「もうすぐ春なのです」 空を見上げて今川は嬉しそうに呟いた。 人形のような彼の人今川雅澄は春が好きだ。 無論、春が嫌いな人間などいないだろう。 だが今川が春が好きなのには理由があった。 春には九州から幼馴染が戻ってくるのである。 「もうすぐなのです」 今川は一日、一日、日が過ぎるのを待っていた。 日に日に増えていくガラクタともお宝とも分からぬ骨董品と共に、今川の気持ちも膨らんでいく。 庭には桜の木がある。 戦前からあるもので、空襲でも焼けなかった大きな桜の木。 彼女は桜が好きだった。 日本人のほとんどが桜を好むように、当たり前のように彼女もまた桜が好きだった。 「浮かれてるね」 そう言ったのは海軍以来の友人伊佐間屋だった。 京極堂と共に屋号がそのまま呼び名になっている彼は、遠出をした帰りに土産を持って寄ってくれたのだ。 土産は例によって訳の分からぬ仏像である。 きっと本人ですら何であるか分かっていないに違いない。 「もうすぐが帰って来るのです」 今川はお茶を出しながらそう言った。 伊佐間は少し唸った後、ああ、と手を打った。 「ちゃん、帰って来るの」 「そうなのです」 伊佐間はを知っていた。 会った事こそないが、海軍時代幾度かの名を今川から聞いていたからだ。 今川の初恋の相手で、きっと今でも―――想っているのだろうと伊佐間は勝手に思っている。 「結婚はしてないの?」 「一回はしたのですが、戦後旦那さんが亡くなったらしいです。 子供もいなくて―――東京に家が残っているのでこちらで暮らすことに」 「ふぅん、そう」 「そうなのです」 嬉しそうに頷く今川に、伊佐間もまた頷いた。 何はともあれ友人が嬉しそうならば、自分も嬉しい。 「それで、いつ?」 「一週間後に。落ち着いたら挨拶に来てくれるらしいです」 「うん」 その後他愛無い話をして、伊佐間は帰った。 見送りがてら庭の桜に目をやる。 小さな蕾がひょこひょこと顔を出していた。 丁度彼女が来る頃に咲いてくれるだろうか。 一週間が過ぎようとしていた。 相変わらず落ち着かない。 もう随分会っていないのだ。最後に会ったのは何時だったか。 あの人形のように細い彼女の腕を掴んだのはどれ程前だっただろうか。 桜の木は蕾が咲き始めていた。 明日には満開になるだろう。 きっとは喜ぶに違いない。 「お久しぶり、雅ちゃん」 懐かしい声が聞こえた。 振り返ると彼の人が立っていた。 昔と同じ笑顔で―――手を振っていた。 「どうして・・・明日のはずじゃなかったのですか?」 「そうなんだけど・・・なんとなく来ちゃった」 「お久しぶりなのです」 とにかく上がるように促すと、は庭を突っ切って先ほどまで今川の座っていた縁側に座った。 「桜・・・もうすぐ咲くのね」 「そうなのです。明日はきっと満開なのです」 「じゃあ・・・明日また見に来ていい?」 「もちろんです」 二人ぼぅっと桜を眺める。 お互い年を取ったはずなのに、そこには昔と変わらぬ空気が流れていた。 彼女が幸せならばそれで良かった。 戦後戻った時には彼女は疎開先の九州でお嫁に行っていて。 彼女が幸せならそれで良いと思ったのだ。 一度目は勇気が出なかった。 10年経って、変わらぬ想いを告げたら彼女はどんな顔をするだろう? 二度目の勇気を自分は持っているのだろうか。 「」 「――――うん?」 今川は初めてを抱きしめた。 彼女は少し驚いた様子で、けれど抵抗はしなかった。 「また会えて嬉しいのです」 腕の中の温もりは昔と変わらないものだった。 |