気を付けたまえよ」

微笑みながらそう言う京極堂に

「もう子供じゃないんですから」

と言えば、そういえばそうだったね、と言葉が返ってくる。

「お二人はそんなに昔からお知り合いで?」

と聞いてきた鳥口に軽く会釈をし、榎木津に贈られた靴を履いては外へ出た。













眩暈坂を下れば、あの・・煙草屋がある。

再び京極堂に居候するようになって、一週間。は何度かこの煙草屋を訪れていた。

顔見知りのお婆さんが今日はいるだろうかと思いながら、トントン、と店の小さな出窓を叩く。

けれど反応はなく、出窓の横に小さく「休憩中」と書かれた紙が貼ってあった。





さて、ここで買えないならしばらく歩いて別の煙草屋に行かなければならない。

もしかしてこのことも京極堂はお見通しだったのかと思いつつ、はもう一軒の煙草屋へと向かった。

こういう時、やはり自販機がないのが不便でならない。

いや、この不便があったからこそ未来の発明家か商売人が自販機というものを思いついたのだろう。

平日の昼間、そんなどうでもいいことを考えながら歩いていると、ふと川の傍に背広の男が立っているのに気付いた。







・・・・・?







何か違和感を感じる。

まるで新品のような黒の背広にネクタイ。

髪はオールバックでびっちりとポマードで固められている。

手には眩しいほどの白い手袋。




こちらの視線に気付いたのか、男は笑いながらゆっくりと近づいてきた。

ひょろりと背が高く、細身の男の顔は驚くほどに青白い。





「こんにちは」

「こ、こんにちは」




敵意がないことを示すように、男は1メートルほど距離を取ったところで立ち止まった。

会釈をされ、慌てて頭を下げる。



「少し道に迷いまして・・・少々お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、私でよければ」





男に不気味なものを感じていたは、その言葉にほっと胸を撫で下ろした。

聞かれた店の場所はも知っている店で簡単に店への道順を説明する。

男は聞いているのかどうか分からない曖昧な相槌を打った。



「――――で、その角を曲がって、その先です」

「ああ、ありがとう助かりました。ところで・・・以前何処かでお会いしたことはありませんか?」

「え―――?」



相変わらず微笑みを絶やさない男はそう言われ、は違和感の正体を知った。

そう、どこかで、見たことがある気がするのだ。この現実味の無い男を。

まるで何処か切り離されてしまった世界に存在しているかのような、この虚無の男を。






「いえいえ、お気になさらずに。妙な事を申しました」

「いえ、私も以前何処かでお見かけしたような――――?」



そう言うと男は、その青白い顔の口端を上げた。



「そうですか。じゃあきっと何処かで会っているのでしょう。では私はこれで」

「あ、はい」




そう言って男は白い手袋に覆われた手を差し出してきた。

それが握手を求めているのだと気付いたは、おずおずと手を差し出す。

男がぎゅっとにの手を握り締め、そのあまりの強さには一歩身体を引いた。






「これは失礼。では」







男はの手を開放し、あっという間に昭和の町並みの中に消えていった。

町は静かで、ガタンッガタンッと川沿いに敷かれた線路の上を走る電車の音がよく聞こえる。








「・・・・・・あっ」

















―――――何故かとても匣の中身が気になった。














あの時の、
















あの人も私と同じように、あの匣に興味を持つのだろうか?

















あの電車ですれ違った、あの男。




体中の体温が一気に冷めていくような、そんな感覚には襲われ、思わずしゃがみこんだ。


どうして、こんなにも動揺するのか、それすらも分からない。



あの、匣の中には何が入っていたのだろうか?

あの手袋の男は匣の中身を見たのだろうか?





箱、匣、筥。





「お、はこ・・・さま・・・」





意識が遠のくのを感じた。

瞼を閉じたその裏に見たのは、匣の中で笑う見たことも無い少女の顔だった。








































ああ、の女が必要だ。

私の隙間を埋める為に。

私のことを覚えていたあの、女の為に。



匣を用意しなければ。

の女を手に入れる為に。





ああ、の女が欲しゐ。


ああ、の匣が欲しゐ。