例えるならばそれは、蛇に睨まれた蛙、そのもの。









幸せとその代償














草履に、針が刺さっている、なんてのは存外にして可愛いほうだ。

稽古中に飛んでくる木刀(せめて竹刀にしてくれないだろうか)

食事に混入された痺れ薬(気付かなかったら、どうするつもりなんだ)

愛刀の刃先に油が塗ってあったこともあった(武士の魂をなんと心得ている!)




だがそれらの行為の発端が己の不始末であるのだから、なんともやるせない。

真正面から怒ることも怒鳴ることもできない。

山崎はの部屋に間違えて寝てしまった翌日から、危うく切腹させられかけ、おまけに幹部から嫌がらせを受けていた。









おまけに、だ。

この十日というもの、一度もの顔を見ていない。

彼女に避けられているわけではないのだ。

と会えないよう、幹部達に仕向けられている。


副長にはことごとく、屯所外の任務を言い渡され、
君の部屋の方角へ一歩でも進めば、沖田や原田、藤堂の邪魔が入る。

まだ彼女にまともに謝ってすらいないというのに、顔すら見れていない。













(別に彼女に特別な情を抱いているわけではないというのに・・・・)












そう思いつつも、あの夜の温かさを思えば、身体が熱くなるのを感じる。






(こんなことではいずれ隊務にも支障をきたす・・・・・なんとかしなければ)






これは私事だ。こんなつまらぬことで心を乱すなどあってはならないことだ。

はやく打開策を打たなくては・・・・と言ってもこの状況では・・・・・




なんせ味方が一人もいない状況だ。

こんな時に限って島田や井上がいない。

斉藤でさえ、今回はあちら側だ。








(そもそもが不条理だ・・・・・俺には何の記憶もない・・・・)








記憶がないからと言って、無論婦女子の部屋に無断で侵入した挙句、寝所を共にするなどと、許されることではない。

それは分かっている。分かっているのだが。

謝らせてももらえないというのは些か不満だ。






(こうなったら・・・・・奥の手を取るか)






せめて義理だけは通さなければならない、と山崎は決意を固めた。










































は眠れずに、何度も寝がえりを繰り返していた。

月が障子を通して、畳の上にまでほのかな光を照らしている。

布団に入りながら、考えるのは山崎のことだ。もう、何日顔を見ていないことだろう。

土方に何度か聞いてみたが、任務に出ているとの一点張りだ。





どうしてだろう、こんなにも気にかかるのは。

あの夜の温もりが、忘れられないのだろうか・・・・・・








「・・・・・・・・君、・・・・・君・・・・・起きているか?」


「―――――え?」



頭の中に思い浮かべていた山崎の声が聞こえて、は咄嗟に跳ね起きた。


今は夜中だ。けれど間違いなく月の光を遮って人影が一つ、障子に浮いている。








「開けても、いいか」

「は、はい!!」




遠慮勝ちな声に少しでも躊躇すれば帰ってしまうんじゃないかと思って自分で障子を開ける。

そこには久し振りの顔が、月を背負って立っていた。




「山崎さん・・・どうしたんですか」

「こんな時間にすまない。少し邪魔をしてもいいだろうか?」

「勿論です――・・!どうぞ」




山崎を部屋に入れて、寝着が乱れていないか慌てて確認する。

解いた髪が、あちこちに跳ねているのではないかと両手で頭を撫でつけた。

山崎さんは気まずそうに視線を逸らしていた。




「その、この間は」

私が口を開きかけたのを山崎さんが遮る。


「この間は済まなかった。謝って済むことじゃないと分かっている。本当にすまない」


そう言って頭を下げる山崎さんに、私は慌てて首を振る。


「そんな・・!私は全然気にしていませんから!」

「しかし・・・・俺のような男と、」


自虐を含んだような声色に、首をもっと大きく横に振った。


「いえ!あの、私山崎さんだから、あのまま一緒に寝ちゃったんですよ!」

「―――――それは、どういう?」

「え、えと、あの・・・・永倉さんとか、原田さんとかなら、きっと追い返すか、誰かを呼ぶとかしてたと思うんです!
でも、山崎さんだったから、なんていうか・・・・このまま、寝させてあげたいなって、思って・・・・
ゆっくり休んで欲しくて・・・・だから・・・・あの・・・・・」



うまく言葉が紡げない。

山崎さんは私の言葉に驚いたように眼を見開いている。

もごもごと口籠る私に、山崎さんは少しだけ微笑んだ。





「ありがとう。君の気持ちは有難く頂戴する」

「は、はい!」

「だが俺のしたことは許されるべきことではない」

「そんな!本当に何もなかったんですよ!」

「しかし、やはり――――――」




再び頭を下げて項垂れてしまった山崎さんに慌てて手を差し伸べたその時、








「女の部屋に二度も忍びこむなんざ、いい度胸してるじゃねぇか山崎」








まるで鬼の怒号のような声が夜の闇に響いた。

障子の向こうには、一つ、二つ、・・・・・・六つの影。

誰かなど聞かなくて分かる。






「一度ならず、二度までも・・・・覚悟は出来ているんだろうなぁ!?」





冷汗が流れる。それは私だけじゃなくて山崎さんも同じだった。






「あ、あの・・・や、山崎さん、私ちゃんと説明しますから・・・・!」

「いや・・・・無駄だろう・・・・」








真夜中の部屋に膝を揃えて二人きり。言い訳出来る状況じゃない。

目の前には異様な雰囲気で武器を構える鬼が、六人。







沖「ふふっ、前から気に入らなかったんだよね、君のこと」

永「見損なったぜ、山崎ィいぃぃ!!覚悟しやがれ!!!」

藤「烝君!今度の今度は許さないからな!!」

斉「・・・・・・・・・・・・・切腹だ」

原「うちの紅一点に手ェ出すなんざ、俺の槍であの世に送ってやるぜ!」

土「今の内に辞世の句でも読んでみるか、山崎ぃ、ああ??」















ほどなくして山崎の切腹騒動(弐回目)が起こったのだった。