例えいつどうなるか分からぬ身であろうとも、

今、この時だけでも君が笑ってくれたなら、














願うは君












その日はとても天気が良く、手際良く洗濯物を終えたは、仕事に勤しんでいる同居人達の為にお茶でもいれようかと思い立った。

軍隊のように規則正しい生活をしている彼らのタイムスケジュールはもう頭に入っている。

今頃邪鬼の執務室で各々書類に向き合っていることだろう。

男塾ではその運営や資金繰りですら各塾生に委ねられている。

その中でも全ての塾生をまとめる彼らはその全容を知らないや一号生が思うよりもずっと忙しかった。

苦手な書類に大声で文句を言いながら頭を抱える卍丸の姿を想像して少し笑う。

途中で逃げ出すのが十八番だそうで、いつも誰かに見張られている姿はまるで幼い子供のようだ。



「ええと、センクウさんと羅刹さんが紅茶で、」


邪鬼と影慶と卍丸がコーヒー派、それはついこの間教えてもらったこと。

羅刹は本当はどちらでもいいらしいが、ブラックでのコーヒーは苦手らしい。

以前それを卍丸に女子供のようだと揶揄されて以来、センクウと共に紅茶を飲むようになったという話だ。

苦いものが苦手なんてなんだかかわいらしい、そう言ったら本人にものすごい苦い顔をされたのは記憶に新しい。

紅茶の美味しい淹れ方はセンクウに習った。優しい笑顔に似合わず採点の厳しいものだったけれど合格点の貰えた紅茶は自分で淹れたことを差し引いても美味しかった。

イギリス流の淹れ方は自分だけなら面倒だけど、誰かの為に淹れるなら不思議と面倒だなんて思わない。

それは掃除や洗濯などの家事なども同様で。



「そうだ、お茶菓子もいるよね」



今まで普通の女子高生として暮らしてきて、作れるものなんて微々たるものだけど。

あまりお菓子などを口にしたことがない彼らには簡単なものでさえ喜んでもらえる。

影慶と邪鬼に蜂蜜をたっぷりとかけたホットケーキを出した時は二人とも黙々とそれを口に運びあっという間に完食してしまった。

二人の食べた感想は、「美味い」「甘い」の二つだけ。

けれど次の日から、台所にそれとなく小麦粉やホットケーキミックス、バターなどお菓子の材料になるようなものが積まれているところを見ると、大層気に入ってもらえたようだ。





