心の奥に留めた想い。それは決して恋ではなかった。

けれど確かに。手を伸ばしそうになる何かが、彼女にはあったのだ。














山崎は恋愛というものをした経験がない。

もちろん男としての欲はあるのだが、どうにも淡泊な性質なようで肌を重ねることに執着はしなかった。

武士になるのだと親の元を飛び出した為、かくたる縁談もなく、新選組に入隊してからは色恋沙汰とはほぼ無縁であった。







だからだろうか。

雪村千鶴が屯所に身を置くようになっても、山崎にはただの監察対象でしかなかった。

年月が経つにつれ、千鶴は監察対象から信頼出来る仲間なったが、それでも山崎の心は動かなかった。

組長達の何人かが千鶴に好意を寄せていることを知っても、隊務に支障が出なければいいとしか思わなかった。








なのに、何故だろう。

鬼の一族、の放った言葉がこんなにも耳の奥に残っているのは。



無理矢理定められた相手とは、幸せになれるはずがないのだと、彼女は笑いながら顔を歪めた。

その表情が、寂しさ、悲しさ、虚しさ、そんな言葉では表すことのできない嘆きを訴えているようで。

忘れる事が、出来ない。

















「なぁ、島田君」

「なんですか?」

「好いてない相手に嫁いだ女性は、幸せになれないものだろうか」



互いに武器の手入れの最中、ぽつりと呟かれた言葉に島田は大層驚いたように目を見開いて手を止めた。

それは驚くだろう。普段世間話ですら、任務に通ずることしか話さない山崎なのだから。

だが山崎が決してふざけているのではないことを、年長の島田は悟り手の中の刀を鞘に納めた。



「他に好いた男がいるのなら話は別ですが、そうでなければ・・嫁いでから互いを知るということもあるでしょう」

「ならば、互いに歩み寄ることがなければ・・・・」

「全て当人達の努力次第でしょう・・・・なにか、ありましたか」




決して揶揄するでもなく、どんな言葉でも真摯に受け止めてくれる島田を、山崎は尊敬している。

自分もそうでありたいと思う反面、こういった落ち着きのある対応は若輩者である山崎にはまだ難しい。

だからこそ曖昧な心の内を吐露したくなる。山崎は言葉を選びながら、口を開く。



「そういう女性と少し話をしただけなのだが・・・・俺には理解出来ない」

「その女性の心情がですか?」

「いや・・・多分、相手の男がだ。例えどのような事情があっても、自分の元へ嫁いでくれた女性に対しあのような事を言わせるなんて」



千鶴のことを、愛されていて羨ましい、と言った。

千鶴は幸せだと。

ならば彼女は。愛されはしなかったのか。





「例え忌み嫌っていても、夫婦というものは成り立つんです。その逆もまた然り」


島田は月を仰ぎ見る。その月の奥に江戸に置いてきたという家族の影が映っているのだろう。


「・・・逆、とは?」

「愛していても夫婦になれるとは限らないということです。夫婦とは、互いに思い合ってこそですから」

「互いに・・・・」

「ええ。だからこそ夫婦とは難しい。一方的な想いはきっと愛と呼ぶにはふさわしくないのではないかと思います。・・・ってこれ、全部カミさんの受け売りなんですが」

「素敵な夫婦だな」

「いやぁ。でも、山崎君だって、所帯を持てば分かりますよ」



島田は大きな身体を照れくさそうに揺らした。その様子に山崎もつられて笑う。








を娶った男はどのような男なのだろうか。

千鶴に言い寄る男、風間千影が時折口にする言葉。

それは女を子孫繁栄の為の道具としか見ていないような言葉だった。

彼女が見せた表情も、その言葉も、それらを示唆していたのだろうか。



彼女は愛されなかったのだろうか。

それともその愛は彼女に伝わらなかったのだろうか。





「島田君・・・一方的な想いが『愛』ではないのだとしたら、それは一体なんなのだろうか」

「恋、でしょうか。それとも、執着と呼ぶべきでしょうか・・・難しいですね」


二人の目の前には月がある。

その月の奥に、島田は家族を想う。、

山崎はその月に想いを馳せるべき相手はいない。



「ただ一つ言えることは・・・」


島田は月を仰ぐのを止め、山崎と目を合わせながら微笑んだ。



「『愛』とは二人で作るものなんですよ」




































山崎の懐の中には、の遺髪が入っていた。

山崎に呪をかけた、彼女の真意はもう誰にも知ることは出来ない。

ただ山崎に出来ることは、死と引き換えに託された想いと共に駆けるだけだ。





幸せになりたかったのだと、





死を前にして流した涙には、そんな嘆きが隠されていたのだと思わずにはいられない。

鬼ではなくただの人間として、女として、生きたかったのだと。

彼女は生まれた瞬間、その些細な願いを奪われ、それでも生き続けなければならなかった。







は言った。



輪廻の輪をくぐり再び出会う、それが呪いだと。



あの瞬間、どんな言葉でも言えたはずだ。

例えば巡り合って恋をする、そんな言葉でも良かった。




けれどは、出会う・・・という言葉に留めた。



懐紙ごと遺髪を握りしめる。

なんてささやかな願いだろうか。それが死の間際の願いだなんて。


彼女は山崎と出会い、そして恋をする自由を得ることを望んだのだ。

女鬼として生まれたにはたった一つの恋をする自由すら与えられなかった。


だからこそ。

愛を得ることを望んだのではなく、

恋をする自由・・を望んだのだ。







これのどこか呪いだというのか。






なんて愚かで、なんといじらしい、あまりにささやかで無垢な子供のような願い。













それに気付いた瞬間、山崎は叶えてやりたいと思った。

思ってしまった。

だから彼女を殺した。

手向けの華の代わりに俺は君に約束しよう。








俺は、君に会いに行く。

必ず約束を護る。





俺が君に恋をするのか、

君が俺に恋をするのか、

二人がそれぞれ別の道を歩むのか、

それはわからないけれど、








その選択が、

迷いが、

恋をすることで抱く葛藤すらも、







君の望んだものなのだから。



















君が繋いだいとが世界を変える







 



(君の呪いが俺を導く糸となる)