子守唄が聞こえる。

こんな唄、聞いたことがない。

けれど分かる。これは子供の為に母親が唄っている唄だ。

子守唄、本来子供を眠らせる為の唄、

けれどこの子守唄はまるで起きろ、起きろと言わんばかりに耳の傍でどんどんと大きな戦慄を奏でていた。








・・・・・・・・・・・これは・・・・・・・・だれの声・・・・・・・・?























ぼんやりと、ふわふわと意識が浮くように眼が覚めた。

重い瞼をゆっくりと開く。いや、開いたはずだった。

けれど求める光はいつまで経っても瞳に映らない。

目を凝らしても、瞼を閉じているのか開いているのか分からないほどの、黒、黒、黒。




そこでようやく気付く。肢体が何かに覆われていることに。










慌てて起き上がろうとすると、手足が自由に動かないことに気づいた。

両腕が前で括られ、足は膝と足首に何かが巻かれて固定されている。

背中や肩が固いモノにぶつかって、ごとりと音を立てる。





「う”っ・・・んんんん!!!!!!」





なんとか身体をあちこちにぶつけて探る。

左右、上下が狭い壁で塞がれている。

箱、はこだ。

長方形の、そう、丁度棺桶のような木造りの箱の中に私は閉じ込められているのだ。

口には布が噛まされている、空気の通り道がないからなのか、息苦しい。

ならばこの空気に隙間がないということになる。完全なる密室。箱、箱だ。





「んんんんん!!!!」





真っ黒な小さな空間に恐怖して、思い切り体が動く限り壁にぶつけて音を立てた。

木造独特の軽い音が耳に響く。

その中に人の声がかすかに混じって入ることに気づき、動くのを止めた。








「ああ・・・・、起きたんだね」






思ったよりも近くで、その声は聞こえた。

目の前に急に飛び出してきた光に思わず瞬きをする。

光の正体は眼が眩むほどのスポットライトでその光の中に写った影は間違いなくあの男のものだった。





「すまなかったね。隠れてここまで運ぶのに方法がこれしかなかったんだ。
本当はもっと別の方法を取りたかったのだけど・・・・怒っているのかい?」




男は鳥肌が立つほどの満面の笑みで私の頬を撫でる。

白い手袋が触れた頬は氷のように冷たく、背筋に一気に悪寒が走った。

触らないで・・・!

言いたい言葉は、猿轡に使われている布に吸いこまれて言葉にならない。

ただ無様な呻き声が響くだけで、この叫びはなんの意味も持たなかった。






「ようやく待ち続けた瞬間が来る。怖いことなどなにもないんだよ?だから安心していい」




私の心情などまるで意に介さないように、男は恍惚の表情で語る。

鼓膜を犯すその音はどれも理解不能で、今までが生きてきた世界の常識を遥かに超えていた。

なんとか理解出来るのは、男の口からでる断片的な言葉だけ。




肢体・・・・切り落とす・・・・無駄の切除・・・・永遠の命・・・・・!?





何を!この男が何を言っているのか分からない!!

久保の背後にあるのは様々な色のチューブ、コード、パネル、意味不明な機械、鉄の箱。

ゴゴゴっ、とまるで巨大ロボットがすぐ傍を闊歩しているかのような不気味な音がする。

頭が割れそうなくらい大きな音。

けれどまるでそんな音聞こえないかのように、身振り手振りで久保は何かを懸命に語っていた。








「既に準備は整っている。だから何も案ずることはないのだよ。そんな風に怯える必要はないんだ。
それでも怖いというのなら私が先に入ってあげよう。本当は君が入るのを見届けたいのだけど、
見本となるものがいれば君も安心できるだろう?本当は他に見本があったのだけどね。
あれはどこかにいってしまったらしい。まぁ今の僕達にはまるで関係のないことだ。
今更興味はない。あの汚い雌豚共も此処に至るまでの経緯だと思えばもう憎しみもない。
そう、清らかな世界へ僕達は旅立つのだから、全てのしがらみはもう何もないんだ」





久保はまるで舞台でも演ずるかのように、両手を広げて見せた。

箱、久保の後ろに一際異質な箱が一つ、様々な色を放ちながら鎮座している。

それは一見して黒い長細い鉄の塊で箱の上には焼却炉のような煙突らしきものが天井に向かって伸びていた。

医療器具にも見えないことはないが、どこか禍々しくとても人が造ったものには思えないほどの不気味さだった。








ああ、中禅寺さんはどうしているだろう?木場さんは?榎木津さんは?関口さんは?

それは現実逃避に他ならなかった。

けれどもう目の前の男の小芝居に付き合う気力もなかった。

映画だったならばいい。小説だったならばいい。全ての出会いが夢ならばいい。

そう思っても現実は変わらない。相変わらず身体は動かず、思考もままならない。

小説だったならば、ヒーローが助けに来てくれるのに。

ヒーロー、その言葉が似合うのは榎木津さん辺りなのかもしれない。

正義の味方だったらきっと木場さん。

中禅寺さんと関口さんはなんだろう・・・・策士と・・・・・・・関口さんのは思いつかない。





頭の芯がぼやけていくのがわかる。

頭に酸素が回っていないからだ。息苦しさは目覚めた時から変わらない。
せめて猿轡さえ取れれば・・・そう思うがどうにもならない。

こめかみの痛みと共に、キィィィンと耳鳴りがする。
それはあっという間に大きくなって、頭を貫くかのような痛みに変わった。
身体の力が抜けて、どさりと箱の底に身体を横たえる。
視界から久保の姿が消えるその一瞬、何かが見えた。




何・・・・あれは・・・・!?




いまだ一人で語り続ける久保と箱の間に白い影が見えた。

黒い髪を振り乱したそれは恐ろしい形相で久保を睨んでいる・・・・かのように見えた。

チアノーゼ症状が見せた幻覚だろうか・・・・いいや、確かに・・・・・










「準備が整ったぞ」







その時、ふいに第三者の声が聞こえた。

遠のきかけた意識を奮い起こし、初めて聞く声に耳を澄ませる。





「まずは僕からやります」

「君が?まぁ、私はどちらでも構わないがね」

「ふふふっ、さぁ始めましょう」

「では来たまえ」



中年の男性の声が久保を部屋の外へと促す。

久保がそれに素直に従っている辺り、久保よりも優位な人間のようだった。





「教授、本当にやるのですか」




三人目の声が聞こえた。女性だ。さっき久保の後ろにいた女性だろうか。

いや、違う。よく分からないけれど直観的にそう思った。これは凛とした大人の女性の声だ。




「お前は口を出さんでいい」

「・・・・そうですね・・・・」




女性は久保を疎んじているかのようだった。

見たわけではないのに、そんな風に感じる。

やがて足音が遠のき、重い扉が閉じるガチャン、という音がした。

しぃん、と静まり返った部屋に相変わらずする不気味な何かが動く機械音。

一体今まで何人の人間がこの部屋にいたのだろうか。

久保と、中年の男と、女、そして・・・・あの白い影。










ゆっくりと、ゆっくりと瞼が重くなっていく。

気を失ってはいけない、そう思うがこの波には逆らえない。

落ちる、落ちていく、ゆるゆると、ゆる、ゆると、





















唄が、聞こえる。

耳元で誰かが唄って、いや、叫んでいる。

そうだ、寝てはいけない。

寝たらきっと・・・!!!!!




寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!
寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!
寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!
寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!
寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!
寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!
寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!
寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!寝るな!









けれど無情にも、私の意識はそこで途切れる。

傍に確かに誰かの気配を感じながら―――――――