居間に揃った三人の顔を、見詰めて思った。 ああ、また来てしまったのか、と。 ――――――ああ、私は帰ってきてしまったのだと。 これまで起こった事を、どう話したら良いかなど分からなかった。 正直に言って信じてもらえるのだろうか。 前にこの世界へ来てしまった時には、隠していた事実。 京極堂と榎木津さんは気付いているかもしれない、真実を。 私はこの時代の人間ではなく、まして世界が違うのだと。 この場には木場がいる。 下手な嘘はつけないし、つける自信がない。 真実を覆い隠して、これまでの経緯を話すことなど出来そうになかった。 元々話術には長けていない。 ふぅっと息を吸い込む。 心臓に手を当てる。どくん、どくんとうるさ過ぎる程鼓動している。 生きている、のだ。私は今此処で、呼吸をし、心臓を動かしている。 ―――――覚悟を決めよう。 「これから話すことは、ほんとうのことです」 そう切り出したに京極堂と榎木津は何も言わなかった。 ただ木場だけが訝しげな顔をしている。 「なんでぇ、その、」 「旦那」 の言葉の意味を問いただそうとした木場を京極堂が遮った。 その表情は厳しく、木場は額に皺を寄せる。 「まずは君の話を全て聞いてからだ」 「話を遮るなど野暮は無しだぞ、豆腐頭!!」 「あん?おい、礼次郎手前ェ――、」 言葉は続かなかった。 二人の様子から木場は察した。 これからが話す事は、この二人は既に承知であるのだと。 木場はぎしり、と奥歯を噛み締めた。 本当ならば怒鳴り散らしてやりたいところだ。 警察が、自分が、必死になって捜していた真実を、この京極堂の居間という世界にいる自分以外の人間は知っているのだ。 この こんな屈辱があるだろうか。 あの巨大な匣の中でも、木場の知らない何かがきっと起こっていたのだ。 柚木加菜子が消えて一週間が経っていた。 まだ少女は見つからない。 あの そして動けぬ少女を抱きながら、真実に辿り着けぬ木場を嗤っているのだ。 そんな錯覚すら覚える。 木場は怒りに己の拳をちゃぶ台の下で握り締めていた。 木場の様子に気付いたは、それでも次の言葉を紡ぐ事しか出来ないことを知っていた。 覚悟はもう決まったのだから。 「初めて関口さんに会った日、私は自分の家から学校へ行く途中でした。 いつものようにコンクリートの二階建ての煙草屋を曲がって、学校に着くはずでした。 けれど、目の前に在ったのは眩暈坂だった。そして振り返った時見えたのは木造一階建ての煙草屋でした」 「道に迷うはずのない通い慣れた道のはずなのに・・・・・私は慌てました。 慌てて、どうしたらいいかわからなくなって、そこで関口さんに声を掛けられたんです。 けれど説明しようと口を開いても・・・・声は出ませんでした」 「 昭和という時代を、私は知識と映像でしか知らないんです。 そして理解しました。私は過去にいるのだと。私の暮らしていた世界は、 「何故、その言葉ばかりが私の頭を支配しました。 けれどどんなに考えても答えなど出るわけがなかった。 真実は京極堂さんが暴いてくれました。そして私は私の日常に戻った――――はずでした」 「久遠寺家で最後に皆さんに会ったのは四年前のことです。 私は22になりました。そしてつい先日―――――母が死にました。 母の葬儀に出席した後、私は一人になりたくて父を置いて一人で電車に乗りました。 そして降りた駅は自分の記憶している駅とは違い古くて、どこか昔懐かしい気がしました。 私の知る町並みとは違う、けれど住所が同じ場所で私はやはり迷いました。 そこで伊佐間さんという方にお会いして、信じられない言葉を聞きました」 「私の世界には決して存在しない『京極堂』を伊佐間さんはさも知っているかのように言うんです。 確かめずにはいられませんでした。そして私は再び京極堂を訪れました。 そして今私は 全てを一度に話した後、は喉の渇きを覚えて出されたお茶を一気に飲み干した。 京極堂と榎木津は身じろぎ一つしない。 木場はなんと言っていいかわからず、自分以外の誰かの出方を伺っているようだった。 しばしの沈黙の後、京極堂が口を開いた。 「よく話してくれたね、君」 京極堂はひどく穏やかな声でそう言った。 それに焦った木場が割って入る。 「おいおい、ちょっと待て。納得してんのか手前ェらは!!」 「納得も何も、彼女は事実を話したまでですよ。それを我々は聞いていただけだ」 「おかしいだろうがよ!俺には何がなんだかさっぱりだぜ!! 俺はてっきりこいつの口から久遠寺事件の真実が聞けんのかと――――」 今にもちゃぶ台をひっくり返しそうな木場に、は下を向いた。 京極堂の不機嫌な額に更に皺が増える。 榎木津はまだ動かない。 「旦那、誤解してもらっちゃ困る。彼女は事実を話したまでだ。真実と事実は違う。 同じにしてもらっちゃあ困るね」 「あん?同じだろうが、何が違うよ!俺は 「違うよ。全く違う。事実とは実際起こった出来事、現象を指す。 対して真実とは物事の真理だ。真如なんですよ。そこにある世界が違えば真実は異なる。 対して事実は事実でしかない。誰が見ても等しく平行なんですよ」 「手前ェの説教聞きに来たわけじゃねぇんだよ!!」 耐え切れず木場は思い切りちゃぶ台を叩いた。 の身体が震える。榎木津はそっとの手を握った。 「やれやれ困った人だ。旦那はもう知っているじゃないですか。 事実と真実は必ずしも一致するものではないと。 藤牧を殺した凶器の件を旦那はもう忘れてしまったんじゃあないですよね」 「ああん?」 「そこに存在するはずの死体が、関口や涼子さん達には見えなかった。 対して我々には見えた。そのからくりはもう説明したでしょうに。 僕は二度も三度も同じ説明をするつもりは毛頭ありませんよ」 京極堂の言葉に、木場は頭を回転させた。 世界が、世界が違っていたのだ。 関口と涼子達には見えなかった死体。 彼らの世界にはそんなものは存在しなかった―――してはいけなかった。だから あの夏の暑い日、黒衣の男はそう言った。 会得など出来るはずはなかった。 けどその言葉で納得することでしか刑事である木場は事件を終わらせることが出来なかったのだ。 「関口には死体が見えなかった。それが関口の真実だ。 だが死体は存在した。それが事実。実際に起こった現象、現実だ。 事実は誰にでも等しく並行するが、真実は必ずしも一致するものではない」 「 「そうです。真実は時として抽象的な形を取る場合もある。 そうした場合、旦那が望んでいるような形で証拠は見つからない」 木場はを見た。 も逸らすことなく、木場を見つめる。 「俺には理解出来ねぇことだらけだが・・・・」 木場はガシガシと頭を掻いた。 そしてその腕での頭の上に手を置く。 「ごちゃごちゃと余計な事考えるのは苦手な性分でな・・・俺がお前を信じる、それでいいか」 木場がそう言うとは笑った。 それは木場にとって忘れることが出来ない夏に見たあの笑顔と同じものだった。 |