逃げてきたはずなのに辿り着いたのは結局行き止まり。 沈丁花怪奇談「あら、おはようございます。よく眠れました?」 朝、何処からか鶏の声がした気がして、目を開けるときっちりと着物を着込んだ女性が枕元に座っていた。 慌てて起き上がり頭を下げると、女性はにこりと笑った。 京極堂の細君、千鶴子である。 「着替えを持ってきましたら着替えて下さいね。私のお古で申し訳ないけれど」 昨日は結局そのままの格好で床についてしまったのだった。 眠れないかと思いきや、身体が疲れていたのがすぐに寝入ってしまったようだ。 意外に能天気な自分に驚く。 (すいません、ありがとうございます) 声が出ないとわかっていても、口を動かすと千鶴子さんはにっくりと笑ってくれた。 とりあえず布団から出て、着替え始める。 あれから京極さんは木場さんと何を話してたんだろう・・・・・ 言うまでも無く木場は刑事である。 もしかしたら警察に連れていかれるのかもしれない。 それはそれで仕方ないのだろうと思う。 この時代では孤児などそう珍しくはないのだし、それで通せば案外すんなりといくかもしれない。 何処かいかがわしい店に売られるよりも、施設のようなものに入れられた方がマシかもしれない、と昨日の木場との会話を思い出した。 今思えばぞっとする。この時代は人身売買で女が売れる、そういう時代なのだ。 それを失念して夜街をウロウロしていたと思うと木場に会えて運が良かったという他ない。現に木場はそれを心配していたのだから。 「じゃあ用意が出来たら朝餉にしますから、居間に来て下さいね」 優しい笑顔で微笑まれてなんだか赤面してしまった。 千鶴子さんに関しての情報は何も持っていないから(姑獲鳥じゃあんまり出てこないし)人柄はわからないけどすごく穏やかで腰の低い人だ。 何より優しい。 あんな人がお母さんだったらなぁ・・・・ 思い出したくもない母親の顔を浮かべ、思わず眉を顰める。 帰りたい、けれど帰りたくない。 千鶴子さんの用意してくれた白のブランスと紺色のロングスカートに着替えると、布団を畳んで居間に足を運ぶ。 どんな顔をして京極さんに会えばいいのかわからなかったけど、待たせるわけにも行かず遠慮がちに襖を開けた。 「ああ、起きたのか。おはよう」 (おはようございます) 「座りなさい。千鶴子」 「はい」 京極さんの言葉に千鶴子さんがご飯をよそう。 これが無言で伝わるの夫婦の会話って奴なんだろうか。 京極さんの「頂きます」に合わせて千鶴子さんに頭を下げて三人は食事を始めた。 「・・・・・・・・」 会話がない。 こっちは喋れないのだし、京極さんはご飯の最中喋るような事を嫌うのか千鶴子さんも無言だった。 気まずいと思っているのは私だけですか・・・? 沈黙の最中鶏の声が聞こえる。やっぱり何処かで飼っているらしい。 気になって庭の方を眺めると、ととと、と足音が聞こえた気がした。 (?) 「榎木津礼二郎只今参上!!」 (!?) いきなり奥の襖が開いたと思ったら、派手な柄のシャツを着た榎さんが突然現れた。 驚いて箸を落としてしまった私を見て満足そうに豪快に笑う。 その後ろには控え目に関口さんが立っていて苦笑していた。 「どうしてあんたはそう出鱈目な登場の仕方しか出来ないんだ」 「はっ!何を言う!!探偵はいつも派手な登場をするものだ!」 「関口君、君もいるなら止めたまえ。全くなんの役にも立たない」 「ぼ、僕に止められるはずないだろう?そんなことよりも・・・」 関口さんの言葉で一斉に視線がこちらに向く。 私は落とした箸を拾い上げて、慌てて味噌汁を飲み干した。 「まぁ・・・・とにかく無事で良かったよ」 「ふん、だから言っただろう姫は大丈夫だと!