水戸部とメアド交換したあの日から、不思議なくらいバスケ部は静かになった。

おそらく水戸部が私の意思を皆に伝えたのだろう。廊下で会ったりすれば挨拶はするものの、勧誘の類は一切されていない。


ただ一つあの日から変わったことといえば。





毎晩、水戸部から一通のメールが届く。

内容はたった一言だったり、写メだけだったり、随分と丁寧で長いメールだったりする。

けれどそのどれも返事を求めるようなものじゃなくて。

まるで日記のような内容に、返信したりしなかったり。

学校ではたまに廊下ですれ違うくらいなのに律儀なものだと感心する。




今日は『練習帰りに見た夕日がとても綺麗でした』とだけ書かれ、夕日の写メが送られてきた。








たとえばこんな恋の話
















六月になると急に湿っぽくなってそろそろ梅雨か、と気分を憂鬱にさせる。

別に雨が嫌いってわけじゃないけど、傘を差したり持ち歩くのが面倒くさい。

放課後、ちょうど帰ろうとした時間に雨がパラパラと振り出して、まだ折りたたみ傘を鞄に入れてなかった私は、玄関まで行ってどうしようかと空を見上げた。

まさか雨が降るとは思わなかったから、帰る前に図書室に寄ったのがまずかった。友達はとっくにみんな帰ってしまった。




「ちょっと待つか・・・・」



振り出し始めですごい勢いだが、すぐに雨脚は弱まるだろう。

珍しく図書室で本を借りたことだし、少しの間それで時間を潰そうと教室へ踵を返す。

雨のせいか蒸し暑くて、衣替えしたばかりの半袖が丁度良い。

しん、とした廊下を進んでいると、渡り廊下の方から掛け声が聞こえた。思わず窓から外を覗き見る。





「ああ、筋トレ」




そこには久しぶりに見るバスケ部がいた。

渡り廊下のスペースを使っての筋トレ。今日は体育館の使用日ではないようだ。

部活数の少ない誠凛でも一つの部が体育館を使用出来る日はローテーションで決められている。

雨が降らなければ校庭を使って、体力作りでもしたのだろうが、この雨ではそれも出来ない。

中学では割とよく見る光景だったが、雨が降ったり場所がない日まで練習をするくらい熱心な部は新設校の誠凛では数えるほどしかない。

改めて、真面目だな、と感心しつつも邪魔をする気もないので覗いた窓をそっと閉める。

そういえば、最近筋トレしていないな、なんて思いながら教室へ戻った。










『ただいま下校時刻15分前です。まだ残っている生徒は速やかに下校の準備を・・・・』

「へ!?」



誰もいない教室で借りた本を読んでいたらついつい熱中してしまって、気が付いたら最終下校時刻になっていた。

慌てて本を鞄の中に入れて玄関へと急ぐ。さすがに人気もない。

まさか最後の一人ってことはないよな、と焦りつつ靴を履いて玄関を出るとそこには数人の姿があって、ほっと息を吐いた。

まだ雨は降っているが小雨程度で、これくらいなら走っていけばなんとかなる。


「あれ、さん?」




玄関先にいたのはバスケ部だった。声を掛けてきたのは土田で全員制服に着替えている。



「よー、お疲れ」

「どうしたの?こんな時間まで残ってるなんて」

「ちょっと雨宿りのつもりだったんだけど・・・結局止まなかった」

「傘持ってないの?俺の貸そうか?」

「いーよ、こんくらいなら走って帰れる」



家までは徒歩で30分、自転車で10分。

電車に乗らずにすむ分、普通の生徒よりもずっと近い通学路だ。

いつもは鍛錬もかねて歩いて通っているけど、今日くらいバスに乗ってもいいだろう。

上を見上げながら走りだそうとすると、クンッと袖を引かれて前へつんのめった。


「うわっ!?」

慌てて振り返ると目の前に水戸部の顔があって、思わず後ろへひっくり返りそうになる。

「なんだよ!」

「・・・・・」

相変わらず無言の水戸部に、運動部で声出さないって有り得なくねぇ?と思いながら叫ぶと、これまた無言で折りたたみ傘を差し出された。


「いや、いーよ。走って帰るし」


それが傘を貸すということを意味していることは誰にでも分かる。

軽く首を横に振って断ると、それでも、というように水戸部が傘を押しつけてきた。


「いや、いいって言って―――」

さん、受け取ってあげてくんねぇ?水戸部は俺の傘に入れてくしさ」


そこに口を出したのは、バスケ部の中では一番背が低いやつだった。確か小金井と言ったか、その言葉に水戸部が頷く。


「水戸部、面倒見良いからそういうの気にするしさ。俺達同中で近所だから」

「そうしなよ、さん。まだ雨止まないだろうし」



小金井と土田の言葉にこれ以上は断っても無駄だろうと思い、私はその傘を受け取った。

その瞬間、あまりに水戸部が嬉しそうな顔をするものだから。


「お礼はするから」


思わずそう言ってしまった。





























翌朝、私はどでかい風呂敷包みを持ってバスケ部が朝練をしている体育館へと向かっていた。

