その日は練習が終わるのが随分遅くて、いつもは使わない近道を使った。 それがきっと悪かったんだ、と後悔しても目の前の人達はどいてくれない。 「ねぇー兄ちゃん、金貸してくんない?」 たとえばこんな恋の話・水戸部視点まさかカツアゲなんてものに遭う日がくるなんて思わなかった。 昔から身体が大きかったおかげで無口無表情でも、女子にウドの大木だとか、うっとおしいとか言われたことはあってもいじめられることはなかった。 俺の前に立ち塞がるのは見るからに不良の二人組。 背は俺の方が大きいけれど、耳にピアス、金髪の男達は大層迫力があった。 ――――――どうしようか。 部活があるから喧嘩なんて絶対出来ないし、ただでさえ六人しかいないのに怪我なんか絶対にしたくない。 一度逃げられれば追いつかれる心配はない。ずっと続けていたバスケのおかげで体力にはかなり自信がある。 けれど逃げようにも前後を塞がれてしまっている。 八方塞がりでどうしようと鞄を抱えながら迷っていると、突然高い声がした。 「お客さーん、誰に断ってこの道塞いでんだ、コラ」 それは一瞬の出来事、まさに竜巻のようだった。 目の前にいた男が横に吹っ飛び、現れたのは一人の少女だった。 胸の下まである黒いストレートの髪に一本の赤いメッシュが入っている。 腕と指にはシルバーのアクセサリーがじゃらじゃらと付いていて、見た目的には彼女も不良の部類に入るだろう。 キツめの目元が水戸部を見据え、その後ろにいる男を睨みつける。 「邪魔なんだよ、てめぇら。勝手に通行止めしてんじゃねー」 「ちっ、なんだよ、このアマァ!!」 背後にいた男が水戸部をすり抜け、少女へ拳を振り上げる。 危ない、そう思った瞬間すでに勝負は付いていた。どうしてだがわからないが、男が蹲る。 「おい、とっとと帰れ」 「・・・・・・・!」 それが自分への言葉だと分かるのに数秒を要した。 戸惑いながらも言われた通りにしなければ、とその場を走り去る。 そういえば、お礼も言えなかった、と気付いたのは家に着いてからだった。 それから一週間後、水戸部はカツアゲに遭った路地にいた。 あれから七日も経ってしまったけど、やっぱりお礼を言いたいと、思いきって部活が終わった後、この場所を訪れた。 ・・・・・・・・・のだが。 「おい、さっさと金出せよ、でかいの!」 この辺はカツアゲのメッカなのだろうか。いやいや、平和な日本でそんな場所などないと信じたい。 ああ、しまった、どうしよう。 オロオロと周囲を見渡しても、人一人見当たらない。 しかし今度は相手は一人だ。後ろに逃げれば十分逃げきれるだろう。 そう思って駆け出そうとした瞬間、水戸部の前に現れたのはまたしてもあの少女だった。 「はい、そこまでーー!ったくどこから湧いて出るんだか」 ため息と共に繰り出された蹴りは見事に相手にヒットする。 少女は容赦なく膝と腹部に蹴りを入れると、男はたまらず逃げ出した。 「てめぇ、覚えてろよ!」 「覚えるわけねーだろ、バァカ」 少女は舌を出して男に悪態を付くと、水戸部を見て顔を傾げた。 黒髪に赤のメッシュがとてもよく似合っている。奇麗な人だな、と思った。 「お前、この前も助けなかったっけ?」 「!・・・(コクコク)」 「この道は街灯ねーし、人気ねぇから危ないんだ。この間危ない目見たばっかなんだから通るなよ」 覚えててくれた、その事に胸が弾んで、けれどその次に怒られて、まさか君を探してたんですとは言えずに水戸部は眉尻を下げた。 「じゃあな」 「・・・・!」 少女は水戸部に勇気を振り絞る時間を与えず、立ち去ってしまう。 