美しい女が私の腕の中に納まつてゐる。

隙間無く、密着した肌と肌のなんと心地よいことよ。

まるで聖母マリアの頬笑みに抱かれているような錯覚すら抱くのだ。

布越しに感じる鼓動がもどかしく、今すぐに全ての衣服と共にしがらみを剥いで一つになりたい。

そう、匣の中にみつしりと二人。

それはなんと美しく素晴らしい世界であることよ。



























久保は女を抱いて、錆びついたシャッターの横の扉を開けた。

真新しい郵便受けには出版社からのこげ茶の封筒が顔を出している。

だがどうせ原稿のことだ、そんなものは後回しでいい。

あんなものはどうせ、私事の記録でしかないのだ。

もっと素晴らしい世界への鍵は今この腕の中に在る。




匣型に作った家はそれほど居心地は良くはなかった。

原因は解っている。隙間があるからだ。

例え匣型に作られても常に人間が移動するだけの空間が存在しなければならない。

それでは久保の望みを果たさない、だがそれがなければ人間は住めない。

なんと不便な生き物なのだろう、くだらぬ生に縋りつく醜い生き物。

だがそれも終わるのだ。もうこの隙間だらけの匣家もいらぬ。

久保はの額に軽く口付けをしながら、階段を上った。








嗅ぎ慣れた死臭がする。

血の匂いに感じるものなどないが、は嫌がるかもしれぬ。

彼女を怖がらせるのは本意ではない。

実験台に過ぎぬ女の遺体などどれもこれも最早必要無いのだ。

鉄の台座に散らばった頼子という少女だった残骸に久保は顔を顰めた。

何故、人は死んでまで醜態を晒すのか。

血が、臓物が、醜く腐り果てることがなければ、土になどに埋めず永遠に愛でることが出来るのに。

だがそれももう杞憂に過ぎない。

もうすぐ、素晴らしい未来が彼女と自分の二人に訪れるのだ。

そう隙間無い世界でみつしりと二人愛し合う、まさに理想郷。










あの男から電話があった時、私がどれほど狂喜したかは語るに難しい。

この喜びを表す言葉など、この世界に存在すまい。

を美しいまま匣に入れる。その為にあの時電車で見かけたあの娘を探し回った。

手掛かりはすぐに見つかった。今、世間を騒がしている娘だったからだ。

名前さえ分かれば美馬坂研究所に辿り着くのはそれほど難しくはなかった。

そしてあの娘と私は対面した。

それは美しいまるで蚕のような娘であった。

だが私の心は平静だった。

私の心の中にはすでにが居る。他の女になどもはや興味はなかった。

そして私は大金と引き換えに私の夢を叶える手筈を整えた。

電話はその準備が整ったことを知らせるものだった。




















まずは彼女に相応しい洋服を用意しなければ。

ドレスが良いだろうか、それとも着物がいいだろうか。

真白なワンピース、桃色の着物、赤い襦袢、どれもきっと彼女に似合うだろう。

髪はリボンで結ぼうか、一本一本丁寧に梳かして口付けて、彼女はきっとその度に美しい頬笑みで私を讃えるのだ。

舞い上がる花々は私達を祝福するだろう、小鳥たちは賛歌を歌い、拍手が私たちを包むのだ。

ああ、なんと素晴らしい世界であることか。

これこそが私の望みであるのだ。

くだらぬもの全てを捨て去って、愛する者と二人、新世界へと往こう。









階段を更に上がり、隠し扉を開く。現れたのは正方形にくり抜かれた空間。

18世紀ヨーロッパの家具で統一した部屋はこの時の為に用意したものだ。

そこにゆっくりとを下ろす。

赤の生地に金の薔薇の刺繍がされたベットはまさに彼女に相応しい。

虎の毛皮の絨毯に膝を立て、手袋をとっての手を握る。

ほんのりと火を灯したランプはの顔を夕焼け色に染めた。






「少しだけここで待っていて欲しい。すぐに戻るよ」







久保は恋人にするように、の額に口付けをした。

立ち上がりから離れると、錠前でかたく扉を閉める。

そしてそこは完全なる匣となった。
























青木は軍用車で田舎道を突っ走っていた。

目印のない道をひたすら走り続ける。

カラスが鳴いている。電灯はない。道は整備されておらず、数分ごとにガタン、と車体が傾く。

それでも青木と、同乗していた木下は無言だった。

木場は何処へ行ってしまったのか、連絡が取れない。

最悪の事態だ、青木はガラスの向こうの見えぬ道に向かってただ車を走らせていた。





やがて暗闇の中に人工の灯りが見え始めた。

なんの変哲もない農村の一角。その中に大層な数の警官が虫のように蠢いている。

それぞれがランプや懐中電灯を持っている様はまるで夜光虫のようであった。

ブレーキを乱暴に引き、道脇に車を止める。



「農家か・・・・」

「行くぞ」




木下の言葉にとりあわず、警察手帳を入口を塞いでいる警官に見せ、門をくぐった。

木下の言う通り、農家である家の敷地は広く生垣がその周囲を囲んでいる。

行儀よく並んでいる植木の中にそれは生えていた・・・・・











異様な光景だった。

木下は手を口元にあて、それでも吐くのを必死で堪えた。

土の中からうでが生えているのだ。まさに華のごとく、その腕はてのひらを天に向かって広げていた。

その手腕には、汚い糸のようなものが巻かれている。

この腕を見た者の中で、それが示している意味を知る者は数少ない。

その現実に、青木は腕の前に膝をついた。

吐きそうなのだと勘違いした警官の一人が青木の腕をとる。

だがその手を青木は乱暴に振り払った。















青木の心にはの姿があった。

その姿が霧のように消えていく、青木は天に向かって叫び出したい衝動を必死で堪えていた。