借りた傘のお礼として、お握りとおかずを人数分用意した。もちろん自作だ。

空手は身体が基本、ということで昔から体調管理に気を配っていた私は、当然食事の管理も自分でする。

当たり前のように覚えた料理の腕がまさか別の部の差し入れに使われることになろうとは、中学時代の私じゃ考えられなかったに違いない。

そういう柄じゃないし、恥ずかしい気もするけど、同じ体育系同士どうしてもお礼というと食べ物しか思いつかなくて、まぁいいや、と作ってきてしまった。



「まぁ、カントクに渡せばいいだろうし」



深く考えると弁当箱ごと放り出したくなる衝動に駆られそうなので、何も考えないことにする。

体育館への渡り廊下を歩いていくと、段々とボールの音や掛け声が近くなってきた。



「あら、さん」


そっと体育館の扉を開くと、すぐ傍に監督が立っていた。

助かったなと思いつつ、練習に没頭している部員に気付かれないように監督に向かって手招きをする。

練習を中断させるつもりはないし、なにより注目されるのは御免だ。


「おはよう、どうしたの?」

「おはよ。これ、水戸部に渡しといて」


事の成り行きは監督も知っている。

風呂敷包みの上に折りたたみ傘をのせて渡すと、すぐに合点がいったように頷いてくれた。


「この下の・・・もしかしてお弁当?さんが作ったの?」

「一応な。礼ってことで全員で食べて。入れ物は返さなくてもいいから」

「わかったわ。良かったら練習見ていかない?」

「いや、邪魔だろうし、いいよ」

「そんなこと言わないで・・・あ、ほら水戸部君にボールが渡った」




監督の言葉にコートを見る。部員六人での3対3。バスケット用語だと3on3とでもいうのか。

土田からパスを受け取った水戸部がディフェンスを押しのけて、ゴールの中に思い切りボールを叩きこむ。その瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。

いつもいつも見る度に眉尻を下げてオロオロしている男が、獣のような眼光で敵を蹴散らし勝利を得る、そんな姿に鳥肌が立つ。


「あれって―――・・・・」

本当に水戸部なのか?っという言葉をごくりと呑みこんだ。当たり前だ、目の前にいるのは、いつも情けない顔している水戸部のはずなのだから。

「ダンクシュート。さすがにそれくらいは知ってるでしょ?」

私の言葉に見当違いの返事を返した監督が水戸部君すごいでしょ、と自慢げに笑う。

「・・・じゃあ、私行くから」

「え?行っちゃうの?」


監督の言葉にも答えず、ドキドキと鼓動が波打つのを感じながら、どうにか足を動かす。

あの腕で、ゴールにボールを叩きこんだあの手が、私の手を握っていたのだと思うと、どうしようもなく身体中が熱くなる。

今まで感じたことのない感覚。こっちがイラつくくらいにいつもオドオドしているその気弱さはどこにも見えないコートの中の水戸部の姿に、動揺する自分が信じられなかった。




















ピィ―――

監督が鳴らしたホイッスルで、全員が動きを止めた。8時30分。

着替えや片付けを含めて授業開始30分前に練習を終えるのが規則となっている。



「朝練終了!」(日向)

「「「「っした!!!」」」」


日向の掛け声で全員が礼をする。リコは片付けに向かおうとする水戸部を呼びとめた。


「水戸部君、これさんから預かったわよ」

「!」


差し出された傘に水戸部は慌てて周囲を見渡す。けれど当然、彼女の姿はなく。


「さっき渡しに来てくれたの。一応練習見ていかない?って誘ったんだけど」

「・・・・・・・」

「あっでも、これお礼にって差し入れもらったわよ!ほら!!」


凹んだ水戸部を前にしてリコが抱えあげたのは、大きな風呂敷包み。


「え、なになに!?」(小金井)

「もしかして弁当?」(伊月)



部員達が注目する中、リコが風呂敷を広げ中に入っていた大きなタッパーを開けると中には規則正しく並んだおにぎりとからあげが入っていた。

通常の形よりもまるく大きいお握りの横からは海老のしっぽがちょこんではみ出ている。


「「「「おおーーー」」」」

「海老天!?」(木吉)

「天むすだろ」(日向)

「手間掛かってるなぁ」(土田)

「食っていい?いいよね!?」(小金井)

「いいんじゃない?早くしないと授業間に合わないわよ」(リコ)

「・・・・・・・(コクコク)」



全員で手を伸ばして、おにぎりにかぶりつく。それはまだほんのりと温かい。



「うめーー!!」(小金井)

「・・・・・・・(コクコクコク)」

「これ、あの子が自分で作ったのかな」(伊月)

「意外な才能だなー」(土田)

「いや、やっぱり俺の目に狂いはなかったよ」(木吉)

「お前、やめろよ!?もうきっぱり断られてるんだからな!?」(日向)

「でも、案外・・・・」(リコ)

「なに?カントク?」(伊月)





リコがポツリと呟いた言葉を伊月が拾う。




「ううん、なんでもない」




勝算あるかも――――働いたのは、女の勘。