あの日の出来事はとうに記憶の隅追いやられてーーーー?













あの夏の日、あの場所で。










「嘘だ」





は目の前の白い紙を握り締めた。

そこには信じられない数字の羅列。




「なんでぇ」




そうは言っても泣き叫ぶ同級生達の声は確かに耳に届いていて。

現実とはこうも無慈悲であるのかと、窓の外の雲を眺める。







「静かに!!いくら文化祭が近いからといって少々浮かれ気味のようですね。
クラスの半分が赤点なんて情けない!いいですか。
一週間後に追試を行います!それに合格出来ない者は文化祭参加は出来ないものと思いなさい!」






無情とも言える女教師の金きり声。

クラスの半数以上が抗議の声を上げたのは言うまでも無い。












そんな訳では本を借りるという目的無しではほぼ初めて図書館に足を運んでいた。

学年末テストの勉強を怠っていた訳では断じてない。

ただ問題が難しすぎたのだ。テスト範囲を遥かに超えるほどの。

これくらい受験を控えた身であれば当然解けるはずだ―――などとは教師の立場だからこそ言えるのであって。

確かに年が明ければ受験生なのだけど、高等教育のそのまた上など女の身で目指す者などそうそう居はしない。

あの女教師が女性権利拡張論者である事など生徒にとってはどうでもいい事だ。

女はさっさと嫁に出て亭主の後ろで控えて―――この論理が変わる事などあるのだろうか、と疑問にさえ思う。






まぁ、そんな事はどうでもいいのだ。

問題は鞄の中の、赤点の数学のテストである。







「どうしよっかなーーー」


ぎゃあぎゃあと喚くだけの友人達は宛てにならぬと早々に教室を出てきたものの。

例え静かな図書館とはいえ、解からないものは何処で考えても解からないものだ。

因りによって科目は数学。調べれば解かるというものではない。







「やだなぁ・・・・」







などと一人ごちても事態は変わらず。

とりあえず空いている席を探そうと周りを見回した。


一番奥の席が空いていてそこに腰掛ける。

平日の放課後、いつものように中は閑散としていて時々司書などの声が聞こえるだけだ。

重い鞄からどうにかテスト用紙と教科書を引っ張り出す。

気が重いからこうもテスト用紙まで重く感じるのだろうか。







「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」









「駄目だ・・・」






いくら教科書を睨んでみた所でどうにもならない。

俗に言う「何処が解からないのか解からない」状態である。



しばし机にうつ伏せていると、机にカタン、と震動があった。

以外誰もいなかった長机に誰かが座ったらしい。

話し声からどうやら二人組のようだ。





「全く・・・・は・・・本当に・・・」

「僕だって・・・・・・じゃな・・・よ」






聞こえてくる会話がほぼ一方的なもので。

一人がもう一人にお説教しているように聞こえる。




なんか・・・・・不憫・・・・・




要領が悪いだの、計画性が無いのと言われる言葉はなんだか自分に向けられているようで。

なんとなく居心地が悪くて、此処に居てもどうしようもないだろうという気持ちも手伝ってか、顔を上げてそそくさと机の上を片付ける。






結局何しに来たんだか・・・・・







借りたら読んでしまうのは目に見えている為、好きな本を借りることも出来ない。

溜息を付きながらちらりと声の主達の方を見ると、弱弱しそうに鉛筆を握る男子学生が見えた。

もう一人はこちらに背を向けている為顔は見えないが、どうやら二人とも同じ学校のようだ。









「でも中禅寺、こんなものは習ってないじゃないか」









―――――――中禅寺?







自然に止まる。それはもしや妖怪仲間(間違い)の中禅寺秋彦君だろうか?

