幸せな夢を見る。 居間に置いてあるソファーに座り私が小学校で習った歌を歌うと、手を叩いて笑う母。 それをBGMにご機嫌な様子でビールを飲みながら野球中継を見る父。 家族皆で笑い合う、それはどこにでもある当たり前の幸せ。 それはもうどこにもない、当たり前だったはずの幸せ。 ああ、いつから母と居る時の私は笑わなくなってしまったのだろう。 きっかけは本当に些細なことだったように思う。 中学三年を迎えた頃から、母はことのほか勉強しろとやかましく吠えるようになった。 もちろんそんな言葉など聞く耳持たない。 右から左へと流れる騒音は家中に響き、その度に私は自分こそ田舎の高校しか出ていないくせにと心の中で毒を吐く。 高校受験を終えても次に待つのは大学受験。そしてその後には就職、と人生は終わることを知らないリレーのようで。 その度にこの騒音を聞かなければならないのかとうんざりし、自然と居間のソファーに腰掛けることもなくなった。 家族の会話は自然となくなり、話す話題となれば私をいらつかせる内容ばかり。 その度に部屋のドアを乱暴に閉めて、ヘッドフォンで耳を塞ぐその有様は私だけではなかっただろう。 きっと思春期の子供を持つ家庭ならば何処にでもある風景だったのだ。少なくとも私はそう信じて疑わなかった。 母が死んだ。 その事実は私になにももたらさなかった。 喪失感のようなものはあったと思う。だが友人が心配するほど悲しんでも落ち込んでいなかったように思う。 あるがままの現実をあるがまま受け止めた、目の前にあるのはもう母の魂が宿っていない抜け殻なのだ、そう、それだけだ。 私は今、夢を見ている。 走馬灯、そう呼ぶのが一番相応しいのだろう。 様々な記憶のかけらが流れては消えていく。 幸せだった頃、あるいは不幸せだった頃の思い出がばらばらになったパズルのように私の中で散らばっている。 その中にはあり得るはずのない記憶も混じっている。 小説の中の人物の出会い。それはまさに青天の霹靂だった。 自分がどれだけ矮小でくだらない人間だったかを思い知らされる、そんな人達との出会い。 そして悲しい女性との出会い―――――――久遠寺涼子。 私は今、箱の中にいる。 この箱は、私を護るものなのだろうか。 それとも私を閉じ込める為の堅牢な壁なのだろうか。 箱の中には私がいる。 いや、そもそも匣とはなんだろうか。 箱とは何かを中にいれる入れ物。 ならば、空の箱はなんの為に存在するのだろうか。 箱、函、匣、ハコ、はこ。 思えばこの世界に私を連れてきたのもハコだった。 電車という巨大な箱。 そして私を受けいれ収めた”京極堂”という箱。 箱、函、匣、ハコ、はこ。 母を納めた ああ、そうか。 ようやく合点がいく。 私が入っているこの箱は柩なのだ。母や、久遠寺涼子が入っているハコ。 目を閉じればいい。それで全てが終わるのだ。 ――――――――――それでいいのか? 誰かが嘆く。 ――――――――――それでいいのかい? 誰かが問う。 ――――――――――いいわけないねぇだろ!! 誰かが叫ぶ。 ――――――――――この大バカ者!!! 誰かが怒る。 ――――――――――目を、覚まして。 誰かが言う。 頬を撫でる感触の柔らかさに思わず、ゆるりと瞼を開けた。 その時の衝撃を、なんと表現したらいいだろう。 最初はなんだがわからなかった。 そう、あれだ。昔、人形で遊んでいた時、近所の男の子に人形の腕を取られてしまった。 あの時の人形みたいな。 簡単な仕組みで繋がっていた腕と胴が、いとも簡単にするりと離れてしまった、そんな玩具を見たような。 その人形の胴体と頭だけが箱の中に行儀良く納まっている。 でもじゃあ、腕は?脚は、どこへいったの。 早く探してあげないと可哀想じゃないか。 早くつけてあげないと死んでしまうじゃないか。 死んでしまう?どうして? 人形なら足が取れても痛くもかゆくもないんだから。 死んでしまう?どうして? それは、ニンゲンだから。 それが、ニンゲンだから。 ![]() 慟哭が木霊する。 その声に弾かれたように、木場は走り出した。 安全装置を外し、老人の研究員を一人拳銃で殴って気絶させる。 銃口を向けた先には美馬坂幸四郎が乱雑する箱の中に立っていた。 「美馬坂ァ!!!」 ハコ ノ ナカ ニハ ナニ ガ アル? |