青木文蔵はその日仔細わけあって、いつもとは違う帰路についていた。

神奈川県警からの帰りで、このまま謹慎を食らっている木場修太郎のところへ行くつもりである。

以前別の件で知り合った気の合う刑事からいくつかの情報を仕入れたである。

無論、木場の謹慎の原因になった石井という警部には内密のことだ。





神奈川から電車で戻った青木は乗り換えの駅で下り、ふと商店街に目がいった。

どうせ一人でロクなものを食べていないだろう木場に差し入れでもと考えたのである。

パチンコ屋、服屋、煙草屋、八百屋、と目を移したところで人だかりがあるのが見えた。

刑事のさがか義務感か、足が無意識にそちらへ向かう。

その人だかりの中央に倒れていたのは、見たことのある少女、否、女だった。












黒百合の章











そこに倒れていたのは、あの夏に出会った少女、だった。

慌てて抱き寄せると同時に、誰かが呼んだのだろう、医者と駐在所の警官が同時に走り寄ってきた。

青木はすぐさま身分証明書を提示し、自分の知り合いだと説明をする。

医者が気を失っているだけだと診断したので、青木はそのままを抱えて警官に車を出してもらうように頼んだ。

中野から木場の住む小金井まで車ならそう遠くはない。

中野と言えば例の憑き物落としが住んでいる町のはずだが、青木は木場を頼ることを選んだ。

憑き物落としこと中禅寺という男は青木にとってまだ得体の知れない男なのだ。

それにの事情は分かりかねるが、どうも青木にはが今回の事件とも無関係とは思えなかった。




あの、夏のように――――――





それは青二才でもいっぱしの刑事である青木の勘だった。

















木場が身を寄せる小金井の下宿所につくと、警官に礼を言い、彼女を背に背負った。

玄関の前で毎度妙な音がするブザーを鳴らす。








ガタガタと引き戸の向こうから木のしなる音が聞こえてきた。

いかにも重い物に踏みつけられているような木の悲鳴だ。

この粗忽な足音は木場である。

を抱えなおし、戸が開くのを待つと、やはり顔を見せたのは木場修太郎であった。










「先輩」

「青木・・・おい、!?」







木場は青木の顔を認め、一瞬うんざりしたような顔を見せたがその背に負うものを見て顔色を変えた。

とにかく上がれ、と顎で促し、二人でギシギシと不安定な階段を上る。

木場の座敷に通され、敷いたままの煎餅布団にをそっと置くと、木場はの口元に耳を当てた。

呼吸を確認して、安堵したのか木場はいかにも愛おしい・・・・ものを愛でるかのようにの髪を撫でる。

青木はそんな木場を見て、しばし呆然とした。






「で、何があったんだ」

「え、あぁ・・・それがですね、此処へ来る途中の乗り換えの駅で降りたら、彼女が倒れてまして」

「ぁあ?そりゃ何処だ」

「中野です」

「・・・・だったら、なんで京極ん所に連れて行かなかった?」

「と、言われましても僕はあの人、ほとんど知りませんから」






青木がもしただの民間人だったとしたら、中禅寺の元へ行くのが正解だっただろう。

だが青木は刑事である。

から敏感に事件の匂いを嗅ぎ取った。だから木場の所へ連れてきたのである。

先輩である木場を目の前にしてそれを進言するのは憚られたが、この勘には何故か不明瞭な確信がある。

何故、と問われればやはり勘としか言えないのだ。だが何故か青木は確信している。

あの夏のように、やはり事件の鍵はこの少女、いや女が握っているのだ。





例え彼女自身がそれを知らずにいたとしても。








「ちょいと京極に電話してくらぁ」

「はい」







木場が部屋を出て、しばし青木と二人きりになった。

彼女は浅い呼吸を繰り返しながら寝ている。

触ればおそらく血の通った暖かな感触がするのだろう。

だが青木はそうしようとは思わなかった。

青木の中にあるへの疑問はもう一つあるのだ。










この少女と出会ったのは梅雨が開けたばかりの初夏だった。

季節が一つ、過ぎただけなのに、は少女から確実に女に変わっている。

木場の命令で彼女と警察署の食堂で再会した時はやはり気のせいかと思った。

彼女は喪服姿だったし、大抵そんな場合は年上に見えるものだ。

だが、やはり違う。

気のせいなどではない。

今の彼女は明らかに女である。

少女などではない。




疑問は先ほどの木場の態度で確信へ変わった。

あれは事件の関係者であった少女に対する態度ではない。

木場が懐に入れた、仲間、友人、同輩、恋人、そのどれにも当て嵌まらぬ何か・・

木場が女を苦手としていることを知っている。

木場は女の中身を理解出来ぬし、木場の中身を知ろうとする女が理解出来ぬのだ。

青木の確信は木場はこの女の中身を知っている・・・・・・・・・・・・ということだ。








追求しようとは思わない。

もしが本当に今回の事件にも関わっていたとしたら、いずれ知ることになるからだ。

それに青二才の青木が知らずとも木場が知っているのならばそれでいいのだ。

木場を取り巻く、憑き物落とし、探偵、小説家、そのどれもが青木にとっては奇天烈なものなのだから。

そこにまた一人、謎を持つ女が増えただけ。ケチビ、とかあの憑き物落としは言ったか。

人の怨霊が集まったものだと確かそう言っていた。







「今夜は此処で預かる」







耳障りな木の悲鳴が聞こえ、木場が現れた。

そうですか、と相槌を打ち、青木は懐から警察手帳を取り出す。

今日此処へ来た本当の目的は別にあるのだから。






「先輩、少し話をしてもいいですか?」

「あん、なんだ」

「相談です、事件の」




そう言えば木場は眉を吊り上げ、を見た。




「先輩、僕は柚木加奈子の事件の情報を神奈川の連中から入手しました。だからその代わりに――――例のバラバラ事件でお知恵を拝借したい」





木場はしばし沈黙し、舌打ちを一つした。





が起きちまう、隣の部屋行くぞ」

「はい」




場所を隣の部屋へ移し、青木と木場は向かい合った。

その瞬間、木場は青木の知っている刑事・・の木場修太郎となった。












































女に会つた。あの女だ。

なんといふ素晴らしき偶然なのだろう。

いや、これはもはや偶然などではないのだ。

祖母をみつしりと匣に詰めた夢見たその日に彼の女を見つけたのであるから。

これは神の啓示に他ならなゐ。

ああ、早く匣を用意しなければならぬ。

休暇は後三日しかなゐのだ。






ならば自らの手で彼の女を。



























同時刻、久保俊公は失敗作の中に身を埋めていた。

おびただしいほどの血、内臓、腕、人であったものの残骸。

それらで匣をみっしりと埋めても、もはや満たされないことを知っていた。

あの女が要る。その為にはまず、匣だ。

先づは匣を用意しなくては。







久保は血に染まった手袋を脱ぎ捨て、新しい手袋を身に着けた。

あの場所に求める匣が在る。





久保は嗤った。

もうすぐ素晴らしい充実感を得られるに違いない。








足元に転がっていた赤い紐が巻かれた手首・・・・・・・・・・を踏みつけ、久保はその場から姿を消した。

















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青木がカッコ良過ぎましたか(笑)