斉藤は眼を開けた瞬間、ぎくりと身体を強張らせた。

悲鳴を上げようにも、声が出ない。それどころか体も動かず息をすることすらままならない。

千鶴、平助、新八、左之、仲間の名を呼ぶその声は音にならず空気となって消える。



そこはとても奇妙な空間だった。

紫の、なにかもやもやとした壁のようなもので囲まれた空間。

そこに気を失っているのか、四人がうつ伏せになった状態で転がっている。

暗い。けれど真っ暗ではない。それは何故か。


うつ伏せに倒れ、動かない身体で懸命に視線だけを動かす。

すると斉藤から一番離れた場所に居る永倉の身体の向こうに小さな四角があることに気付いた。

その四角から光が溢れている。斉藤は懸命にその光に目を凝らした。

すると何かが見える。それは本。本棚がずらりと並んでいる教室。



(図書室か・・・・?)


間違いない。斉藤の目に映ったのは図書室の本棚。

その横には受付カウンターも見える。つまり斉藤達がいるのは受け付けカウンターの真正面。



(そうか!鏡!!)


間違いない。あの四角い光の大きさはカウンターの正面の壁に掛けられている鏡の大きさと同じだ。

つまり自分達がいるのは鏡の中。その鏡の中から外を見ているということになる。




目を凝らして、鏡の外を覗いていると、小さな影が横切ったように思えて斉藤は目を見張った。

誰か・・・・誰かいる。仲間じゃない。では一体誰が?

斉藤の視線に気づいたのか、それはくるりとこちらに振り返った。






(・・・・・っ!)




声にはならない。ならないが、確かに斉藤は悲鳴を上げた。

そしてぼんやりと意識が薄れ・・・・・斉藤一は意識を失った。








おかえり













「ここか」


土方達は四階校舎の最奥、図書室の扉の前まで来ていた。

霊感なんてもの無くても分かる。なんて禍々しい気配!

空気が黒く澱んでいるようで、全員が顔を顰める。




「とうとうラスボスだぁ。気合入れてけよぉ」

「ここがラスボスなら犬はヘドロスライムってところかな」

「せめてキングスライムくらいにしとけよぉ」



人面犬が雰囲気を察し軽口を叩く。それに総司がのって暗い雰囲気を脱しようとする。

花子はそっと土方の傍に立ち、その手を引いた。


「おぼえていて。おばけにはそれぞれうまれたりゆうがある」

「理由?」

「そう。そしてそのりゆうがそのままふういんにつながる、わかるわね?」


花子の言葉に土方はしばし思案する。お化けが生まれてた理由、そのきっかけ、生い立ち、それらが全て封印の方法を解明するカギとなる。


「要は何が起こっても冷静に対処しろってことだろ。それなら試合と変わらねぇ」

「ふふふっ、たのもしいわね」



「土方先輩、開けます」


山崎が扉に手をかけた。その横にはが寄り添っている。



「ああ、行くぞ」







土方の返事と同時にガラリと図書室の引き戸が引かれた。

土方と花子が最初に飛び込む。だが図書室に異変はない。

総司とシロが、そして最後に山崎とが図書室の中に足を踏み入れたところで、ガチャン!と大きな音がし扉が一人でに閉まった。





「「「「!!っ」」」」



山崎が引き戸を引く!だが開かない。それはまるでコンクリートの壁のようにびくともしなかった。


「まぁ・・・これくらいは予想の範囲内だよね」

総司が呟く。それは強がりでしかなかったが、それを表に出さない。

「それよりも何か変わったことがないか調べましょう」

も総司に続いて、平常心を装う。








この学校の図書室はそれほど広くはない。

教室を三つほど壁を抜いて作られていて、小説よりも歴史書や辞書などが並んでいるため、利用者はそれほど多くない。

現に総司など初めて図書室に入ったくらいだ。一年にはまだ利用したことのない者も多い。





「どこ調べればいいかわかんないんだけど」

総司のその言葉に山崎も同意する。

「確かに・・・特に変わったところはないように思えるが。君、何か気付いたことはあるか?」


異変の直前まで図書室にいたなら何か気付くだろうか、と山崎が訪ねる。

は首を少し捻った後、ある一点に目を止めた。




「あの鏡・・・・・なんだか少し変わってるような・・・?」



そう言って壁に掛けてある小さな鏡を覗く。

一見したところ変わったところはない。

けれど違う。何かが違う。

記憶を辿ってじっと見つめる。それでも分からずに数歩下がってその鏡が掛かっている壁全体を見つめた。




「――――――っ!!」



咄嗟に図書室全体を見つめる。―――――見つけた!それは鏡がかかっている場所から少し離れた壁。

かけられた鏡と同じ大きさの染みがはっきりと刻まれている。

それは長年同じ場所に鏡があったという証拠。それが何故動かされた?

