「影慶か。まぁ、一番妥当と言えば妥当だな」



仕掛け人は自分が外れて残念というよりも、むしろこれから起こることを予見しているかのように、笑った。

当然、当たりを引いた本人はそれどころじゃない。




「じゃ頼んだぞ、影慶」

「本気なのか?」











陽炎















結局、センクウの強引さに押し切られ、その場はお開きになった。

卍丸と羅刹は最後まで文句を言っていたが、邪鬼が認めたのだから仕方がない。

邪鬼自身は娘の安全が最優先である、と死天王に全てを任せた。







そして仕方なく、影慶は自分の部屋にを案内することとなった。

死天王には全て一人部屋が宛がわれている。

それほど綺麗な部屋ではないが広さは十分にある。これとて他の塾生と比べれば贅沢なものだ。

机と箪笥以外は特に私物もなく、慌てて片付けなければならないものもない。







「すいません、影慶さん、あの・・・・・」

「お前が気に病むことではない」




部屋に入るなり、所在なさげに畳の上に正座したに座布団を勧める。

卍丸とセンクウは洋室を使っているが、羅刹と影慶は和室を使用している。

従ってこの部屋にはベットがない。

若い娘を煎餅布団に寝かせるのもどうかと思うのだが・・・・・

やはりセンクウの部屋の方が良かったのではないだろうか。




、俺の部屋では床で寝ることになるが、良いか?」

「はい、大丈夫です」

「布団は用意してある。もうじき就寝時間だからな」

「影慶さんは寝ないんですか?」

「俺は少し仕事を残している。先に寝ていてくれ」

「わかりました」





が布団の中に入ったのを確認して、影慶は腰を上げた。

風の音だけが部屋の中を通り過ぎていく。




「影慶さん」

「どうした?」

「お休みなさい」



一瞬動きが止まってしまった。

男塾に入塾して、いや、母も知らずただ殺伐とした世界を生き抜いてきた頃から、

こんな風に優しく”お休み”言われたことなどない。

男だらけの環境で、”お休み”なんて言葉は使わない。




「・・・・ああ、お休み」




少し躊躇した後、と同じように挨拶を返し影慶は部屋を出た。

自分で、顔が赤いのが分かる。

本当は仕事など残っていない。

ただ、彼女の隣で眠る自信がないだけだ。






「参ったな・・・・・」





死天王の部屋でを預かるのは、何も面白半分ではない。

彼女を危険から守る、護衛の為である。

影慶は上がってしまった体温を外の風で覚ますことも出来ず、己の部屋のドアの前に座り込んだ。














それからどれくらい経っただろうか。

座ったまま寝ていた影慶はふと、気配を感じて目を覚ました。

微かに感じる気配。足音は聞こえない。鍛錬を積んだ人間の気配だ。

右手の皮手袋を引き抜き、拳を構え殺気を篭める。

気配の持ち主も影慶の殺気に気づいたのか、ゆっくりと気配が遠ざかっていった。







(卍丸でもセンクウでもない・・・・・連中か?)








卍丸やセンクウは時々就寝時間を過ぎても、部屋を抜け出すことがある。

夜遊びをしてくるのは大抵卍丸で、植物の世話や調べ物で時間を忘れるのがセンクウだ。

だが慣れ親しんだ同士の気配を読み間違えたりはしない。

死天王と邪鬼以外存在しないはずのこの棟で、考えられる可能性はただ一つ。

邪鬼と敵対している、派閥の刺客。







(もうのことが漏れているのか・・・・・・・)







敵と言えど所詮は男塾塾生。内部の情報を隠すには限界がある。

の事は勿論秘密を徹底しているが、影慶がと最初会ったあの時だけは違った。

もし最初から見られていたとしたら、秘密など通用しない。

邪鬼が懸念していたことが、現実になってしまったのだろう。











トン、トントン・・・・トン・・・









影慶は小さな音で壁にリズムを刻んだ。

十秒ほどそれを繰り返すと、隣の部屋の羅刹が現れた。

死天王と邪鬼のみが使用するモールス信号の一種だ。






「どうした」

「連中にのことが漏れたようだ」

「・・・!分かった、俺は邪鬼様に報告次第、警備体制を強化する」

「頼んだぞ」







羅刹が気配が遠のき、影慶はため息と共に背中を壁に預けた。

ドアの向こうからは変わらぬの気配を感じる。

異変に気づく様子もなく寝ているようだ。






もうすぐのがこちらへ来て三日目の朝を迎える。

桜が完全に散るまで残りあと四日となる。

時間は、ない。
























誰一人気付いてはいなかった。

影慶が羅刹と会話をしていたまさにその刹那、一人の侵入者がいたことを。

ただ眠り続けるその身に、その肌に、触れる者がいたことを、










月だけが、見ていた。