「俺は認めない」




二人きりの部屋に殺気の篭った低い声が響く。

それはそうだろう、とは思った。

それが当然なのだ。

おかしいのは、あの男で。









賭け 1.5













男塾総代である邪鬼が、女を一人連れ帰ったのは太陽の昇りきらない朝方だった。

緊急の大豪院家からの呼び出しで、一人で外出したのだ。

さすがに財閥でもある実家からの呼び出しに死天王や他の塾生が付いて行くわけには行かない。

卒業後、跡取りになることが決まっていた邪鬼にはこういった呼び出しはそう珍しいものではなかった。

別段変わった様子もなく、いつものように影慶は邪鬼は送り出したのが、一昨日のことである。










二日ぶりにあった主君ともいうべき邪鬼が、何か白いものを抱えてきたのを影慶は当然の如く迎えた。

最初は何を抱えているのか分からなかった。だからいつものように迎えたのだ。



「邪鬼様、お帰りなさいませ」

「うむ。留守の間変わりはないか?」

「はっ、別段」

「そうか・・・・影慶、頼みがあるのだが」

「はっ?」






影慶の様子を伺うように、邪鬼は一つ咳払いをした。

邪鬼の言いつけならばそれがどんなことでも実行する、それが死天王の将影慶という男である。

邪鬼も周囲もそれをよく知っている。

そのはずなのに、邪鬼は帝王らしからぬ態度で影慶の反応を気にしていた。

いつものように、命令をすればいいだけなのに。




「邪鬼様?」

「影慶・・・・・俺の部屋に包帯と新しいシーツを用意しておいてくれ」

「はっ!?邪鬼様どこかお怪我でも!?」

「いや、俺ではなく、これがな」



慌てて主君を見るも、怪我などしていない。

そしてその主君の目線は白い布に包まれた腕の中に注がれている。

そこには、白い肌をした女が一人、死んだように眠っていた。







「じゃ、邪鬼様!!これは!!」

「俺の嫁・・・になる女だ」

「嫁!?」

「俺はそう決めている」




そう言い放った邪鬼に、しばし影慶は呆気に取られた。

決めている、とはどういうことなのか?

呼び出しがあったのは邪鬼に縁談があったということなのか?

その邪鬼の妻になるという女が何故血の気の失せた顔で邪鬼の腕の中にいるのか?

どうして女人禁制である男塾にその女を連れて帰ってきたのか?




一気に沸き上げる疑問を口にしようとした時、静かに邪鬼の手によってそれを制された。



「影慶よ・・・・貴様の言いたい事は予想がつく。だがそれよりもまずの身が大事だ。
他の者に気付かれぬよう、を俺の部屋に運ぶ。手伝え」




命令系で言われれば、影慶はそれに従う他ない。

先ほどまでの影慶の様子を伺う態度が失せ、そう言い切った邪鬼の中でどうやら結論が出たらしい。

何がなんでもその、と呼ばれた女を天動宮に連れて行くということだ。

















早朝だというのが幸いしたようで、誰にも気付かれぬようを邪鬼の部屋に運ぶことに成功した。

素早く新しいシーツを用意し、邪鬼がそこにを寝かせる。

通常のサイズの5倍はあろうかという特注のベットに、寝かせられた女はどうやらあちこちに怪我をしているらしかった。

先ほどまで白い布で包まれて見えなかった女の白い肌には痛々しい包帯が巻かれている。





「誘拐でもされたのですか?」




影慶は一番妥当だと思う展開を頭に思い浮かべ、素直に口にした。

それは大豪院家の失脚を目論んだ輩が邪鬼の婚約者を誘拐し、邪鬼を呼び出したという筋書きだ。

そして邪鬼はその呼び出しに応じ出かけ、女を奪還しそのまま連れ帰ってきた。


この場では多少の違いはあろうとも、粗方そんなことだろうと思ったがその言葉を聞いて邪鬼は静かに笑った。






「くくくっ、影慶よ。それくらいの可愛げがあれば俺も苦労はせんのだがな・・・」

「は?では一体何があったというのですか?」

「説明はし難い。が、何があってもこの女は俺の嫁だ。それだけは肝に銘じておけ」

「・・・御意」




邪鬼の静かな声に影慶はとっさにベットから距離を置いた。

邪鬼の言葉はこの女に何かあれば承知しない、ということだ。

静かに女の髪を撫でる仕草は、愛しくてたまらない、そう言った風に見える。







「怪我が治るまでは此処に置く。異例だろうが・・・塾長には俺が説明をする。
あの塾長のことよ、今頃は庭で槍でも振るっていよう。影慶、を頼む」

「・・・・これから行かれるのですか?」

「説明は早い方が良い。後回しにすればそれだけ面倒増え、理解も得難くなろう」

「はっ!」

「今は薬で眠っている。しばらくは目を覚まさんと思うが、頼んだぞ」

「承知致しました」







音を立てずに扉を閉めて出かけた邪鬼の心遣いに、それほどまでに大事な相手なのかと女を見る。

青白い肌は本当に生きているのかと疑いたくなるが、鍛えられた影慶の耳には確かに息遣いが伝わってくる。

格別に美しいというよりは儚い、と言った方が正しいか。

血が滲んだ包帯は痛々しいが、それを除けばただの女のように見える。

冷静に女を観察していたところで、影慶は女の手に気付いた。

性格にはその右手の硬さに。

触れることはしなかったが、その右手をじっくりと観察する。

普通ならばありえない箇所に出来た肉刺や皮の擦り切れた後はどう見ても武器によるものだ。

それも誰かに付けられたものではなく、武器の使用による日々の鍛錬の結果出来るもの。

要するにこの女は武術に精通しているということになる。

大豪院家の嫁、というのはどうやらただのお嬢さんではないらしい。






もしこれが邪鬼によって「嫁」という言葉を聞いていなかったのだとしたら。

影慶は即座にこの女を叩き起こし、その首に刀を当てて邪鬼に近づいた真意を質そうとするだろう。

女を武器に近づいてくる暗殺者や間者など何処にでもいる。

影慶がそれに気付くと知っていて、わざと邪鬼は「嫁」という言葉を使ったのだろうか。

だとしたら本当にこの女は邪鬼の「嫁」になる女なのか。

引っかかるのは「俺はそう決めている」という邪鬼の言葉。

邪鬼がそう決めているのだとしたら、誰がそれに異を唱えるというのか。

大豪院家がそれを認めていないのだろうか。

だから家に連れて行かずに、認められないと知りながらも男塾に連れて帰ったのか。







思案に思案を重ねていた影慶は、女がくぐもった声を上げたのに思わず顔を上げた。

薬が切れたのか、女はゆっくりと瞼を開き、影慶を見た。




「気が付かれましたか、様」





影慶はなんと呼ぶべきか迷いとっさにそう言った。

なんと言っても邪鬼の嫁になる女である。影慶は最大の礼儀を尽くしたつもりだった。

だが、



「誰だ貴様は!!!」





女の口から出たことは、影慶の予想とは反するものだった。

放たれる常人とは思えないほどの殺気、痛々しい身体を咄嗟に起こし、拳を構える女。




(なんなんだ、この女は・・・・・)









影慶はただ愕然とするのみだった。




















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賭けの1話と2話の間です。