「あ、パンの耳がある」


台所にある食材を見渡すと、常備されている食料と共に大量のパンの耳の袋詰めが置かれていた。

塾生の何人かが定期的にパンの耳を近所のパン屋からもらってきているらしい。

塾の全員が修業中の力士並に食べる、食べる。食費や食材調達は幹部が常に頭を抱えている悩みの一つだ。

こんなものでも彼らにとっては立派なおやつ。

体格のいい塾生たちが揃ってパンの耳をかじっているのは泣けてくるやら笑えるやら。




「そうだ、これでおやつ作ろう!」




せめて少しでもおやつらしくなればと、思いついたのはパンの耳を油で揚げて砂糖をまぶして作る簡単な揚げパン。

カリカリに揚げて砂糖をまぶすとラスクみたいで美味しいのだ。

日持ちもするし、他の塾生の分も作って置いておこうと、早速準備に取り掛かる。

中華鍋に油を注ぎ、溶いた卵と牛乳に少しだけ浸してさっと揚げる。

パンの耳が冷めない内に砂糖をかけて完成。




「こんなもんかなー」




男塾での食事作りはいかに低コストで仕上げるかにかかってる。

その点、これは合格だろう。





影慶や卍丸には少し甘すぎるかもしれないけれど、そこはご愛敬。

糖分は絶対に必要だし、その分濃い目のコーヒーを用意すればいい。

毎日少しずつ新しい発見がある。ほんの些細な彼らの日常を共有できることが、今は嬉しい。

喜んでくれるだろうか、と毎日誰かの為になにかをすることがこんなにも楽しいだなんて思いもしなかったことだ。

それはまるで好きな人にプレゼントを考える乙女のよう。

少しくすぐったいけれど恋する気持ちにも似たこの感覚を、今は大事にしたい。

















用意したものを全て配膳カートに乗せてガラガラと引いて、執務室の前に向かう。

廊下にその音がずっと響いていたのだろう。ひょいっと扉から顔を出したのは卍丸だ。



「おう、休憩か!待ってたぜ〜」

「卍丸さん、お仕事終わったんですか?」

「あ?終わるわけねーだろ、あの量だぜ?」

「えっ」

「終えていないなら、勝手に席を立つなと言っておいたはずだがな?」



卍丸の軽い言葉に答えたのはではなくセンクウだった。

冷たい視線、若干声が低いのは気のせいではないだろう。

口を尖らせて言い訳をしようとする卍丸とセンクウの間に慌てて入る。



「あの!用意してきたんで休憩しませんか!」

「ああ、、ありがとう」

、ほれ、入れ」




さすがの代わり身というか。睨み合っていた二人がこちらを向いた時にはそんな雰囲気微塵も見せない。

塾生はみんな見かけよりもずっと年相応らしく、子供っぽいところもあると知っている部外者が果たして何人いるだろうか。

世間で男塾塾生がまるで村八分のような扱いを受けていると知った時は憤慨したけれど、彼らの優しい面を知っているのは自分を含む一部だと思うと少しだけ優越を感じる。

外見に見合わず優しい人たちを一人占めしているのだから。









「失礼します」




扉を押さえてくれている二人の横を通り抜け、カートを押しながら邪鬼の机の前に立つ。

部屋にいた邪鬼・羅刹は揃って顔を上げ、仕事の手を止めた。



「お茶を淹れたので、休憩しませんか?」

「有り難い。丁度喉が渇いていたところだ」


間髪入れず腰を上げたのは羅刹。卍丸と一緒でデスクワークが苦手な彼は、真面目で少しも仕事の手を抜かない。が、要領が悪いのだ。

それが仇となり、結局いつも最後まで仕事をしていたりするのだが、今日はそこそこはかどっているらしい。

書類を簡単に机の脇にまとめ、若者らしからぬため息を吐く。



、いい匂いがしているようだが」

「はい、今日はパンの耳でおやつをつくってみました」



食べ物に興味を示したのは邪鬼で、番の耳の揚げパンを見せると嬉しそうに喉を鳴らした。

それは帝王としての邪鬼ではなく、少年のような仕草でつられて笑ってしまう。




唯一仕事の手を休めないのは影慶。

最初の頃は邪魔だったのかとビクビクしたけれど、それが奉仕されることに慣れていない照れ隠しなのだと知った今では遠慮することもない。


「影慶さんもどうぞ」

「ああ・・・・すまん」


邪魔にならない場所にコーヒーを置くと、少しだけ顔を上げてお礼を言ってくれる。

包帯が巻かれた腕はほとんと触れてくることはないけれど、の前では纏う空気は少しだけ柔らかだ。




「おー、これ美味ぇな!」

「工夫一つでこんなに美味しくなるとはな」



早速パンを口に入れているセンクウと卍丸にもそれぞれ飲み物を用意してしばしのティータイム。

影慶以外はぽんぽんと口に入れている。どうやら気に入ってもらえたらしい。



「影慶、貴様も食え」

「いえ、俺は」



おやつに手を出そうとしない影慶を見かねて邪鬼が声をかける。

けれど影慶はただ首を横に振る。



「あの、やっぱり甘いものダメでした?」

「いや、そうではない」

「ああ、手掴みだから食えんのか」



思いついたようにそう呟いた羅刹に、視線が影慶の手の包帯に向く。

毒手では手掴みで食べ物を掴むことは例え包帯越しでも出来ない。

そう気付いて自分の配慮の無さに気付く。せっかく皆に喜んでもらえると思っていたに爪が甘かった。



「すいません、私気付かなくて・・・」

「いや、お前が気にすることではない」



皆食べてくれているのに、影慶一人だけ食べられないのは申し訳ない。

かと言って、お箸でパンを食べるのもおかしな話で。

どうしよう、と困り顔になったに声をかけたのは卍丸だった。


「だったらよぅ、が食べさせてやりゃあいいじゃねぇか」


笑いの混じったその声は若干の悪巧みも含まれている。

何を言うんだ、と羅刹と影慶が声を上げる前に、バッと顔を上げたのはで。




「そうですよね!!」

名案といわんばかりに、パンを手にした

その言葉と行動はその場にいた全員の動きを止める。


「はい、影慶さんどうぞ」


にこにこと口元にパンを差し出すに絶句する影慶。

驚きに目を見張る邪鬼と、しくじったと顔を顰める卍丸、そしてそんな卍丸を睨みつけるセンクウと羅刹。

そんな中でだけが屈託のない笑顔を見せる。



に悪気がないと分かっているだけに彼女を悲しませたくない影慶は、この後の揶揄や冷遇を覚悟の上で、に触れないよう、口を開く。

そっと口にいれたそれは、卵と牛乳と砂糖の素朴でほんのりと優しい味がした。まるで、そのものような。




「中々大胆だな、


センクウの嫉妬混じりに放たれた言葉に、ようやくが己の行動に気付く。



「え!あ!ご、ごめんなさい!あの、ただ食べて欲しくて」

「分かっている、そう慌てるな」

「影慶だけってのはずるいんじゃねぇかぁ?、俺も」

「まま、卍丸さん!」




口を開いて待っている卍丸に、どうしよう、慌てる

部屋の中に湧き上がった笑いにの顔がみるみる内に赤くなっていく。







「・・・放っておけん女だ」

「全くですな」



やれやれと呟いたのは邪鬼で、相槌を打つのは羅刹。

影慶は照れているのをごまかすように、コーヒーに口をつけている。













いつかは必ず来る別れだけれど、許されるならもう少しだけ。

こんなにも優しい女を、この腕に閉じ込めておきたい。

の笑顔を自分達だけのものに。












邪鬼はの笑顔をこちらに向けようと、静かに腕を伸ばした。






もっともっと、君を知りたい。