走馬灯を見るほどの思い出が己にはない。 己の行く先を思い、大阪の家を飛び出して土方ら壬生浪士に出逢ってから、何年経っただろう。 様々な出会いがあった。同志が出来ては死んで逝き、その屍の上を歩いてきた。後悔は、無い。 走馬灯を見るほどの執着が己にはない。 ずっとそう思っていた。 そうでなければならないと自制し続けてきた。 そのはずなのに。 何故だろう、 死を前にして、頭を過ぎるのが、 君との思い出ばかりなんて。 躊躇いの日々に手を振って心臓が動く音、身体に血が巡る感覚、そして誰かが自分を呼ぶ声。 肢体の感覚を確かめるように動かした指先に、生暖かい感触を覚えて山崎は意識を浮上させた。 どうやら、生きているらしい。 斉藤はどうなっただろう。彼女は・・・・・・ ゆっくりと身体を起こす。疲労感はあるが、どこも痛んではいないようだ。 指先の感触の正体を確かめようと瞼を開く。 「山崎さん!良かった・・・・・目を覚ましたんですね」 「・・・・君・・・?」 ぽろぽろと泣き出してしまう。握られたままの手に縋りつくように彼女は涙を流した。 その肩に、触れようとして思い留まる。動きかけた左手が宙に浮いた。 「――――――起きたか」 まるでに触れることを阻むように、障子が開いた先には斉藤が立っていた。 先ほどのような殺気はなく、表情は読めない。 慌てて手を引こうとするが、は両手で山崎の右手を握りしめ離そうとはしなかった。 「斉藤組長・・・・俺は、」 「案ずるな。気を失っていたのは二刻ほどだ」 「そう・・・・ですか・・・・」 「謝るつもりはない。こうでもしなければお前の本音を引き出すことは出来なかっただろう」 「!」 斉藤から出た予想外の言葉に山崎はたじろいだ。 本音、俺は最後の瞬間何を言っただろうか。 それは決して音にしてはならない―――――、 「武士に二言はない。そうだな、山崎君」 動揺する山崎を見透かしたように、斉藤は追い打ちをかける。 そして泣きじゃくるの頭を軽く撫で、優しく微笑んだ。 「新しい簪を買って貰え。それから、甘味も好きなだけ」 「さい・・・とう・・さん・・・」 「山崎君、俺は負けたつもりはない。 もしまたを泣かせるようなことがあれば、容赦なく・・・・奪う」 鋭い眼光が山崎を射抜く。 だが今度は、山崎は引かなかった。 睨み合い、そして斉藤の瞳の奥にある光を知る。 ――――――想いを、託されているのだと。 「同じ過ちは、二度と犯しはしません。俺は、彼女を失いたくはない。 貴方にも―――渡さない」 己の想いを、吐く。こうするまでに随分と遠回りしてしまった。 「信じよう」 斉藤の言葉が、木々がざわめく音と共に静かに響く。 外はもう日が暮れていた。 目を細め、斉藤が庭の景色を眺める。 夕焼けが目に映る全てを赤く染め上げていた。 「山崎君、この赤は・・・なんの色だと思う」 「色・・・ですか?」 「ああ、俺にはずっと血の色にしか見えなかった」 ふいに斉藤が口にした言葉に、その意図が分からぬまま山崎は咄嗟に思いついたことを口にした。 「俺には・・・・あの簪の紅のように思えます」 自分にとって贖罪の色、そう言うと、斉藤は小さく笑った。 「なるほど・・・・今の俺には、もみじの色に思える」 斉藤の手が、再びの頭を撫でた。その手に、が顔を上げる。 「斉藤さん・・・・?」 「俺はと見たこの庭の景色を忘れない。お前は俺に、赤が血の色をするものだけではないということを、教えてくれた」 斉藤の言おうとしていることがなんとなくわかって、山崎は頷いた。 いつだって彼女が、彼女の笑顔が、山崎の、そして隊士達の世界を変えてくれた。 「君を連れて帰ります」 「」 山崎の言葉を促すように、斉藤がを見つめる。 その瞳は見守ることを決めた優しい眼差しだった。 「私、帰ります。・・・・山崎さんと一緒に」 重なっていた手を、山崎はきつく握り返した。 無骨な指と、か細い指が絡まり、熱が溶け合う。 それは思った以上にこそばゆく、愛おしく、淡く儚い。 だからこそ、もう二度と放しはしない。離れなどするものか。 斉藤が静かに席を立ち、部屋を退室する。山崎は深く一礼し、を見つめた。 「己の想いなど、告げるつもりはなかった。けれど俺にとって一番の未練は君だったようだ」 倒れる間際見た走馬灯、その全てが君との思い出だったのだと、告げればは喜ぶだろうか。きっと顔を真っ赤にして笑うのだろう。 けれどそれを告げるのはもう少し先。 言えばきっと、彼女よりも先に自分の方が参ってしまうだろうから。 今はまだ、もう少しだけ、君の前で頼れる男でありたい。 「君・・・・・いや、・・・・・君の幸せは戦いとは遠い場所にある。 俺が君を望むことは、君を戦火に巻き込むことになるだろう。 それでも俺は、君を望む。俺に――――ついてきてくれるか」 「はい、烝さん」 肌と肌が触れ合う。 たったそれだけの行為なのに、こんなにも勇気がいるなんて知らなかった。 戸惑いながら頬に触れ、髪に触れ、君を怖がらせないだろうかと考える。 けれど君は何一つ厭うことなく。 涙を流しながらも微笑むを今度は思い切り抱きしめた。 布と布が擦れ合う、それすらもどかしく腕に力を込める。 猛る衝動をそのままに、濡れたの唇に、己の唇を重ねた。 涙に濡れた口付けを、心に刻もう。 君の震える吐息と共に、全て飲みこんでこの身に刻もう。 死が、二人を別つまで。 地の底に落ちるその時までも君の手を放しはしない。 幕末、激動の時代の中で重なる二つの影は、いつまでも離れることなく――――――――― 京の都に戦火が上がると共に、二つの影はいずれかに消え去った。 |