もう一度振り返ってみるが、やはりもう一人の顔は背中しか見えない。







じぃ、と目を凝らして見ていると、気の弱そうな学生と目が合ってしまった。






「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」








気まずい・・・・・・。





お互いにどうする事も出来ず二人同時に目線を逸らす。

例えもう一人の学生が中禅寺君であろうと、気軽にお話出来るわけじゃないんだし。

さっさと帰ろうとは踵を返し、受付の前を通り過ぎた。





「わっ?」

「お!」




注意散漫だったのか―――廊下を曲がった所で男性にぶつかってしまった。

またしても男子学生。と言っても学ランだけじゃ何処の学校かはわからない。




「すいません」

「ああ、下を見ていなかったな。ん?君は―――・・・」

「? 失礼します」





は鞄を抱え直してそそくさとその場を離れた。

なんだか今日はやけに男子学生が多い。

それにしてもさっきの人・・・・・





「すっごい美形」



















「おい!中禅寺!」

「なんだ榎さん・・・本当に来たんですか?」



中禅寺は呆れ顔で一つ上の先輩―――榎木津礼二郎を見つめた。

赤点を取った関口の為に中禅寺が人肌脱ぐと聞き、「僕も猿に芸を教えるぞ!」と食堂で大騒ぎしていたのである。



「中禅寺!お前図書館で勉強すると言って、この僕に内緒で可愛い女の子を口説いてたな?ずるいぞ!僕にも紹介しろ!!」

「「は?」」


榎木津のこの発言に関口は友人の顔を見た。

眉間に皺が寄り、その表情は明らかに不機嫌である。



「榎さん・・・・意味がわからないんですが」

「何を言ってる!この僕に隠し事なんぞ無駄な事はお前が一番承知だろう!さっきまでそこに座っていたはずだ!!」



そう言って榎木津が指したのは中善寺達が座る長机の一番奥の席。

関口はおろおろと二人の顔を交互に見つめていたが、やがて中禅寺が大袈裟に溜息を付いた。




「彼女の事ですか・・・今日は一言も話していないですよ」

「え?彼女って?さっきの女学生の事かい??」

「煩いぞ、関猿!図書館で騒ぐんじゃない!!」

「さ、騒いでいるのは榎さんじゃないか!」


先ほどから司書がこれでもかと言うほどこちらを睨み付けている。

だが榎木津の視界には入ってないらしく、偉そうに腕を組み中禅寺の隣に座った。




「で?彼女の名前はなんというのだ!」

さんです。一応言っておきますが知り合いと呼べるような間柄じゃないですよ」

「だったら何故名前を知っているんだ!聞いたんだろう!彼女に直接!!」

「偶然同じ本を借りていたというだけですよ。他には何も知りません」

「ほう?だがお前は彼女を気に入った!そうだな?そうだろう!!」

「答える気はありませんね」

「ふ、二人とも・・・煩いよ・・・・」




巻き添えが御免だと思いつつもこのままだと確実に司書から雷が落ちる。

どうにかしなければと思うほどに言葉が出なくなり、関口は狼狽するばかり。

するともはや関口の存在など忘れたかのように騒いでいた榎木津がいきなり関口の胸倉を掴んだ。






「おい、関タツ!命令だ。今すぐ彼女を連れ戻して来い!!」

「ええ?なっ、何を言ってるんだい、榎さん!!」

「なんだ、今の言葉も理解出来ないのか?全く馬鹿猿だな。ほら、さっさと行って来い!!」

「な、なんとか言ってくれよ中禅寺!めちゃくちゃだよ」




助けを求めようと中禅寺を見ると、呆れた顔で既に戦線離脱していた。

胸を掴む榎木津の腕をどうにかしようともがいていると、その腕にものすごい力でで突き飛ばされる。




「さっさと行って来い、猿!早くしないと追いつけなくなるぞ!!」



腕組みをして関口を見下ろすこの傍若無人の先輩を納得させる為には彼女を連れてくるしかないだろう。

仕方なく表情を強張らせている司書の間を静かに通り抜ける。

少しだけ早足で道路を見渡すと、さっき見た制服の少女が歩いていた。





「あ、あの・・・」



震える声をなんとか絞り出すが、彼女の名すら関口は知らない。

中禅寺が言っていたような気もするが当然のように頭に残ってはいなかった。

言葉は届かなかったらしく、彼女は前を向いたまま歩き続ける。

引き止めなければと咄嗟に思ったのが禍し、反射的に彼女の腕を強く引いてしまった。





「きゃ!な、何!?」



それは彼女からしてみれば変質者に襲われたかのような出来事で。

それに気付いた関口は腕を引いて何か言おうとしたが、言うべき言葉が見つからず顔が真っ赤になった。

彼女は目を見開いたまま、ずっと関口を見ている。








どうにかしなければと思うほどに、頭の中が真っ白になった。

















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中々進まない。