鳥羽伏見の戦いで傷を負った山崎は、江戸へ撤退する為に乗りこんだ富士山丸の船内で熱にうなされていた。 己とて元は薬種問屋の息子であり、松本良順に医療を学んだ身だ。 このまま伏していくことくらい予想がついていた。 よしんばこの場を耐え抜いたとしても、もう戦場には出られない。 重症を負って初めて山崎は沖田の無念とくやしさを身に沁みて感じていた。 「お、起きてんのか」 船内に軽い声が響いて山崎は首を少しだけ動かした。 熱に浮かされた身体は、もはや小指一つとして自由に動くことままならない。 「・・・・・副長」 「すっかり陸を離れちまったよ。江戸へ着くにはあと二週間は掛かる」 なんとか身体を動かそうとした山崎を軽く制し、土方は笑った。 鳥羽伏見の敗走、徳川慶喜の撤退、誰よりもくやしさに歯ぎしりしたのは土方だった。 だが土方は江戸へ向かう船の上でよく笑うようになった。 隊士が、幹部が一人、また一人と減り続け、もはや鬼の副長を演じる必要がなくなったのだ。 後ろ盾であるはずの幕府は総崩れで新撰組はもはや瓦解したと言ってもいい。 それでも最後まで武士の魂を貫き、誠の旗に縋りつく近藤や土方を山崎は少しも哀れとは思わなかった。 「なんか食ってんのか?」 「・・・いえ、・・・・」 「山崎・・・・飲むか・・・・?」 鬼の副長とは思えぬ小さな声で、問われたその言葉の意味を山崎は瞬時に理解した。 そしてゆるゆると首を横に振る。 土方はそうか、と少し安堵したように笑った。 「申し訳・・・・ありません・・・」 「謝るんじゃねぇよ。俺は元から羅刹隊には反対だっつったろ。 だが・・・山崎君なら飲んじまうんじゃないかと思ってよ・・・・」 そう言われて、山崎は今度は首を縦に振った。 その意味を分かりかねて、土方は眉をしかめる。 「副長は・・・・という鬼を覚えていますか?」 「?ああ・・・・あの、いけ好かねぇ女鬼だろ」 「その女鬼は俺が・・・殺しました」 「報告は受けてるぜ」 今更何を言うのか、と土方は軽く相槌を打った。 波の音と潮の匂いが二人を包む。山崎にとってそれはひどく心地良かった。 「その時、俺は呪いを・・・・受けました・・・鬼の、」 「呪い?」 「ええ、来世で・・・・その、女鬼と・・・と・・・・必ず会う、と。 だから俺は・・・・逝かなければ・・・・なりません・・・・」 その言葉を、土方はどう受け取ったのか、山崎には分からなかった。 の呪いを受けなければ、山崎は迷わず羅刹となることを選んだだろう。 「約束、したのか」 だが土方は山崎の真意を察し、船の天井を見上げた。 それは涙を堪えているように山崎には見えた。 「誓い・・・・ました・・・」 山崎はが言った”呪い”を”約束”として受け取った。 その証拠が、懐に忍ばせている彼女の遺髪だ。 「なら、止められねぇな」 寂しそうに、目を伏せた土方に山崎は己の目頭が熱くなるのを感じた。 土方の震えた声に、気付いてしまったから。 「申し訳・・・・ありません・・・」 「謝るな」 「俺は・・・・幸せでした・・・・新撰組に・・・貴方に・・・会えて・・・・・」 「でも、俺は女鬼に負けたわけだな」 冗談めいて笑った土方に涙を零しつつも、山崎もまた、笑った。 こうして穏やかに笑い合うことなど久しくなかった。 本当は皆、誰もが笑い合える未来を目指していたはずなのに。 「は俺に命を・・・・預、けて・・・・俺は・・・・それに応えなければ・・・・」 「もう、いい。喋るな」 「幸せ・・・・・でした・・・・・・」 山崎は土方に向かって手を伸ばした。 が、実際には身体のどの部分も動いてはいなかった。 ぼんやりと周囲が暗くなっていく。 土方の嗚咽が、叫びが、闇に響きやがてそれすらも・・・・・・消えた。 俺は神に誓おう この惨劇を笑おう そして次の世で必ず 君の手を掴もう 目を覚ました時、山崎は泣いていた。 明日も学校だ。夜中に目を覚ませば明日起きるのが辛くなる。 何か、夢を見ていたように感じたが、それが何かは覚えてはいなかった。 |