ほんの少しの仕草が、 ほんの少しの行動が、 どれほど俺を狂わせるか、 君は知らずにいてほしい。 「届かなくてもいい」なんて嘘 2いつの間にこんなにも深入りしてしまったんだろうか。 君の一挙一動に動揺して、戸惑って、乱れる心が己にあることなんて知らなかった。 捕虜の身であるはずの君が、いつの間にか幹部に信頼され愛されている。 それはとても喜ばしいことだ。 日々殺伐とした毎日を送る隊士に心の安らぎがあるということは、新撰組とっていいことのはずだ。 それを素直に喜べないのは、己に卑しい気持ちがあるからだ。 それを受け入れられないのは、己が未熟であるからだ。 最初に思ったじゃないか。 関わらない方がいい、と。 それを忘れ、愚かにも好意を持ち、その好意は既に執着へと変わりつつある。 遠くから見る、君の笑顔が曇らなければいいと思っていた。 やがて笑顔を近くで見たいと望んだ。 いつの間にかその笑顔を自分だけにと、願ってしまった。 身分不相応な願いを抱く浅ましい男。 時代が流れ、新撰組を取り巻く情勢が劇的に変わっていく最中、俺は君に捕らわれた。 いや、それはいい。 俺のことなどどうでもいい。 ただ俺が、 俺が君を捕える、それだけはあってはならないことだ。 絶対に、 絶対に。 任務を終え一人屯所に戻った山崎は、真っ先に土方の元へ向かった。 相変わらずの渋面で眉間に皺を寄せた鬼の副長は、山崎の言葉に静かに耳を傾ける。 「ったく、どうしてこうお偉いさんは頭が固いかねぇ」 「動きが遅いのは致し方ないかと」 「ま、ここで愚痴っても仕方ねぇ。御苦労だった山崎君。引き続き任務に当たってくれ」 「御意」 一礼し、退室し廊下に出るとすぐに島田に会った。 どうやら彼も土方に報告があったらしい。 「御苦労さまです、山崎君」 「お疲れ様です。島田さんも副長に?」 「ええ、これから。ああ、そうだ、君が話をしたそうでしたよ」 「・・・・・俺と?」 「ええ、ほら、今日あの簪差してましてね。よく似合ってましたよ」 お礼が言いたいんじゃないですか、と笑う島田に曖昧に頷く。 ここで行けばまた、情が重なる。 とりあえず自室へ戻ろうと、方向転換すると島田に呼び止められた。 「あれ、君の所へ行かないんですか?」 「どうせ、夕餉の時に会うでしょう」 「そりゃあ、そうですか」 不思議そうに目を瞬かせる島田を置いて、今度こそ自室へ戻る。 彼女の元へ行く気はなくなっていた。 ほどなくして、夕餉の時間となり、山崎は居間へ足を運んだ。 狭い邸に大勢が暮らしている屯所では、食事一つもおおごとである。 主に新米隊士が給仕の仕事をしているが、その中には当たり前のようにの姿があった。 はいつも原田や藤堂に囲まれて座る。 幹部より少し離れた席に着くと、その横には井上が座った。 井上はいつも平隊士と席を共にし、話を聞いたり相談に乗ったりしている。 とりわけ若い隊士からの信頼が厚い。 人の良さそうな笑顔を浮かべた井上は山崎に軽く会釈すると、の名前を叫んだ。 「君、こっちにも頼むよ」 ひらひらと手を振った先に、の笑顔が花のように広がるのが遠目でも分かる。 ぱたぱたと足音を立てて、米が盛られた茶碗が二つ井上と山崎の前に置かれた。 「はい、どうぞ井上さん。山崎さん、おかえりなさい」 「おお、ありがと。こりゃあ旨そうだ」 笑顔に笑顔で返す井上に対し、山崎は無言で視線を逸らした。 ほんの少し視界に映った黒い髪の上に、控え目な紅い簪の玉が揺れている。 「あの、山崎さん・・・・」 が何か言いたそうに、口元を袖で隠してこちらを見ている。 真っ直ぐ目を見て聞いてやりたい衝動に駆られたがぐっとそれを押さえつける。 これ以上、関わればきっと欲しくなる。 望んではいけないものを、望みたくなるのは目に見えている。 振り向こうとしない山崎を怪訝に思ったのか、の瞳が不安で揺れているのが、分かった。 顔を見なくても、あまりに素直に感情を表す彼女の心情を図るのはいともたやすい。 井上が何か言いたそうにしていたが、それすらも気付かぬふりをした。 「おーい、、こっちも飯くれ〜〜」 その沈黙を破るように永倉がを呼んだ。 が一瞬躊躇するように山崎に視線を投げつけた。 だが、それに応えるような真似は、もう、しない。 を呼ぶ声が何度か響き、彼女はその声に応えてまたぱたぱたと駆けていった。 沈黙の最中、刺すような胸の痛みを覚えていた山崎は小さく息を吐いた。 「何かあったのか、山崎君」 「・・・・・いえ、別段」 「そうかい?でもね、武士たる者、女の子を泣かせるようなことはあっちゃいけないよ」 「心得てます」 さすが年の功と言ったところか、あれこれと聞かない井上だったがあまり納得はしていないようだった。 彼女を泣かせない為に、これ以上関わることを止めたのだ、と説明しても分かってはもらえないだろう。 永倉や原田のように時に暴走するような感情の起伏は山崎にはないものだ。 それは監察、とりわけ隠密方として訓練した上でのことで、決して感情の波が無いわけではない。 感情も、劣情も、山崎の中に常に存在している。 彼女に触れる度増殖していく己の中の劣情が、いつかを傷つけることを、山崎は何より恐れていた。 あんなものを、やらなければよかったのだ。 口にした食事はこの上なく不味いものだった。 早々に食事を終え、他の隊士達よりも一足先に居間を後にした山崎は、小さな声に呼び止めれた。 振り向くまでもない、足を止め、けれど振り向かずに、彼女に背を向けたまま口を開く。 「何か用か」 「あ、あの・・・簪のお礼が言いたくて・・・」 「そんなものは必要無い」 「でも!私は・・・・嬉しかったから、あの、・・・大事にします、だから」 声が震えている。瞼には今にも落ちそうな滴が、彼女の瞳を濡らしている。 泣かせたくはない。けれど今なら、この程度の傷で済むのだ。 「もう、用は済んだか」 「あの!私何かしましたか!?」 今度こそ、彼女の瞳から涙が零れ落ちた。 その涙を拭ってやりたいと、動きかけた拳を諌めるようにきつく握りこむ。 「大事になど、しなくていい」 「山崎さん?」 「こんなもの、」 の髪から、すばやく簪を引き抜いた。 あ、という悲鳴にも似た声が上がる。 それに構わず、簪に僅かな力を込めると、いとも簡単にそれは小さな音を立て二つに割れた。 「や・・・・・なんで・・・・・」 の肩が震える。山崎の手から割れた簪が零れ落ちた。 がしゃがみ込んで簪を拾う。その様を一瞥すると、山崎は足音を立てずに廊下を走って自室に戻った。 「やめてくれ・・・・」 どうして、たかが俺などがあげた物であんなにも涙を流すのか。 の震えた声と、涙が山崎の五感を縛りつける。 彼女は山崎を非難するでも、嫌悪するでもなく、ただ目の前の現実に涙していた。 「これでいい、・・・・・・はずだ、」 手を伸ばせば、壊すだろう。 けれど、 この手が届かなくていいなんていうのは、 きっと、 嘘だ。 |