平助は欠伸をしながら、図書室へ入った。

テスト期間でもなければ使われない小さな図書室には当然のように誰もいない。

こんなの、当番なんて意味ねーじゃん、

平助は毒づきながら図書委員の座る小さなカウンターに腰掛ける。

すると、いくつかあるテーブルの上に、ページがパラパラと捲れている本を見つけた。





「窓・・・どっか開いてんのか・・・・?」




ぐるりと室内を見渡す。けれど窓はどこも開いていない。

けれどパラパラと動きを止めない本のページ。

書かれている単語は一つだけ。それが何度も繰り返し赤いインクで書かれている。




「な、なんだよ、これ・・・・・!」




背筋にぞっと悪寒が走り、平助は図書室を飛び出した。

その瞬間、平助の腰がテーブルに当たり本が床に落ちる。

パラパラパラパラ

それでもその音はいつまでも止むことがなかった。






















校庭では活気溢れる声が響いていた。

体育館で響くボールの音、グランドを占領し打撃練習をする野球部、その反対にグランドが使えずに外周を続けるサッカー部。

皆夏の予選を終えて、秋の本選を目指し活気づいている。

薄桜学園は文武両道、特に校長が部活動に力を入れており、どの部活もそれなりの結果を出している。

平助の所属する剣道部もまた、その一つだった。

その剣道部が空手部と兼用で使っている道場は、渡り廊下を曲がって体育館を通り過ぎた先にある。

平助は部活に勤しむ生徒たちの間を脇目もくれず走り抜けた。

そして道場の扉を思い切り開く。ようやく強張った頬が緩まるのを感じた。

ところが反対に、部員達は一斉に静まり返り視線は平助に集中した。





「な、なに・・・どうしたの?」




いきなり道場に礼もなく飛びこんだにしても、こんなに注目されるのはおかしい。

平助はうろたえながら、一番近くにいた千鶴に助けを求める。

千鶴は手にしていたタオルを脇に抱えながら、首だけを平助に向けた。


「あのね、校庭にも体育館にも誰もいなくて、どうしたんだろうね、って話してたところだったの」

「はぁ!?何言ってんだよ」

平助は声を荒げる。だってそんなはずはないのだ。

「ほら、みんないるじゃー――――」

平助は後ろを振り返り、そして閉口した。



いない。

さっきまで確かにそこら中に生徒がいた。けれど、どこにもいない。
サッカー部の外周の列も、グランドを占領していたはずの野球部も、帰宅する女子生徒も誰一人、いない。




「え、いや、だって、さっき・・・・俺サッカー部横切ったし、野球部いたぜ!?」




「いねぇじゃねぇかよ」
永倉はちゃかすように言った。


「部活中だし避難訓練ってことはねぇ・・・よな?」
原田が土方と斉藤を見る。二人は顔を見合せて首を振った。


「そんな話は聞いていない」
「だいだい非難ベルもなにもなってねぇじゃねぇか。平助、他の連中がどうしたか本当にしらねぇのか?」
「だからみんなさっきまでいたって!」


