こんなことならば付き合わなければ良かったと思ったことは一度や二度ではない。
それが出来ないのは、断るのには後ろめたい気持ちがあるのと、
誘われて嬉しいという気持ちがあるのと半々だった。

だがそんなの葛藤などまるで意に介していないように、目の前の男はただ呑み続ける。


その様子につくため息も一度や二度では・・・なかった。













解かれたメビウス











梁山泊で侍女を務めるは、十六傑に数えられる酔傑に請われ、酒の用意を整えた。

豪将である酔傑は誰によりも剛胆な男で、また大の酒好きであった。

酔傑付きであるが主に酒を請われれば、用意するのは当然であって、その酒に付き合い酌をさせられるのもまた必然だった。

今日も今日とて、酌をしろと隻眼で訴えられ、否とは言えず、酔傑の手の中の杯に注ぐ。

正直言えばは酔傑に酌をするのが好きではない。

酔っぱらいらしく訳の分らぬことで腹を立てられてり、時には大声を出すこともある。

暴力を振るわないのだけが唯一の救いだが、その代わり別のことで酔った酔傑はを責める。

それは酔傑の顔を見れば誰もが気付くだろう、その眼帯に覆われた目のことだった。







!見ろ!この目を!これは一体誰の為に風穴となった!」

「はい、酔傑様、それは私のせいでございます」

「そうだろう、これはお前の為に失ったのだ!」







酔った酔傑は眼帯を取り、の顎を掴み、顔を間近に寄せた。

痛々しい傷が剥き出しになる。酒臭い息がかかり、酒に弱いはくらくらと眩暈を起こす。

だが抵抗することがないことを知っていて、酔傑はの腰をぐいっと引き寄せた。






「酔傑様・・・・」

「隻眼の将となったのは誰の為だ!」

「私のせいです、私が悪いのです、酔傑様」







はこの時間が好きではなかった。

わざわざに酌を頼む酔傑は決まってこうして言葉でを責め立てる。

時には抱きしめ、がんじがらめに逃げられないようにしてまで、責めるのだ。

その度には拳を硬く握り、涙をこぼさないよう懸命に耐える。

泣けば、もっと酔傑はを責めるからだ。








「酒が足りぬぞ、

「はい、只今お持ちします」

「良い、それよりも傍にいろ」

「・・・・・・・・・はい」







一通り責め立て、満足すると、次は必ず無言で酔傑はを抱きしめる。

それは決して淫猥ではなく、ただ互いを暖め合うように、子供のようにを抱きしめるのだ。




「もういい、いけ」

「はい」



そして最後にはを退室させ、、また一人で酒を飲み始める。

酔傑のその行動の意図がには解らなかった。














酔傑が隻眼になったのは、確かにのせいだった。

頭首の使いで山を降りた時、梁山泊を狙った賊に人質にされてしまったことがあった。

その時賊が放った矢が、先陣を切って賊と対峙していた酔傑の目に刺さったのだ。

だが酔傑はそれに怯むことなく、たった一人で敵をほぼ殲滅してしまった。

それからだ。酔傑が事あるごとにを部屋に呼ぶようになったのは。


酔傑は必ず「お前の為に」と繰り返す。

その度には「悪いのは私です」と答えるのだった。







は酔傑に想いを寄せていた。

少なくとも、こんな関係になってしまう前は。

素面の酔傑は、強面だが、面倒見の良い男で、誰にでもよく話しかける男だった。

だが、酔傑は変わってしまった。

酒が抜けている時はいつもと変わらない。それ故、周りの者は酔傑が酔ってに何をしているか知る者はいない。

自身、己のせいだと分かっている。

好きな男が自分の為に一生消えない傷を負ったのだ。辛くないはずがない。

けれどまさか酔傑が、こんな風にを責めるようになるとは思いもしなかった。

好きな人に責められる、その痛みに耐えることが果たして出来るだろうかと、は自室に戻るやいなや一人泣き崩れた。

それでも、傍にいたいのに。























一人になった酔傑は、空になってしまった酒瓶を放り投げ、一人舌打ちをした。




好きなのだ、どうしても。

恋しくて、愛しくてたまらない。



が賊に捕えられた時、酔傑は途端に頭が真っ白になった。

そして己の武器を手に持ち、雄叫びを上げながら賊のど真ん中にたった一人で突っ込んだ。

その時片目を射抜かれた。本来の酔傑の力量ならば避けれて当たり前の矢だった。

だがを助けることのみを考えていた酔傑は己の防御に一切の力を使わなかった。

ただ敵を殲滅することだけに全力を注いだ。








その結果隻眼となったが、酔傑はそのことを微塵も恥とはしなかった。

賊如きに情けないと揶揄する声ももちろんあった。だが酔傑は己の惚れた女を護ったのだと胸を張った。

だが肝心のは、酔傑に対して笑みを見せなくなった。

いつも穏やかな笑みを浮かべる女が、酔傑を見て一歩引くようになったのだ。

そのことは酔傑をおおいに苛立たせた。









「お前の為に」と酔傑は言った。

お前の為に俺は隻眼となったのだ。それほどお前を想っているのに。

その想いを込めて何度も酔傑はに告げた。「お前の為に」と。

だがが酔傑の想いに応えることはなかった。

ならば、と酔傑はを抱きしめた。抵抗はなかった。

けれど身を固くするはその行為を決して受けれてはいなかった。





ならば何故、拒まない。





そう言えるほど酔傑は器用ではなかった。

