恋をした。 それは刹那の恋だった。 相手は人間だった。 私は鬼だった。 理由などなかった。 幕末の戦乱の中、それは交わるはずのない道だった。 森の中を駆け抜ける男女に追いつくのは簡単だった。 男は熟練した隠密だったが、女はまるで素人だ。 女の体力が切れたのか、立ち止まってしまった二人の背後に迫る。 男は女を己の背に隠し、刃を構えた。 「さっさと雪村千鶴をこっちに渡しなさい。そうすれば、命だけは助けてあげる」 「・・・・断る」 「そんなにその女が大事なの?」 「・・・・・・・」 「山崎さん!」 が腰の刀を抜くと、男の名を女が叫んだ。 この光景を見るのは、これが初めてじゃない。 頭領である風間の命令で何度か新撰組を襲ったことがある女鬼、にとってこの光景は何度となく見た光景であった。 「雪村千鶴、貴方もよく男の影に隠れる女ねぇ?この前は斉藤一の後ろに隠れてたかしら?」 「・・・・・黙れ」 「可愛い女は得ね。私みたいなのは年中使いぱしりよ。ま、いいわ」 左手でクナイを放ち、その瞬間右手で日本刀を山崎の眼前に突き立てる。 二段攻撃に、逃げ場をなくした山崎は、千鶴を突き飛ばして、クナイを弾いた。 だがそれでは日本刀の攻撃は防げない。山崎の肩に血飛沫が舞う。 「山崎さん!!」 「雪村君、逃げろ!!」 「本当・・・・いいわね。私も貴方みたいな子に生まれたら少しは違ったかしら?」 「・・・・黙れと言っている」 「私も風間もね、個人的には気に入ってるのよ、新撰組。もっと、別の出会い方がしたかったわ」 「何を、言っている」 独り言のように呟いた言葉に、山崎が困惑したように反応した。 それは、そうだろう。殺し合いの最中だ。 だが私は刃を下に下し、剣の構えを解いた。 「雪村千鶴・・・・逃げちゃったわね」 「最初から・・・・捕まえる気がなかったのか?」 「さぁ・・・どうかしら。ねぇ・・・山崎烝」 「・・・・・・」 「もし、私がただの人間だったら、雪村千鶴のように護ってくれたかしら?」 「無駄な話だ」 「そうね」 付き合いきれないというように、山崎が剣を横一文字にはらった。 剣はの胴に直線の傷をつける。 「何故・・・・・・避けない?」 「・・・・・山崎烝、鬼の殺し方って知ってる?」 「心の臓を一突き、だろう」 「じゃあ外さないでね」 が持っていた刀を地面に突き刺した。 足元に沈んでいた枯れ葉が宙を舞い、風に流れる。 「・・・・・・なんのつもりだ」 「取引をしましょう」 「取引?」 「貴方はここで私を殺せばいい。その代わり、一つ私の言うことを聞いて」 鮮血がじわじわとの胸元を染めていく。だが傷自体はすでに治癒に向かいつつある。 「考えている時間はないわよ。鬼の回復力を知っているでしょう」 「条件とは?」 「呪い」 その言葉に、山崎は眼を見開いた。 鬼の存在を知った男でもやはり、怖い物があるのだと知る。 「貴方は私を殺す。私は貴方に呪(しゅ)をかける」 山崎烝は常に任務に忠実な男だ。その為には己の身など顧みない。 の予想通り、一瞬戸惑ったものの、山崎はすぐに元の無表情に戻った。 「いいだろう」 山崎は躊躇なく、女鬼の身体に新撰組副長・土方が最も得意とした平手片突きを放った。 正確無比に、刃は心の臓を突き射し、の身体は地に落ちた。 山崎はそれを確認するように、の身体の横に膝をつく。 血にまみれながらも女鬼は、笑っていた。 「ど・・ん・・な・・・・・呪・・・か・・・聞き・・・たい?」 息も絶え絶えに、は問うた。 山崎は、ただそれを見つめている。 「私・・・達・・・は、輪廻の・・・・輪を・・く・・・ぐり、ま・た・・・出会・・・う そ・・・して・・・・今・・度は・・ただ・・の・・人間・・・・として・・・・」 女鬼の目は既に濁っていた。 大きな目に涙だけが頬を流れる。 その時初めて山崎は、女鬼の言わんとしていることに気づいた。 「といったな。それは・・・・呪いではない」 山崎はの頬の涙を指で拭った。それがわかったのか、また、女鬼は笑う。 「呪よ・・・あ・・・んた・・・・にとって・・・・は・・・・」 「違う」 「・・私・・・ね・・・あ・・・・ん・・た・・・っ・・・・が・・・っ・・!!!」 の口から血が溢れ出す。 びくびくと痙攣し、頭ががくりと土に落ちた。 死を看取った山崎は、女鬼の髪に刃を寄せる。 黒い髪がするりと刃に添って切れた。 その髪を懐紙に包み、それを懐に入れる。 「お前の呪い、確かに受け取った」 見開いたままの瞼をそっと閉じてやる。 その言葉を最後に山崎は走り出し、二度と振り返ることはなかった。 女鬼は死の瞬間、世を恨んでいた。 鬼となって生まれた身を、 人間の男に恋をした自身を、 そして山崎との言葉通り、女鬼は呪詛をかけた。 私は神を呪おう この惨劇を嘆こう そして次の世でも必ず 貴方に恋をしよう |