ぐるぐると身体を回転させ図書室の中を360度見渡す。

そして気付く!!

受付カウンターの壁に小さな鏡が掛けられている。受付カウンターの中に何故鏡が?

それはとても不自然。だからこそ気付ける!!

その小さな鏡が映し出しているのは、正面の壁に掛けられた鏡。

そうつまりこれは―――――



「合わせ鏡!!」




の声に全員の視線が集まる。

合わせ鏡、それはとても基本的な都市伝説、学校の怪談の一つ。

二つの鏡を向かい合わせにすると、そこに映るのは鏡の羅列、終わらない鏡の螺旋。

覗くと自分の死に顔が見える、覗くと異次元に引き込まれる、老婆が現れて殺される!

噂は様々、でも共通項は一つ、合わせ鏡の中の世界は死後の世界。

ならばそこに映るのは――――――






「山崎君、鏡の中にいなくなった人達が・・・・!」

「なんだとっ!」




その言葉に全員が合わせ鏡の中を覗き見る。

幾重にも重なった鏡、鏡、鏡、その中の一つに、探していた仲間が倒れている!




「まずいぞぉ、まずいぞぉ」




人面犬がパタパタと尻尾を振りながら、ぐるぐると歩き回る。

咄嗟に総司が鏡に手を掛けた。だがそれを花子が制止する。



「さわっちゃだめ!むりにうごかすともどれなくなるわ!」

「じゃあどうしろって言うのさ!!」

「なにがおこっても、ゼロにもどせばもとどおりっていったでしょ!あのこをふういんするしかない!たとえこのなかのだれかになにかあっても、ふういんさえできればゼロになる!」