今ほど自分の口下手な性分を恨めしいと思ったことはない。 水戸部は話すのが極端に苦手だった。声を出すことさえほとんどない。結局お礼は言えずに、貸しを増やしたまま終わってしまった。 そして三回目。 四月も上旬を過ぎて、随分陽が落ちるのが遅くなった。 これなら大丈夫だろうと、部活で疲れた身体を早足で動かして例の路地に辿り着く。 どうしても彼女に会いたかった。彼女の名前を知りたかったし、きちんとお礼も言いたかった。 自分はきっと声に出すことはできないけれど、きちんと頭を下げれば気持ちは伝わるだろう。 ここにくれば彼女に会えるなんて確信も保障もないのに、それでも身体は勝手に動く。 着いたのは、前と同じ時間だったのにまだ陽は落ちてなくて、しばらく待ってみようと路地の壁に身体を預けた。 ・・・・・・・・まではよかったのだが。 「ねぇねぇ、あんた、ちょっと金貸してくんない?」 「いーじゃん、すぐ返すからさー」 こうなるともうこの道は呪われているのかと言う他ない。 実は近くに県内有数の不良校があるせいで治安が悪いのだが、水戸部がそれを知るわけもなく。 フルフルと首を振っても男達はニヤニヤと笑うだけ。 今にも殴りかかってきそうな男達の雰囲気に、もうだめか、と思ったその時、救世主は現れた。 「おーい、あんたらさぁ、私が貸してやるよ、金」 その声に顔を上げると、そこにはあの少女がいた。 今までで一番怒っているように見える。その拳は既に握られていて指についた指輪がごつごつして当たったら痛そうだ。 「へぇ、あんたが払ってくれんの?もしかして身体で?」 「ああ、こいつでな」 その後はこうなるだろうな、と思った通りに男達は少女の鉄拳を浴び退散していった。 不謹慎だけど、頬が緩むのが止められない。また会えた、それが嬉しかった。 「で?てめぇはなにやってんだ、コラ」 ところが少女は水戸部が思っていたような再会を与えてはくれなかった。 怒ってる、どうしよう。オロオロするだけの自分が情けないが、どうしたらいいかわからない。 「何度目か言ってみろ!」 それが助けてもらった回数のことだとすぐに分かった。恐る恐る指を三本立てる。君に会うのは三回目。 「つーか、この道さけろって言っただろうーが!今何時だ?七時過ぎてっぞ!こんな時間に制服着てウロウロしてりゃ絡まれるの当然だろーが!何時に学校終わったと思ってんだ、言ってみろ!!」 怒っているのが不良達へではなく、自分に対してなのだとわかるとどうしようもなく悲しかった。 そのお説教は自分の為に言っているのだと分かるけど、それでも悲しかった。嫌われてしまっただろうか、と。 彼女はやがて諦めたようにため息をつき、身体を反転させた。 駄目だ、行ってしまう。まだお礼も言えてない、名前だって聞きたいのに。 必死で伸ばした手は、どうにか彼女の袖に触れた。不機嫌そうな声で彼女が振り向く。 どうにか引き止めたくて、鞄からカントクが作ったチラシを取り出した。 決してこんな時間までフラフラ遊んでたわけじゃないのだと分かって欲しかったから。 「バスケ部、結成。部員募集・・・?」 「・・・・・・(コク)」 「なんだ、お前、バスケ部なのか」 「・・・・・・(コクコク)」 チラシを見ると、少し気が抜けたように彼女が俺を見上げた。 160くらいある彼女は女の子としては背が高い方かもしれないけれど、それでも186ある自分とは20cm以上身長差がある。 見上げられると、キツイ目元が少し弛んで見えて可愛いな、なんて思いながら、胸ポケットから生徒手帳を取り出す。 「ふーん、水戸部か。