こんなにも己が情けないと思ったことはない。

こんなにも己が無力だと悟ったことはない。







こんなにも己が弱かったのだと、今はっきりと思い知らされた。











序曲3
















影慶の左腕の中には、今生まれた温かな小さな温もりがあった。

影慶の右腕には冷たくなった妻の身体があった。

影慶は泣いた。

ただ泣いた。嗚咽した。叫んだ。妻の名を呼んだ。




それは喜びであり深い悲しみであった。

生まれた命への愛しさと還らぬ命への慟哭であった。












子供を産めば、命が危ない、そう医者に言われたのは臨月を迎えた頃だった。

影慶は珍しくうろたえた。どちらの命もかけがえのない、これから影慶が生きていく上で絶対的に必要なものだったから。

けれど妻は言った。

はっきりと、「私は生みます」と。

それは以前の泣き虫だった妻からは考えられない言葉だった。

母なった女は強い。それは邪鬼が以前もらした言葉だった。

もう子と己の存在を否定されることを怖がり泣いていた、あの頃のではなかった。









「何故だ・・・何故・・・・・!!」








脳裏に思いだされるのはあの運命の日、邪鬼に突然呼ばれあるホテルに向かった晩のことだった。

妊娠したことに動揺し倒れたが、邪鬼によって保護されていたのだ。

扉の向こうから聞こえる邪鬼との会話は、影慶を激しく動揺させた。






「俺は席を外す。心ゆくまで話し合うがいい」







いつの間にか開かれた襖、そう邪鬼に背を押され、滑り込んだ部屋の中には少し痩せたの姿が会った。

前に会ったのは三週間前だったか、一か月前だっただろうか。

本来ならばすぐにでも抱き寄せてやりたいのに、それができない。

答えなど問われるまでもないのにそれが舌の根が渇いて言葉が声にならない。






「影慶・・・あのね」





が泣き声のようなか細い声で、影慶の名を呼んだ。

右手がそっとこちらに伸び、百合のように儚く白い左手は何かを護るように腹部に添えられている。




「ごめんね・・・影慶が迷惑でも・・・私・・・生みたいの・・・・」

「何を言って、

「ごめんなさい。ごめんね、ごめんなさい」




小さく、小さく、何度も、何度も、

は謝り続けた。

影慶には何故が謝るのか理解出来なかった。




全てが理解出来なかった。






「何故謝る!?」


影慶はの身体を思い切り引き寄せ、抱き締めた。

腕の中にある身体はひどく冷えて、まるで人形を抱いているようだ。




「俺の傍を離れるというのか!?俺がお前を捨てるとそう思っているのか!!
俺はそれほど頼りないか!何故謝る!?俺を捨てるのか、!!」



「違、ちがぅ、えぃけ・・・」


「俺はお前を放すつもりはない!この腕から逃がすつもりはない!
例えお前が俺を見限ったとしても!それでもだ!!傍にいる!離れるつもりなどない!」


「影慶・・・・私、生んでもいい?傍にいても、いい?」


「子なら好きなだけ産めばいい!全て俺が抱いてやる!お前も子も抱いてやる!ずっと二人で!」


「ぇい・・・けぃ・・・影慶!!」






は泣いた。ボロボロと大きな瞳を真っ赤にさせて、影慶の腕の中で声を上げて泣いた。

震える肩をただただ抱きしめ、影慶もまた、泣いた。

そして誓った。

生涯、と子を守り抜くことを。
















その決意には一遍の曇りも戸惑いもなかった。

嘘偽りなく、初めて影慶は神というものに誓いを立てた。

































影慶の左腕の中には、今生まれた温かな小さな温もりがあった。

影慶の右腕には冷たくなった妻の身体があった。

影慶は泣いた。

ただ泣いた。嗚咽した。叫んだ。妻の名を呼んだ。




それは喜びであり深い悲しみであった。

生まれた命への愛しさと還らぬ命への慟哭であった。













影慶には選べなかった。

選べるはずもなかった。

あの時生むなと言っていれば、は今も影慶が好きな笑顔で笑ってくれただろう。

だがもし生むなと言っていれば、腕の中のこの小さな命を奪っていたことになるのだ。

あまりに小さな、この温もりが存在しなかったなどと、そんな悲しいことがあるだろうか。




影慶が描いた未来には三人の人間が存在していた。

その内の誰一人として、欠けてはならない大切な命だった。






・・・・俺は護る・・・・この子を・・・必ず・・・・・」






声は掠れて天に召されたには届かなかったかもしれない。

もう決して握り返してはくれない手に力を込めて影慶は叫ぶ。




「護る!だから見守っていてくれ!!俺を決して独りにしないでくれ!!ずっと傍に!二人でずっと!!」



それはかつて影慶が誓った言葉だった。

影慶の後ろでは死天王と邪鬼がいる。

涙を見せることの許されない男塾で育った仲間達がどんな風に自分を見ているのかさえ気にならなかった。

死天王の将、として許されない弱さだ。だが誰も咎めはしなかった。












影慶は、ゆっくりと涙に濡れた唇をの唇に押しつけた。

それが二人の最後の口付けとなった。









二人の別れを悲しむかのように、腕の中の存在がおぎゃあと泣き声を上げた。


























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ギャグ編と辻褄が合わない部分がありますが、その内修正しますので、あまり気にしない下さると助かります。
あとがき(スクロール↓)
三号生が卒業直前・煌鬼が影慶の娘ヒロインより年上という設定を踏まえて、既に邪鬼様が結婚していることに
してしまいました。ちなみに邪鬼様の奥さんはまんま”賭け”のヒロインです。

男塾一周年で「序曲」の続きを読みたいとのリクを頂き、執筆しました。遅すぎですね、すいません。
どうして影慶以外の死天王と邪鬼様がこれほどまでに影慶の娘を愛するのかなんとなく感じて頂ければと。
リクを下さったお二方ありがとうございました!

七夕らしい悲恋的なお話が書けたかと・・・これでこのシリーズ人気が下がらなければいいのですが;;
(ギャグが売りだったので)