「犠牲は覚悟の上で動くしかねぇってことか・・・・・」


苦渋に満ちた決断をしなければならない。土方は自分で吐いた言葉に頭をかき毟る。

誰の返事もない。誰もがみんな分かっている。例えそれがどんなに納得のいかないことでも、現実にはそうするしかないことを。




「土方先輩、絵日記に変化はありませんか?」

「特には・・・・ねぇ・・・いや、待て」



僅かな手掛かりを求めるように、何度もページを捲るっている内に、土方の指が違和感に止まる。

指に硬い感触。ページの一枚が妙に厚い。



「これは・・・ページがくっついているのか?」


心中の焦りに震える指を抑えて慎重にページの端に爪先をひっかける。

するとペラリとページの端が2枚に分かれた。やはりページが2枚くっついていたようだ。

破らないようにゆっくりと丁寧に剥がすと見えてきたのは赤黒いページ。

まるで血のようなクレヨンの赤と黒でページが、いや、なにか下に描いたものを塗りつぶした跡のようだ。



「何を描いたんだ・・・?」

「手掛かり、でしょうか」


土方の疑問に山崎も絵日記を覗き込む。

だが分からない。細長い何かが描かれているのがかろうじて分かるだけだ。



「これ、もしかして人じゃないですか?」


二人の後ろからが顔を出す。そしてページの上で指を人型に動かした。

そう言われると、確かに人に見えてくるような気がする。山崎と土方は顔を見合わせた。



「しかしこれが人だとしても・・・だからなんだってたんだ?」

「絵日記ですが、文章の部分には何も書かれていないようですね」

「絵だけ描いて、日記自体は書かなかった。途中で描くのを止めちまったってことか?」

山崎と土方が首を傾げる。はその赤黒いページをじっと見つめた。

その色は確かにクレヨンの色だ。だがその色のおどろおどろしさは死を連想させる。



「花子さんが言っていた”あの子”の生まれた理由、死に直接関係する出来事が描かれようとしていた、ということかもしれません」

「絵日記を描こうとしていた最中に殺された、ということか?」

「ううん、このページ自体を描いたのはきっと殺された後、幽霊になってからだと思うの。だからこれは”あの子”が何故死んだのかを描こうとしたんじゃないかな」

「だとしてもこれじゃ何があったのか分からねぇぜ。人が二人、ってんならまだ分かるが人が一人しか描かれてねぇ。せめて日付さえありゃあ調べようもあったかもしれねぇが」





「手掛かりならもう一つあるんじゃない?」



三人が行き詰った時、それまで黙っていた沖田が合わせ鏡から視線をそらさずに口を開いた。

皆が振り返る。沖田は微動だにしない。


「なんだ、総司」

「場所だよ。僕にはよく分からないけど、幽霊って場所に縛られるやつもいるんでしょ?花子さんみたいにさ」

『いいちゃくがんてんだわ。えにっきはどこへいどうしてもかならずとしょしつへもどってる』

「図書館を調べればなにかわかるってことか?しかし何を調べりゃいいってんだ!?まさか本を調べれば手がかりが書いてあるってわけじゃねぇだろ!」

『あせらないで、としちゃん。かならずむこうからなにかしかけてくるわ』






花子さんの言う通り、図書室を纏う空気は少しずつ変わりつつあった。

瘴気、とでも言うのだろうか。段々と、空気が重くなっていくのを感じる。



が少し咳きこんだ、その時、だった。





バラバラバラバラバラバラ



本が一斉に捲れ上がる。

当然のように風はない。だからこそ異様な光景。




バラバラバラバラバラバラ


それは止まらない。ガタガタと本棚が揺れる。




「―――――っ!!!」




誰かが息を呑んだ。

本棚と本棚の隙間になにか、いる。

目を凝らす。

瘴気の渦の真ん中に、蜃気楼のようにゆらゆらと揺れている景色の中に、




それは、いた。







「あなた、だぁれ?」






見慣れない膝下スカートの黒いセーラー服。振り乱された長い黒髪。

下を向いていて顔は見えないが、青白い肌は生きている人間ではないことをはっきりと示している。

風が吹けば消えてしまいそうなほどの儚い存在感。




「てめぇがこの絵日記の持ち主か」



見つけた。ようやく見つけた。たった数時間の出来事が何日も彷徨っていたような気がする。

土方はちらりと花子を見た。花子は絵日記の持ち主を見つければ戻れると言っていた。

だが、本当にそれだけで戻れるのだろうか?

目の前の禍々しくも恐ろしい存在に、どうしようもない嫌悪と悪寒を感じる。

手の中の絵日記が激しく震動している。帰ろうとしているのか、持主のところへ。



「えにっき、はなしちゃだめよ」

「わかってる!」


何かを見透かしたのか、花子の言葉に土方は絵日記を両腕で包みこんだ。

だが絵日記の震動は止まらない。両腕から逃れようとするかのように動き続ける。









「あなた、だぁれ?」





苛立ちを表すかのように、ソレは同じ言葉を二度繰り返した。

山崎は身震いしながら、それでもソレから目を逸らさずにいた。

お化けには全て生まれた理由がある。そしてそれに準ずる行動をする。

ならばこの先のソレの行動が、なんらかの手掛かりになるはず。

危機は同時に好機でもある。







ぴたり、と。







あれほど耳障りだった、音が、止んだ。

それは本が捲れる音。

ソレが、ついっと一歩前に寄ってくる。同時に全員が一歩後ろに下がった。












「―――――わたしは、だぁれ?」









ソレが、顔を上げる。

全員が、今度こそ息を呑む。

聞こえた悲鳴は誰のものだったのだろう。

ぶつかった肩は誰のものだったのだろう。







ソレには、顔が、――――――――――――――顔が無かった。













「うわっ!!!」



誰もが後ずさった瞬間、土方の手から絵日記が零れ落ちた。

それはまるで吸い寄せられるかのように、ソレの元へ飛んでいき、その青白く細い腕に収まる。









「―――――わたしは、だぁれ?」










何かの手掛かりを見つけようとしているように、ソレは絵日記を捲る。

そして赤黒いページに辿り着き、こてりと首を曲げた。

山崎は絵日記の表紙を見つめる。名前なんて書かれていない。

だが直観する。ソレが彷徨っている理由、それは自分の名前を知る為!

テケテケが足を求め彷徨い、そして足を取り戻して成仏したように、きっとソレの名前が分かればこいつは成仏するのだと!

だが手掛かりはどこに?顔のないソレの名前などどうすれば分かるのか!



「くそっ!どうすればいいんだ!」




それは山崎だけじゃない。全員の心の叫び。

だが一人、いや一匹だけがその場の雰囲気にそぐわぬ笑みを浮かべていた。




「なに、笑ってんのさ」

「へっ、ちょいとついてこいよぉ、総司」




お化け同士だと平気なのだろうか。

重い空気に動けない四人を尻目にシロは出会った時と変わらぬ仕草でフンフンと鼻を鳴らして、小さな身体を揺らしながら本棚の間を何度か往復した。

そしてある一点でピタリと足を止め、そこをカリカリと前足でかく。普通の犬猫ならさぞかし可愛い光景だっただろうに、親父顔の犬はまるで腐ったものでも見つけたかのような苦い顔をしていた。。