じゃ、二度と会うことのないよう祈って今度からこの道は避けろよ」 「・・・・・・(フルフル)」 「あん?」 名前部分を指で指すと、彼女は俺の名前を呼んでくれた。けれど二度と会わないようにと言われて慌てて首を振る。 彼女の袖を慌てて引いて、もう一度自分の名前を指差して、彼女にその指を向ける。 わかってくれるだろうか。 「。つーか、普通に聞けよ。まさか本当に喋れないんじゃないよな?」 、それがキミの名前。ようやく辿り着いたキミの名前に心が躍りながらも、喋れないのか、と聞かれ困って首を傾げてしまう。 声は出るけど、喋るのが苦手、無言でそう伝えるのは難しい。 どう伝えようかと迷っていると、「じゃあな」と男らしい去り文句で彼女、さんは立ち去ってしまう。 ああ、まだお礼言えてないのに。 そう思うが、既にさんの姿は消えていて、とりあえず俺は誰もいない路地に頭を下げたのだった。 そして四回目。ここまで来るともう笑えない。 幸いに、というか不幸にも、というかこの日は部の全員が一緒だった。 今日はミーティングが白熱し、随分と遅くなってしまったから出来るだけ皆で固まって帰ろうとしたのだ。 そして小金井がこっち近道みたいだし、通ってみようぜ!と指差したのが例の路地だった。 水戸部は慌てて首を振ろうとするが、皆がそれよりも早く歩きだしてしまう。 まぁ、こんなに人数もいるし、大丈夫だろうと思ったのが甘かった。 「ちょっとどいてくれないか」(木吉) 「ああん?この道通りたきゃ俺ら倒して行けってんだよ!!」 「な、なんなんだ、てめーらは!」(日向) 「うるせぇ!黙って全員金出せよ!!」 本当になんなんだろうか、この道は。 まさかの四度目にちょっと慣れてしまった水戸部はなんだか気の遠くなるような思いがした。 心強いのは190ある木吉と何故か入学当時金髪だった日向が割と落ちついて対応してくれていることだろうか。 二人の真後ろにいるカントクも怯えた様子はない。彼女も大概にして気が強いからむしろ飛びかからないか心配だ。 「俺、ひとっ走りして人呼んでこようか」 小金井がボソリと呟く。それがいいだろうと土田が頷いた。 だが小金井が走りだすよりも早く、彼女が姿を表す。 そしてあっという間に男達を片付けると、何も言わずに踵を返した。 「ありがとう、キミ!俺らバスケ部で喧嘩するわけにもいかないから助かったよ!」 水戸部が慌てて彼女に手を伸ばすよりも早く、彼女に声をかけたのは木吉だった。 次々に彼女に投げかける言葉に、こんな積極的な性格を羨ましいと思いながらも、胸にもやっとしたものが湧き上がる。 けれどそれは彼女の次の言葉でかき消える。 「水戸部!てめぇのツレだろ!責任取ってなんとかしやがれ!」 怒鳴られたことより、自分の名前を覚えてくれたことが嬉しくて、バッと顔を上げる。 同時に皆の視線も集まったけれど、そんなこと気にしていられなかった。 「うるせーよ!お前ら。水戸部てめぇ、これで四度目だからな」 もう一度呼ばれた名前。けれど弾んだ言葉は次の言葉で驚愕に変わる。 「さん・・・だよね?俺と同じクラスの」 土田の言葉に俺は目を見開いた。同じクラス?土田と?つまり、彼女は、誠凛の生徒? ということはもう、此処へ来なくても、彼女に会えるのか。 一瞬、頭が真っ白になって、みんなの会話は耳から耳へと通り抜けた。 ハッと我に返った時、俺は彼女の拳の上に手の平を乗せていた。 皆は俺が彼女が木吉に殴りかかろうとしたのを止めた、と思っているけど違う。 ただ俺は彼女が木吉に触れるのが嫌だったのだ。 俺はようやくその時、初めての恋が始まったことを知った。 |