成り行きって恐ろしい

















珍獣観察日記パートU













私は今、中野の駅にいる。

中野と言っても来たのは初めてで、あまり若者向けではなさそうな駅。

それでも戦後を思えば随分復興したのだろうけど、やはり池袋や新宿などの賑やかさはない。

その駅にどうして遊び盛りの女がいるのかと言えば―――







やっぱり成り行き??











「お待たせしました」

本日の待ち合わせ相手珍獣――――もとい今川雅澄はきっかり待ち合わせ時間五分前に到着した。

茶色の着流し姿で何やら紙袋を持っている。


「いえ、私も今来たところですから」


お決まりの台詞を吐いて、にっこりと笑って見せる。

今川さんは「じゃあ行くのです。すぐそこなのです」と歩き始めた。

私もそれに続く。











「今川さんの嘘つき」





私がその台詞を吐いたのは、坂を登り始めて五分が経った頃。

やけに曲がりくねった坂を登っても登っても一向に目的地は見えて来ない。

言われた今川さんも手拭いで汗を拭いている。

まだ春先なのに、こんなに汗だくなのは日本で私達だけだろう。




「もうすぐって言ったのに」

「もうすぐなのです。頑張るのです」

「なんでこんなに坂が長いの〜〜〜」

「ここは眩暈坂というらしいのです」




そう言ってこの坂の名の由来を話しながらまた歩き出す珍獣。

仕方なくそれに続く。

途中誰ともすれ違うこともなく、奇妙な二人組が坂を登り切った頃には二人とも汗だくだった。









『京極堂』






話に聞いていた通り、達筆なんだが下手くそなんだか分からない文字で木の看板にはそう書かれていた。

お店も一見しただけじゃ開いているのかわからない。

だが「骨休め」の看板が掛かっていないから多分開いているんだろう。

今川さんが引き戸を引いて中に入る。




「こんにちは」

「ああ、今川君かい。久しぶりじゃないか」

「お久しぶりなのです」




聞こえた会話に今川さんに続いて店の中に入ると―――そこには着流し姿の枯れた男が立っていた。

まるで浅黒の肌に痩せた体躯―――やつれているようにも見える。





「そちらはお連れさんかい」

「そうなのです。さん、友達なのです」


言われて慌てて頭を下げて挨拶をする。

私を一瞥して、とりあえず上がり給え、と言った。


居間に通され、お茶を出される。

主人は姿勢良く座ると再び私を見た。



「今川君がなんて言ってるか知らないが、僕は中禅寺秋彦、此処は見ての通りただの古本屋だ」

です」

「しかし今川君も隅に置けないな。こんなに可愛い友人がいるとはね」

「お店のお客さんなのです」

「それにしても君もタイミングの悪い男だ。そろそろ榎木津が来る頃合いだよ」

「榎さんが来るのですか?」



二人の会話に記憶を探る。

確か榎木津という名は今川さんと伊佐間さんの海軍時代の上官の名ではなかったか。

破天荒に輪をかけた人で今は探偵をやっているとかいう・・・




「あれは女学生やら太夫やら可愛いものには見境ないからな。会わせるとロクなことにならないぞ。
横から攫われたくなかったら、今日はとりあえず引き上げた方がいいんじゃないかい」

「困ったのです。もうすぐ伊佐間君も来る予定なのですが」

「おいおい、君達までうちを喫茶店だと思っているんじゃないだろうね。
僕を無視して勝手に待ち合わせしないでくれないか。
そもそも何をしに来たいんだい。そこのお嬢さんを紹介しに来たんじゃないのかね。
全くうちのセンセイじゃあるまいし、このままじゃ居候が付きかねないな」




話を聞いていたがやはり驚いた。

子供ならば絶対に避けてしまう強面の親父とは無口と相場が決まっている。

しかしこの中禅寺という人物は饒舌だ。

基本的にのんびりとした今川さんや伊佐間さんとは会わない気がする。





二人の会話に口を挟む事も出来ず、なんとなく黙っていると庭の向こうの塀に人影が見えた。

それをぼうっと見ていると、店の入り口辺りからガッシャン!と大きな音がした。

慌てて音の方向を向くと、そこには見たこともない美丈夫が何故か仁王立ちで立っていた。





「わははっ!!来てやったぞ京極堂!!お前が!!欲しがっていたゲテモノの本を届けにわざわざ神が来てやったのだ!
喉が渇いた!!茶だ!!」


全く遠慮無く入ってきた男に呆気を取られる。

中禅寺さんはわざとらしく溜息を付き、今川さんは困ったように眉を下げていた。



「暴れないで下さいよ。本が傷むでしょうに」

「なに!それが神に対する態度か!おおっ!マチコじゃないか、相変わらず気持ち悪い!!ん??誰だ!!その可愛い子は!マチコの知り合いか!?」

です」




その時私は間抜けにも中禅寺さんにした時と同じように名だけ名乗っただけに終わった。

呆気に取られた――――というよりは硬直していたに近い。

本当に映画俳優のような顔立ちであるのに、まるで近所のガキ大将のような振る舞いである。

しかもいくら元部下相手とはいえ、会った早々「気持ち悪い」とは如何なものか。



そんな私の思考をお構いなしに榎木津さんはどかどかと私の隣に座った。





「こんな辛気臭い場所にいても面白いことなど一つもないぞ!
まぁ、僕が来てやったのだからいいとするか。京極堂、茶!」

「生憎妻が出かけているので出涸らししかありませんよ」

「なんだ千鶴ちゃんは留守か!とうとう愛想を付かされたな!」

「雪絵さんと芝居を見に行ってるんですよ。さん、済まないね煩い男で」

「あ、いえ―――・・・」

「何を言うのだ!こんな枯れ木男と珍獣に囲まれて楽しいはずがないだろう!
それを僕が盛り上げてやろうと言うのだ!」


「は?」





なんなんだろう、この男は。

さっきから物凄い物言いだ。

なんだかすごく腹が立った。








「楽しいですよ」

「ん?」

「今川さんがいれば充分楽しいです。だから余計な事しないで下さい」





とびきりの作り笑顔でそう言ってやった。

女は度胸。

いくらすごい人でも今会ったばかりの男と今川さんとじゃ天秤にも掛からない。

怒るかと思っていた榎木津さんは少し目を見開いた後、盛大に腹を抱えて笑った。





「なんだ、マチコ!そうならそうと早く言え!!僕は人のモノに手を出す趣味は無いぞ!
おい、京極堂!!この前箱男が持ってきた酒があっただろう!お祝いだ、飲むぞ!!」

「まだ昼間ですよ。それにしても本当に――――隅に置けない」

「え?」

「ははは!!目出度いぞ!!マチコ、おい飲むぞ!!」

「え、榎さん!それは違―――・・・」

「煩い!探偵の目は誤魔化させないぞ!!」

「だからと言って暴れないで下さいよ」

「ええ??」













その後少し遅れて京極堂を訪れた伊佐間が見たのは。

ご機嫌で酒を飲んでいる榎木津と

その榎木津に絡まれてあたふたとしている今川と

いつものと寸分違わず本を読み耽っている京極堂と



そして先日出会ったばかりの女性が真っ赤になって俯いている姿だった。













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榎さんファンには申し訳なく。