「どうかしましたか?」









男の言葉に、女はふるりと首を振る。だがその瞳は目の前にある己の姿も、二人の背後に浮かぶ月すらも見てはいなかった。

我ながら幼稚だと感じながらも、男は女の気を引こうとその柔らかな唇に口付けをする。

女は拒む様子も見せず、けれど受け入れることもなくただされるがままに身を委ねている。




「天霧」


女が抑揚のない声で男を呼んだ。


「なんですか、・・・

「別に、何も」

「そう・・・ですか」




男が着物の襟に手のひらを差し入れ、柔らかな肌に指を埋めても、それでも女は動かない。

ただ心あらずに月を、その向こうにある何かを見つめている。



・・・もう少しこちらを見てはくれませんか」



これから契りを交わそうというのに、まるで自分を見ようとしない女に、天霧はついに苛立ちを露にする。

少し乱暴に女の肌を掴み、指の力を強くするとさすがに痛かったのか、小さく女が身じろいだ。



「お前がそんなことを言うとは意外だな」

「いけませんか?私にだって嫉妬心くらいはある」

「嫉妬?お前がか?一体何に?」

「私を見ようとしない貴方にです」

「私とお前の関係がそんな情熱的なものとは知らなかったな」





はせせら嗤う。天霧の奥底にある想いごと嘲笑する。





天霧とは俗に言う許婚の関係にある。だがそれは想いを交わしたというわけではない。

あくまで、数少ない鬼の血を残すための手段に過ぎずそれは生まれた時から決まっていたことだった。




それなのに、馬鹿馬鹿しい、とは嘲る。罵る。

それはまるで今の関係を断ち切りたいと言っているようで天霧は湧き上がった一つの予感に吐息した。




「今まで一度としてそんなことは言わなかったでしょう?突然どうしたんです」

「・・・・別に」

「恋を、知りましたか」



鬼にとって、閨の睦言など単なる子孫繁栄に過ぎない。

もとうの昔にそれを受け入れ天霧に抱かれていたはずだ。

天霧との関係は、決して悪くない。鬼の種族の中でいえば友人の部類に入るくらいに仲が良いと言ってもいい。

だからこそ、天霧は油断していた。

が例え己を愛さなくても。こうして抱かれ、やがて子を成し夫婦となれば、彼女は名実ともに己のものだ。

殺伐とした戦いに身を置く彼女の中に恋愛などという生ぬるい戯言は存在しない。

だからこそ、天霧はに愛されることに拘らなかった。







それなのに、もし彼女が恋を知り、他の男を愛したとしたら。











「・・ッ!!」






鋭い歯がの首筋にぷつりと音を立てて埋まった。

血をすする音がし、みるみる内に天霧の紅色の髪が白色に変化していく。




「天霧!!!」

「許しませんよ、そんなことは」




血走った眼にの背筋に悪寒が走る。

こうなったら、もうの力では天霧に敵わない。

力ずくで抑え込まれ畳の上に押し倒される。普段の優しさは見る影もない。











愛されなくても構わない。

彼女が愛を知らないのだから。

愛されなくても構わない。

彼女が誰も愛さないのなら。







けれど彼女が愛を知ったなら、

他の男を愛するなど許さない。







「貴方は私のものです、









貴方が嗤った私の想いごと、貴方の身体に打ち込んで差し上げましょう。



















そして前世の縁は男の執念によって、現の世に手繰り寄る。