「―――――総司、あれだ」

「この本を取ればいいわけ?」

「ああ。表紙を捲れ」



こうしている間にもソレは声を荒げながら、何度も同じ言葉を繰り返している。

いつ襲いかかってこないとも限らない緊張感の中で、総司は手早く指定された本を引き抜く。

そして表紙を捲って、あるものを目にする。それは、



「図書カードか!」


その言葉に三人が総司とシロを見つめた。

本の表紙に付いていたのは、本を借りる時に使う図書カード。

最近はデジタル式で各々に配られたカードのバーコードを読み取りパソコンで管理するが、昔は違った。

本に付けられたカードに自分で名前を書いて借りていたのだ。この学校も以前はそうしていた。

その本はそれを取り外し忘れたのか、カードが昔のまま表紙に付けられたポケットの中にささっていた。

素早くそれを引き抜く!それには一つだけ、名前が書かれていた。




「当たったな」

「・・・・・大当たりだよ、シロ」

「やっと名前呼びやがったなぁ」

「ご褒美くらいはあげないとね」




総司とシロが顔を見合せた。そしてそのカードの名前を読み上げるため、大きく息を吸う。







「君の名前は――――――・−−・−だ!!」










総司が叫んだのと同時に、世界が、揺れた。

その瞬間、山崎は隣にいた彼女の身体に手を伸ばす。

見間違いだろうか。彼女の口元が僅かに歪んで弧を描いたように見えた。


伸ばした手は届かずに、全ての世界が消え去った。
































校庭では活気溢れる声が響いていた。

体育館で響くボールの音、グランドを占領し打撃練習をする野球部、その反対にグランドが使えずに外周を続けるサッカー部。

皆夏の予選を終えて、秋の本選を目指し活気づいている。

放課後の図書室、山崎は平助に頼まれて図書室へ来ていた。

部活の途中、急に用事が出来て帰らなくてはならなくなった図書委員の平助の代わりに図書室の鍵を閉めに来たのだ。

静まり返った図書室に念の為誰も人がいないことを確認していこうと一歩足を踏み入れる。

すると少しかび臭いような古い本が床に落ちているのに気付いた。

本棚から落ちたのだろうか。見開いたまま落ちていた本を拾い上げると、パサリと何かが落ちる。

それはもう山崎の世代では見かけなくなった手書き式の古い図書カードだった。

どうしてこんなものがここに?

首を傾げながら、カードを拾うとそれには一つだけ名前が書かれていた。















その名前を見た時に、ふいに頭の中がズキリと痛んだ。

どこかで聞いたことのあるような名前。けれど思いだせない。

日付を見ると昭和、とある。20年以上前のもので、鉛筆で書かれた名前の横に貸出スタンプが押してあるが、返却スタンプは押されていない。

何故だろう。本がここにあるということは返却されているということなのに。


何故か山崎の背を襲った悪寒に動けずにいると足音が聞こえて、山崎は慌てて振り返った。





「ちょっと、皆待ってるんだから、早くしてよね」



そこに立っていたのは沖田だった。

だがいつもの彼とは違う。腕に何か白いものを抱えている。



「沖田、それ、どうしたんだ?」

「ああ、これ?さっき廊下うろついてるのを見つけてさ。擦り寄って来たからとりあえず捕まえておいたんだけど、野良かな?」



それは白い犬だった。ちわわほどの小さな犬で、顔は芝犬のような顔をしている。

なにが嬉しいのかパタパタと尻尾を振り、舌を出してこちらを見上げている。



「野良の犬?珍しいな」

「どっかから逃げたのかもね。じゃ、シロ、行こうか」

「その名前・・・」

「なんとなくピンときたんだけど、やっぱ単純すぎるかな」

「いや、名前を付けること自体どうかと思うぞ。飼う気がないなら止めておけ」



そう言いながらも、山崎は犬を撫でてみようと手を出した。

すると犬の前足が山崎の手を薙ぎ払い、握っていたカードが滑り落ち、それは本棚の下へと潜り込んでしまった。



「あっ!」

「あーあ、山崎君、嫌われたね。今なんか落ちたけど?」

「・・・これは、取れそうもないな」

「大事なもの?」

「いや、別になくても構わないと思うが」





カードが新式に変わってからは、本についていた手書きのカードは処分されたはずだ。

たまたま処分され損なったカードが無くなったところで誰も困りはしないだろう。

はやくはやく、と急かす沖田と犬に山崎は本を元の場所に戻し図書室に鍵をかける。

静かだった廊下に下校十五分前の放送が流れた。聞き慣れた放送に二人は時計を見る。




「あっ、」




その時、だった。

放送に驚いたのか、犬が沖田の腕の中から逃れ、長い廊下を駆けていった。

追いかけようとした瞬間、犬がピタリと足を止めて振り返る。

そして、

















「―――――なに、見てんだよ」







と笑った。























ねぇねぇ、知ってる?

図書室にある不思議な本の話。

その本に吸いこまれるとね、別の世界にいっちゃうんだって

そこにはね、おばけがたくさん住んでるの

その世界に迷い込んだら、24時間以内に帰らないと、

おばけの仲間にされちゃうんだよ











『わたし』みたいにね?