穏やかで優しい声が、私を呼んだ。

振り向けば薄く頬笑み手を差し出す、斉藤さん。

私が頷いてその手を取れば、障子の向こうに昇りきった太陽が見えた。













これが最後の選択肢













萩屋は幕府方御用達の高級旅館で、京の都では最も古い歴史を持つ。

広い庭園の中、人の手によって整頓された木々達は四季折々の様相を見せる。

もうすぐ紅葉が色づく、そう言って斉藤さんは私を庭へと連れ立った。







「萩屋の主人の話では、この庭の全ての木が紅葉で真っ赤に染まるそうだ」


斉藤さんが見上げた先には、少しだけ先が赤く染まりつつあるもみじがあった。

桜の花も似合うと思ったけれど、秋の風景も物静かなこの人には似合う。

そう思って、それからもう一人、新撰組で秋が似合いそうな人が頭の中に過ぎって、私は視線を地に落とした。




「どうした」




温かな指先が頬に触れる。角ばった指にいくつもの竹刀だこ。

大切なものを慈しむかのように、上下に動く指先が、ひどく優しい。





「斉藤さん・・・・いいえ」





うまく、笑えただろうか。

口元を上げて微笑んだつもりだったけれど、斉藤さんは目細めた。

どうやら駄目だったらしい。また、心配させてしまう。





「無理をしなくてもいい。時期に・・・忘れる」





何を、とは言わなかった。

何もかも覆うような斉藤さんの優しさは、きっと誰にでも与えられるものじゃない。

それに甘えてしまう自分が嫌い。

でもその優しさがなければ、今、こうして此処に立っていることさえ出来なかったかもしれない。







、これは・・・・・本当に捨ててもいいのか?」






懐から取り出されたものに、私は眼を逸らした。

無残にも二つに折られてしまった、紅い簪。

胸元を握りしめて頷くと、承知した、と低い声がする。





「俺が、護る」





どん、と胸にかすかな衝撃。

続いてじわりと心に沁みるような温かさ、斉藤さんに抱き締められているのだと気付いた。

腰に回った手、耳に掛かる吐息、頬に触れ合う感触。

この人はこんな風に女性を抱きしめるんだ、そんなことを頭の隅で思った。


そして、


じゃあ、


あの人は、


どんな風に女性を抱きしめるんだろうか、


そんなことを今この状況で考えてしまう、


自分が、


大嫌い。










「斉藤さん」




彼の名前を呼ぶ。その度に、彼は私を抱きしめる力を強くする。




「斉藤さん」



重なる息が、熱い。触れる箇所、全てが、




「斉藤さん」




満たしてしまえばいい、この人で自分の中を。

そうすればあっという間に、この胸の中に刺さった棘など消えてしまうだろう。

それはとても卑怯な方法。

壺の中にある手の届かないビードロを無理やり水を注ぎ込んで流してしまうようなもの。

流されたビードロはどこにいくのだろうなんて、考えてはいけない。










二つに分かれた簪が、土の上に落ちた。

私はそれを目で追ったけれど、斉藤さんの強い束縛に、それを拾うことは許されなかった。

鮮やかな紅色の玉、この庭の木々もやがてこんな色に染まるのだろうか。

ならば私は秋が来るたびに、彼の人の事を思い出すのだろう。



秋が、嫌いになりそう。




そんなことを黒い着物に額を押しつけて考えていると、不意に束縛が弱くなった。






「・・・・・伝令か?」


その言葉に、新撰組の誰かが来たのだろうと、慌てて身体を離そうと動く。

けれど斉藤さんは動かない。まるで敵が来たかのように、僅かに殺気だっている。



「さ、斉藤さん・・?」



慌てて顔を上げる――――――――本当に、息が止まるかと思った。






庭の中には私と、斉藤さんともう一人、

色づきかけた赤と緑の風景を纏った、

彼の人が立っていた。












「山崎、さん・・・・・・」
















ああ、やはりこの人には、



秋が、似合う。




















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補足:ビードロ=ビー玉