全く猿のくせにこの僕の言葉を信用しないとは!」 「だって榎さんのはなんの根拠もないじゃないか・・・」 「何を言ってるんだい。この辺りで君が知っている所といったら、此処しかないじゃないか。榎さんの所が嫌ならば最終的には此処に来るしかない事ぐらい予想出来るだろうに」 「まぁ・・・そうだけど。でも・・・・木場の旦那が見つけてくれて良かったよ」 「あの下駄豆腐にしては上出来だな!これも日頃の僕の調教のお陰だ!」 榎さんが関口さんの髪を引っ張る。 京極堂さんは渋い顔をしていたが、ふと玄関先に顔を向けた。 「いつ俺が手前ェなんぞに調教されたんだ、コラ」 そう言って本当になんの挨拶もなしに、登場したのは木場修太郎。 背広を片手に持ってワイシャツを捲り上げた格好はいかにも”刑事”と言った感じだ。 木場さんと目が合ったので頭を下げると昨日と同じように「おう」と言って手を上げてくれた。 それにしても。 四人揃っちゃった・・・・・なんか圧巻・・・・・ さすがに四人揃うとなんとも言えない空間が出来上がる。 榎さんが楽しそうに関口さんを弄繰り回して、木場さんが怒鳴り散らして京極さんが溜息を付く。 舞台の見物観客のような気持ちで私はぼぅ、とそれを見ていた。 「さて、君の事だが」 「!」 突然名を呼ばれて我に返った。 そうだ。呑気な事考えてる場合じゃない。 「やはりうちで預かろうと思う。榎さんの所じゃ落ち着かないだろうからね」 「おい待て。その前に俺はこの娘の素性を聞いてねぇぞ」 「素性ってのはなんだ、この便所下駄!彼女はという可愛い女の子だ! 他に何を知りたいというのだ、この助平男!」 「手前ェは黙ってろ。世間は手前ェみてぇにめでたく出来てやしねぇんだよ」 「それについては君が落ち着いてからだ。無理な詮索はまた似たような事になりかねない」 「あん?詮索されて逃げ出さなきゃいけねぇ事情があるってのか?」 「ごちゃごちゃうるさいぞ便所下駄!!それより僕は腹が減ってるんだ! それより関猿!言わなきゃならない事があるんだろ、さっさと言ってしまえ!」 それまで蚊帳の外にいた関口さんの背中を榎さんが思い切り叩いた。 突然叩かれたものだから、関口さんはゴホゴホと咽てしまっている。 「そうなんだ、実はね、その、来て欲しいんだ」 「・・・・・一体なんの話だい?全く君は順序というものがいかに大切なのかわかってないね」 「話の腰を折らないでくれよ。あの、例の藤牧の件・・・その・・・僕らは家に訪ねる事になってるんだけど、ちゃんにも来て欲しいと言ってるんだ」 「あん?なんの話だ?」 「いいから役立たずは黙ってろ!これは僕の、そして下僕猿の仕事なのだ!」 「ああ?喧嘩売ってんのか、手前ェ!!」 「煩い!どういうことだい?何故彼女が行く必要がある?」 「分からないよ、そんな事。でも絶対来て欲しいって」 「・・・・・・・・何か意図があるのか?しかし―――・・・」 京極さんは顎に手を当てて考え込んでしまった。 榎さんは木場さんと口喧嘩している。私は関口さんを見た。 困ったように頭を掻いて、へらり、と笑う。 つられて私も少しだけ笑った。 久遠寺涼子が私を呼んでいる。 そんな事は物語の進行上絶対に有り得ない。 やっぱり、私が此処に居ることで物語が狂っている。 久遠寺涼子。 何故か私はあの不思議な笑みを思い出していた。 ぞっとするようなあの微笑み―――――・・・・・・・ 逃げても、逃げても追ってくる。 何処へ行こうとしているのか、誰が私の手を引いているのか。 その答えはまだ出ない。 ――――――遊びましょう。 聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。 |