青木は震えながらハンドルを握っていた。

警告のように車のライトが左右に揺れる。不愉快なほどでこぼこした道が車体を大きく揺らしていた。

それでも青木は走る。

助手席に座っていた木下も、ただ黙っていた。






















礼状はもちろんなかった。

証拠も、物証も何一つない。

今の青木の背中を押すものは鳥口からの御筥様の情報と京極のよく分からぬ論理だけだ。

けれどそれで構わない。何故ならもしこれが木場だったならば今の青木と同じ行動を取ったに違いないからだ。

その木場はいない。

ならば自分が行くしかないだろう、そう、自分は神風特攻隊の生き残りなのだから。

先陣を切って敵に突っ込むのが文字通り自分の役目なのだ。







地平線の先には太陽の柔らかな光が差し込んでいる。

もうすぐ夜が明ける。

百鬼夜行も、丑三つ時も、とっくに終わりだ。

これからはまっとうな人間の生活する時間帯だ。

バラバラ殺人などとおおよそ凡人ならば思いもつかない所業をする鬼が跋扈(ばっこ)するはずもない。

土煙りで汚れたフロントガラスの向こうに、別荘地とはおおよそ似つかわしくない四角い建物が見えた。




「久保さん、少々お話を伺いたいのですが。久保さん?」




青木はそう言って乱暴に戸を叩いた。

そしてその戸に耳をぴったりとつけ耳を澄ます。物音はしない。

今頃中禅寺達は御筥様のところへ向かっているだろう。の身を考えれば一刻の猶予もない。




「木下、俺は中へ入る。お前はここで張っててくれ」

「礼状はないぞ、不法侵入になる」

「だからどうした。彼女が此処にいるかもしれないんだ」




その言葉に木下は躊躇しながらも頷いた。

木下もあの夏の久遠寺家の事件の捜査に加わっていた。

言葉を交わしたことはないものの、の顔くらいは知っている。



「木場さん、どうしたんだろうな」

「先輩は先輩にしかできないことをしてるさ。俺達は、今俺達がやらなきゃいけないことをするだけだ」




木下の言葉に取り合わず、行くぞと眼で合図して青木は階段を駆け上がった。

ガレージを改造したような建物の二階がおそらく住居部分だと思われる。

カンカンと、鍋を叩いたよう乾いた音が匣の中に木霊する。

予想した通り、青木が発する音以外なんの反応もなかった。




「畜生!誰もいないのか!」






まるで家探しでもするようにガタガタとそこらじゅうひっくり返す。



はこ、箱、匣、



なんだなんだ、この家は!

見まわす限りの大小のはこ、はこ、はこ!!

箪笥の代わりなのかそれとも他に何か意味があるのか、その箱の中はどれもみっしりと詰まっている。

それは衣類であったり、雑貨であったり、角材であったりした。

その箱の羅列の中に、一つ不自然な箱を青木は見つけた。

長方形の箱、さしずめ棺桶とも言えそうな大きな箱の中身だけが空なのだ。

他の箱の中身はこれだけみっしりと詰まっているにも関わらず、だ。



青木はその箱を思い切り蹴りつけた。

ガン!と大きな音がしてその箱が倒れ、その影から隠し扉のようなものが現れた。

咄嗟にその扉の取っ手を掴む。






さん!!」







目に映ったそこは、悪趣味としか言いようのない部屋だった。

真四角に切り取られたかのような小さな部屋の中に、真っ赤な毛布と金糸の刺繍。

低い天井に重石のように垂れ下がっているシャンデリアに虎の毛皮の絨毯。

どれもこれも一つ一つならばすばらしい調度品かもしれないがこの狭い空間にこれだけ密集しているとそれはもはや醜悪でしかない。

バランスが悪い、この空間はひどく人を不安定にする。


ベットの上に人が使用した形跡を見つけて、咄嗟に青木は毛布に顔を伏せた。




―――――温かい





それはまさに今さっきまで誰かが寝ていたかのように温かかった。

あの、暑い日、セーラー服に身を包んだ少女、そして再開した喪服の女の姿が過ぎる。

不自然なまでに成長して青木の前に現れた、

生垣に生えた腕。切り取られた手足。バラバラ。






「どこ行った!!!久保ぉ!」





浮かんだ考えに戦慄し、青木は箱の外へ飛び出た。

中禅寺は御筥様と久保の関係に何かを見出したようだ。

久保の残した原稿からも、あの男の異常性は明らかだ。

木場が、中禅寺が、榎木津が、鳥口が、動いている。怪奇事件と噂された事件は片鱗を見せ、謎は徐々にその姿を表し、包囲網は確実に狭まりつつある。

なのにこの焦燥感!掴んでも掴みきれぬ何かが青木を翻弄する。

あの夏の、あの再現だけは御免だ!

その衝動だけが青木の手足を動かす、刑事から兵士へとその姿を変えていく。

戦う、まさに青木は今見えぬ敵、いや、久保竣公と戦って―――――、


















玄関先に控えているはずの木下に声を掛けようとした瞬間、





青木の目に、一瞬、黒い何かが映る。

反応が遅れたのは、青木が興奮していたからに他ならない。

その為、刹那の、判断が遅れた。














青木文蔵の世界は強烈な痛みと共に、そこで途切れた。