まさか、と思った。



こんなことあることがない、と。

心当たりは一つしかなくて。






けれどそれを伝えることは、出来るはずがなかった。


















序曲












体調がおかしいと思ったのは二週間前からだった。

暑くも無いのに眩暈がし始めたのが始まりで。

それから頻繁に貧血を起こすようになっていた。






「もう、今日は帰ったら?」





バイト先の店長にそう言われて、くらくらする頭を抑えながら帰路につく。

その途中で通りかかった薬屋で、ふと目にしたのは妊娠検査薬。

まさか、そんなはすがないと思いながらも、朦朧とした意識でそれを手に取る。

自分に余裕がないからか、不思議と店員の目も気にならなかった。


















出会いは運命的でもなく、ロマンチックでもなんでもなかった。

バイト先の喫茶店によく顔を見せるお客さんの一人。

落ち着いた暗めの店内に、店長の趣味で流れるクラシック。

私のバイト先は知る人ぞ知る穴場の喫茶店で、来る人は静かな時間を求める年配の人が多い。

その中で、月に一度か二度顔を見せる金髪を逆立てた体格のいい男の人がいる。

あまりに一目を引く整った容姿と逞しい体格。おのずと顔を覚えてしまった常連さんの一人。

彼が通い始めるようになって、半年ほどだろうか。

いつも一人で来ていた彼が、初めて連れてきたのが影慶、だった。














出会いは運命的でもなく、けれどどこか必然のように思えた。

大したきっかけもなく私は彼に惹かれ、彼もまた私を思ってくれた。

付き合い始めるのにそう時間が掛からず、深い仲になったのは半年前のこと。













「うそ・・・・・」








手に持っていた検査薬が震える。

結果は陽性。

憎たらしいほどに明るい赤色。





『妊娠』





その二文字が重く、重く圧し掛かる。

途端に気分が悪くなったような気がして、そのままトイレで吐いた。

連絡なんて出来るわけがない。



彼は、男塾の塾生だ。



よくは分からないけど、とても危険な世界に生きているらしい。

本来ならば女性と付き合うことなど許されるはずもなく。

彼と表立って歩いたことはない。人知れず逢瀬を重ねることだけが許された。

もし二人の関係が知れれば、人質に取られる危険性もあるらしい。

そんな中でまさか、妊娠したなんて言えるわけがない。







腹の底から吐き気が込み上げてくる。

何度も何度も吐いて、嗚咽で呼吸が出来ないほどだった。






「どうしよう・・・・・」






答えなんて、最初から決まっているはずだった。

なのに、その言葉を出すことを拒んでいる。






「どうしよう・・・・・」







影慶、と愛しい人の名を呼ぶ。

月に一度、会えるかどうかのあの人への連絡方法を私は知らない。

いつも連絡は彼からで、私はただ待つだけだから。

待つ身が辛くて、独りは嫌だと泣く日々を重ねたからこんなことになったのだろうか・・・・・?











反射的に、家を飛び出した。

狭いアパートの中で、一人考え込んでいることに我慢が出来なかった。

誰でもいい、話を聞いて欲しかった。














真夜中、誰一人すれ違うこともなく、何も考えずにただ走った。

案の定、息がすぐに上がって歩き出す。

下腹部が、妙に熱くなった気がする。

命が、ここにもう一つ命が在るのだろうか。

私は、その命を、













「貴様、此処で何をしている」





「え・・・?」










こんな時間に声を掛けられて、咄嗟に身構える。

視線に映った先には、あまりに大きな影。







「貴様は確か影慶の・・・・・」








その呟きを聞いて、びくりと肩が震えた。

さっき止まったはずの涙が再び流れ出す。

その様を、その男は驚いたように目を見開いて見ていた。









途切れる意識と共に、私はその場に崩れ落ちた。


















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ネタがネタだけにどうかなと思いましたが・・・・
Jと同じく拍手連載。
一応このヒロイン、影慶さん家の家庭の事情のお母さんです。
イメージ的には売れない芸人を影で支えて超売れっ子になるまで
見守った一般人OLのような・・・(笑)