黒で塗り固められた世界に縛られた。














沈丁花怪奇談














肩を揺すられ、ゆっくりと目を開けるとそこには関口の姿があった。

そわそわと落ち着きのない仕草で部屋の中を右往左往している。



「関口さん・・・・?」




身体を起こしながら彼の名を呼ぶと、ばっとまるで悪戯が見つかった子供のような顔をして関口が振り向いた。

相変わらずの不幸顔だが昨夜よりは随分ましになったようだ。





ちゃん・・・・ああ、起きたんだね。喋れるんだ・・・・・ええと、時間が・・・」

随分と慌てている。時計を見れば既に五時過ぎ。

「ごめんなさい・・・・寝すぎちゃったみたいで」

「いいんだよ、大丈夫だ。ああ、でも困ったな。どうしよう」

「どうしたんです?」




ウロウロと落ち着きのない様はまるで檻の中の猿のようだ・・・と言ったら失礼だろうか。

剃り残しの髭がやたら目に付く。




「君も久遠寺家に行くんだよね。うん、そう聞いてる。もう旦那が表に来ている頃だ。
ジープで迎えに来るそうだよ。京極堂がね、来ないんだ。あいつ」

「じゃあ・・・・先に行きますか?」



本当に、年上とは思えないほどオロオロしている関口に苦笑する。

汗掻きで赤面症で・・・・現代で言う自律神経失調症のようなものなのだろう。

小説の中で読むよりも、こうして現実で見るとより関口という男が理解出来る気がする。



この人はきっと自分に自信がないんだ、ただの一欠けらも。



誰にだってそういう部分はある。けれどこの人は病的だ。

自分の存在に・居場所に確信すら持てないから、いとも簡単に彼岸に行ってしまう。






「ああ、雨が降ってる。傘を拝借するかい。ちゃんを濡らすと京極堂に怒られる」


玄関先に置いてあった傘の一本を取り、関口がおいでおいでの仕草をした。

相合傘をするつもりらしい。

それに気付いていない所が関口らしいけれど。

指摘すれば、きっと真っ赤になって言い訳するんだろう。












眩暈坂の下には既にジープが止まっていた。

窓から四角い顔が覗く。木場だ。




「よう、早く乗れ」




カチャリと鍵の音がし、後部座席のドアが開く。

にとってはかなり古い型の―――米軍が乗ってそうなイメージの車だ。

まずが、そして関口が乗り込むと木場は煙草の火を揉み消した。




「で、奴さんは何しようってんだ」



鬼刑事が関口の顔を見る。が、関口は何も言わなかった。

否、答えられないだけだろう。




ふと、暗い窓の外に灯りがちらちらと見えた。

光はゆらりゆらりと揺らめき、段々とこちらに近づいてくる。




「ふん、山から鬼が下りて来やがったぜ」











闇の黒地に星型が浮かんだ。

清明桔梗だ。続いて黒足袋の赤い鼻緒が目に付く。








そして闇の中に漆黒の男が浮かび上がった――――――――京極堂のもう一つの顔だ。








キィィィィン―――――








突然、耳鳴りがした。

痛い。

京極堂が関口の隣に乗り込む。

関口を挟んだ形で、京極堂が私を見た。






君、おいで」






京極堂に手を引かれ、彼の隣に移動して二人の男の真ん中に座る。



「大丈夫だ」


そう言って京極堂に頭を撫でられる。

不思議と耳鳴りが止んだ。

思わず顔を上げて京極堂を見る。







「               」








耳元で何か囁かれた。

けれど何故か聞き取れない。

だが京極堂は気が済んだのか、今度は助手席の木場に何か呟いた。

そして青木の紹介もほどほどに、車が走り出す。

私は京極堂の黒衣の袖に掴みながら、雨が激しくなっていく窓の外を見ていた。








車内を沈黙が包む。

まるで、小さな箱に閉じ込められたような。

そして、やがて森の中に大きな塊が現れる。

一度訪れた事のあるそれは、雨と黒雲によって禍々しい何かを帯びているように見えた。



門の前で中禅寺敦子と合流し、荒廃した玄関に入る。











「お待ちしておりました」












背筋に走る悪寒と再び鳴り始めた耳鳴りに、私は京極堂に縋りついた。

彼はただ大丈夫だと頷く。












けれど耳鳴りも悪寒も一向に止む気配はなかった。