愛を告げることさえも、遠回しにしか言えない。

それでも必至に己の想いを告げているつもりだった。

の答えはいつも同じ、泣くか、嗚咽を堪えて身を固くするか、そのどちらかだった。





普通に考えれば諦めるべきなのだろう。

ならばあの笑みはなんだったのだ。

優しく包みこむような笑みを浮かべていたはなんだったのだ。

もし隻眼となった自分を、もしくは賊を殲滅した自分を恐れるようになったならばそれはひどく悲しいことだった。

全てお前の為だったのに。





いつの間にかに想いを告げているはずが、うらめしく言い募るようになった。愛という意図を隠して。

情けない、なんと情けないことか。

十六傑にまでなった酔傑がこのザマか。






嫌われた。

いや、好かれていると思っていたことさえ自惚れだったのかもしれない。

自分に逆らえないのならば強引に自分のものにする手もあった。

それをしなかったのは、の心が欲しかったからだ。

あの、何もかも溶かしてしまうような、笑みをいつまでも傍で見ていたかった。









酔傑はふらつく足を叱咤しながら立ち上がり、別棟にあるの部屋に向かった。

障子の向こうから、すすり泣く声が聞こえる。

やはり、嫌だったのか。

酔傑は眼帯がしっかりと傷を負った目を覆っていることを確認し、静かに障子を開けた。











名を呼べば、びくりと震える身体。

どれくらい泣いていたのだろう、視線が合った目元はひどく腫れていた。

酔傑は静かに手を伸ばし、これ以上怖がらせぬよう、顔が見えないように後ろからの背中を抱きしめた。






「悪ぃな、少し、時間くれや」

「・・・・・・・・・」

「悪かった。嫌、だったよな、ずっと。明日頭領に言ってやるから。お前を俺の侍女から外す」

「酔、傑、様・・・?」

「これで最後だ。お前の名前を呼ぶのも触れるのも。だから今だけ許してくれや」






酔傑は出来る限り優しく、を抱きしめた。

敵を打ち倒すことしか脳のない自分がこんなにも優しく人に触れることが出来るのかと驚くくらいに。

は動かない。ただ嗚咽だけが響いた。

また泣かせた。

その事実が酔傑を絶望させる。

小さな身体に回していた腕と身体をそっと離す。





「酔傑様・・・・」

「なんだ」




部屋を出ようと身体を反転した酔傑の耳に小さな声が届いた。




「私はもう・・・・必要ありませんか?」

?」

「責められても、良いのです。それでも、お傍に、いたいのです」








はらはらと、雫が床に落ちていく様を、見詰めることができなくて、酔傑は眼を逸らした。

隻眼となったこの目に映るのは泣き顔ばかりで笑顔は失った目と共に闇に消えてしまった。

が放った言葉の意味を、そのまま取ることが、酔傑にはどうしても出来ない。

それほどねじれているのだ、己の心が。





、俺がいりゃあ、お前を泣かせるだけだろう」

「酔傑様」

「見たかねぇんだ。もう」

「違います、私が悪いのです、私が、」

「悪かねぇ。俺が!!手前勝手な気持ちを押しつけただけだ!」







怒鳴るつもりはなかった。

だがもう、同じ言葉を聞きたくなかった。

「わたしが悪い」という拒絶の言葉。

いつしかそれしか言わなくなった

原因は全て自分にあることは分かっている。







「泣かせたくねぇんだ、笑っているお前がずっと好きだった」









酔いなどとっくに醒めていた。

それなのに告げるつもりのない想いを吐いてしまった。

酔傑は知っていた。己が十六傑に数えられなければを捕えた賊と変わらぬただの野蛮な男なのだと。

そんな男がを幸せに出来るはずがない。







「酔傑様、そのお言葉は、」



が泣きながら顔を上げた。何かに縋るように、細く白い腕を伸ばす。



「悪い。言うつもりはなかった。忘れてくれや」


やってしまった、と思った。

未練たらしい自分に反吐出る。




「お慕い申し上げていました、ずっと」




だがの言葉に酔傑は息を呑んだ。





「何、言ってやがる」

「そのお目を、私のせいで、失わせてしまいました。それを咎められても、尚、私の心は浅ましく貴方を、」





そう言って、または泣き始めた。

酔傑は今度は躊躇せずその身体を包みこむ。

どうして気付かなかったのか。

どうして気付けただろうか。




己の想いをぶつけたその言葉が、彼女を傷つけていたことに。


立つ位置が違えば同じ言葉も、違う意味を持つのだと、何故、気付かなかったのか。

同じ言葉に違う意味があるなどと、どうして気付けただろうか。






二つの思いがぐるぐると酔傑の頭の中を駆け巡る。

今はもう酔っていない。

だからこそ、言わなければならないことがあるはずだ。












、おめぇを愛してる」

「私も―――」





お慕いしています、その言葉は酔傑の中に吸いこまれ、やがて月が映す影は一つとなった。




















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長崎様リクエストの酔傑です。遅くなりました。
テーマは大人の恋とすれ違い。題名は酔傑の最後二つの疑問から。
決して交わらないメビウスの輪の上に立っていた二人。
素敵な頂き物の、お礼になれば良いのですが。