そこまで叫んで平助の背筋に再び悪寒が走る。

なんだろう、これは。気味が悪い出来事の羅列。

一つ一つは大したことじゃなないかもしれない。
あの本は誰かのいたずらで、校庭にだれもいないのは単にどこかに集合かけられているだけかもしれない。

けれど、違う。何かが違う。

なんだろう、
なんだろうこれは。

汗が噴き出る、嫌な予感がする。

「職員室へ行ってみれば何か分かるのでは?」
そう言ったのは山崎だった。そりゃそうだ、と永倉が頷く。


「じゃ、僕行ってくるよ」
沖田が軽く言った一言に、平助の肩が震える。

「や!みんなで行った方がいいって!なんかおかしいし」

咄嗟に叫ぶ平助。

「平助、どうしたわけ?そんなに焦っちゃって」

妙に青ざめた平助の顔色に沖田は肩を竦める。

けれど平助にはわからない。ただ、気味が悪い、では片づけられない何かを感じる。


「・・・・・仕方ねぇ、全員で行くぞ。どこかでボヤでも起こって本当に避難してる可能性もある」

「道場は孤立している。非常事態だった場合は残った人間が危険に晒されるかもしれん」

土方と斉藤が互いに頷き合い、部員一同を見渡す。

今ここいる剣道部員は三年土方・斉藤・永倉 二年原田 一年沖田・山崎・藤堂・千鶴の八人だ。
















は読み終わった本を片手に図書室へ入った。

校庭から聞こえる運動部の掛け声が、もうすぐ本戦が近いことを教えてくれる。

バレー部の試合の応援に誘われたことを思い出しながら、カウンターに並べられたカードから自分のカードを抜き取った。

返却日の箇所に今日の日付を書いて、図書委員に返却のスタンプを押してもらう。

けれど今日は図書委員はいなかった。


「また誰かサボってるんだ・・・・」


別段珍しいことじゃない。図書委員なんて地味な仕事はサボりやすくそれ目当てで希望するものもいるくらいだ。

は慣れた手つきで引き出しからスタンプを取り出し、カードに押印した。

あとは本棚に本を返すだけだ。





「・・・・・・・あれ?」




足元に、本が落ちている。

拾い上げるとそれは、背表紙に何も書かれていない中身も白いページの本だった。



「日記帳かな?」


念のためページを捲ってみるが、どのページも真っ白だ。

よく見ると、ページの半分から下にうっすらと縦線が入っている。


「絵日記帳・・・・」



高校に絵日記帳とは珍しい。

きっと誰かの忘れものだろう、とはそれをそのままカウンターに置いて図書室を出た。







廊下は誰一人居ず、静まり返っている。

あんなにもうるさかった運動部の喧騒が消えていることには気付かなかった。




































「マジかよ・・・・こっちも誰もいねぇってのか」




永倉の呟きに誰も返さない。

それほどまでに学校は不気味に静まり返っていた。

電気がついているはずなのに、どこか薄暗くいつもは聞こえない時計の針の音が妙に大きく聞こえる。



「どうにも異様だな・・・一年共はここで待ってろ。職員室へは俺達で行く」

土方はいつものように淡々と、けれど緊張を隠さずに斉藤に目くばせをする。

「何かあったら連絡しろ。正面玄関なら誰か事情に知っている者に会えるかもしれん」

斉藤はそれに頷きちらりと腕時計を見た。

4時30分。本来なら部活動に勤しむ生徒で溢れている時間帯だ。

「千鶴、総司達から離れるなよ?」

原田がそう言いながら、職員室へ向かって歩き出した。それに斉藤・土方・永倉が続く。

「はい!気をつけて下さいね!」



千鶴がそれに答えると同時に四人は階段をのぼり、その姿は見えなくなった。

それを確認した総司は盛大にため息をつく。



「なんかさぁ・・・おおげさなんじゃない?人がいないってだけでさ」

「だがここまで一人も会っていない。さすがに異常を感じるが?」

すかさずそれに山崎が反論する。この二人は些細なことでも口論が絶えない。相性が悪いのだ。

「皆でどっかの部の試合の応援にでも言ってるんじゃないの?」

「今日は平日だ。大きな大会ならば休日と決まっているだろう」

二人はロクに目も合わせないまま、互いに牽制し合う。平助はそれを落ち着かない心持ちで聞きながら、いつもなら千鶴がすぐに止めに入ることに気がついた。



「あれ?千鶴?」

いつの間にか隣に千鶴がいない。慌てて周囲を見渡すと一年の下駄箱の脇にしゃがんでいる小さな背中が見えた。

「平助君、見て」

千鶴がこちらに気付いて三年の下駄箱の方角を指す。視線を動かすとそこには小さな白い犬がいた。

「犬!?なんでこんなとこに!」


それは今の雰囲気にあまりにそぐわない出来事。何事かと山崎と沖田も会話を中断し、こちらに寄ってくる。


「うわっ、野良犬?」

「すぐに捕まえて外に放すべきかと思うが、捕まえられるだろうか?」


白い犬はひくひくと鼻を動かしながら下駄箱の匂いを嗅いでいる。おもちゃになる靴の物色しているのかもしれない。

千鶴は犬を驚かさないようにゆっくりと歩み寄る。すると犬はぴたっと動きを止めてこちらに振り向いた。













「なに、みてんだよ」











四人は一斉に動きを止める。

犬が・・・喋った。

でもそれだけじゃ、ない。





顔が、ある。

人の顔が、犬の身体についている?

犬の顔が人の顔に似ている?

分からない。

どちらなのか、或いはそのどちらでもないのか、分からない。

ただのっぺりとした肌色の紛れもない人の顔が犬の毛混じりでこちらを見ている。










「うわぁああ!」





叫び声を最初に上げたのは平助だった。それに続き千鶴が悲鳴を漏らした。

反射的に総司か正面玄関の扉を押す。押す、押す。



「何やってるんだ、沖田!」

「開かないんだよ!さっきまで開いてたのに!」

「そんな・・・!あ、開かない」



総司に続き、山崎が他の扉を開けようとするが、扉はびくともしない。

正面玄関の扉は両扉式のガラス戸になっていて、押せば開くという単純なものだ。

それが全部で横並びに五つ、いつもは開きっぱなしになっていて大勢が一度に出入り出来るようになっている。











ひたひたひたひた











意識が扉に集中していて、誰も気づかなかった。その小さな足音に。





「きゃぁあ!」





それは千鶴の足元まで来て、四人を見上げた。

絶句する四人を面白そうに見て、口元に胡弓の月を描き、そして言った。











いらっしゃい





















誰もいない無人の図書室。

そこではカウンターに置かれた背表紙の無い本がまるで誰かがそうしたようにゆっくりと開かれていた。

ぱらぱらぱらぱら。

踊るように、ひとりでに捲れるページ。そこには訪問者を歓迎する文字が赤く浮かび上がる。




いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい いらっしゃい