「お前さ、オナニーできねぇよな」



卍丸は夕飯代わりに買ってきた肉まんを頬張りながら、言った。




「何故そんなことをいきなり貴様が言い出すのか分からんが、
食事中なのだから、話題は選べ」






影慶は全く相手にせずに、スープを口に運ぶ。

今、食堂には二人しかいない。何故なら時刻は十二時、とっくに消灯時間を過ぎている。

ギリギリまで仕事をしていた影慶と、夜遊びから帰ってきた卍丸が食堂ではち合わせたからだ。

影慶の言葉にさも面白くなさそうに卍丸は、包帯の巻かれた右腕を見た。

穿凶毒手という中国史上類を見ない苛烈な技を会得した影慶の右腕は生きる者全てを死に導く。

武に生きる者ならば己の肉体の一部を犠牲にすることなどなんの躊躇いもない、それは確かだがやはり日常生活には支障が生じる。

卍丸は影慶が毒手を会得して以来、風呂を共にしたこともなければ寝ている姿さえ見たことがなかった。

もし万が一仲間を傷つけることになれば、という影慶の心遣いらしいがこちらからすればいらぬ世話だ。

そんなヤワな鍛え方はしていないし、仲間を腫れものとして扱う気も無い。






「でも不便じゃねぇか。それともお前は利き手じゃねぇ手でイけんのか」

「だから食事中だと言ってるだろう。それに余計な御世話だ」

「気になったんだからしょうがねぇだろ。あれか、邪鬼様か?」

「・・・・・・何故そこに邪鬼様の名前が出てくるのか心底理解できないんだが」





怒気を含んだ影慶の声に、一瞬たじろいだものの、卍丸はそしらぬ顔で肉まんを頬張った。

どうにも分からないのは、この二人の関係なのだ。

てっきり出来上がっているものだと周囲は見ているが、極近しい人間はそうでないことを知っている。

男が男に惚れる―――――その言葉は戦国時代、武将たちの間ではよく使われた言葉だった。

恋愛感情を指すのではなく、命を預けるに相応しい相手、という意味合いとして使われた。

二人の関係を表すのならば、まさにそれであると卍丸は思っている。

無論、センクウも羅刹も自分も、帝王に忠誠を誓い命を預けているに違いない。

けれど影慶は命だけでなく、その身全てを一人の男に捧げているのだ。





「なんなら俺がシてやってもいいけどな」

「・・・・・・・・・・は?」

「そんなに間を空けんなよ。冗談だ、ツッコめ。俺は男のモン掴むなんざ死んでも御免だぜ」

「全く以て同感だ」





眉間の皺は消えないものの、止まっていた食事を再開させた影慶に卍丸は小さくため息をついた。

彫が深いのか、それとも単に隈が消えないだけなのか血色の悪い顔色の友人は良くも悪くも他人を頼らない。

一人で何も出来ない男がこの男塾にいるわけがない。それはもちろん分かっているのだが。






ああ、なんだ、結局俺は。







「影慶、それ食い終わったら風呂行こうぜ」

「一人で行け。俺はいい」

「いいじゃねぇか、最近お前湯船に浸かってねぇだろ、たまには付き合え」






肉まんの最後の一口を呑み込むと、卍丸は影慶の右腕を無遠慮に掴んだ。

抗議の声が上がる前に、その冷たい腕をぐいぐいと引っ張って食堂の扉を足で開ける。

その扉の向こうには分厚い辞典を持ったセンクウが立っていた。





「なんだ、まだ寝てなかったのか二人とも」

「おう、ちょうどいいぜ、お前も風呂に付き合え」

「だから俺はいいと言っているだろうが!」




一見手を繋いでいるかのような二人が実は壮絶な綱引きをしていることを勘のいいセンクウは一瞬にして見抜いた。

そして同時にいやに不自然にニヤニヤしてこちらを見ている卍丸の意図に気づく。




「そうか、そうだな。じゃあ羅刹も呼んでくるか」

「おう、寝てたら叩き起こせよ!」

「了解した」

「おい、センクウ!」





てっきり止めに入るものだと思っていたセンクウが卍丸の提案にのった事に影慶は焦りの声を上げた。

だが金髪の男はあっという間に姿を消し、卍丸は再び綱引きを始める。






「死天王全員で風呂なんて久し振りじゃねぇか」

「何を考えているんだ、貴様は」




えらく楽しそうな卍丸に影慶はなんだか馬鹿らしくなり、腕の力を抜いた。

躊躇することなく毒手を掴んでいる卍丸はひどく楽しそうだ。






「羅刹が怒るぞ」

「怒らねぇよ、今回はな」





自信たっぷりにそう言い放ったその言葉の意味が、影慶には分らぬようだった。

皆、感じていたことは同じなのだ。

毒手を極めたことで、突然距離を置き出した影慶に内心不快感を抱いている。

影慶の、その気遣いがどれほど不愉快でいらぬ世話か。

遠慮など今更の仲だ。血よりも濃い絆で結ばれている。

そう、俺達は皆思っているのにお前は違ったのかと、そう言ってぶん殴ることができたらどんなに爽快か。









深夜の廊下に複数の足音が聞こえる。

これは邪鬼も来たに違いない。

卍丸は心底笑いだしたいのを懸命に堪えた。










理由なんてなんでもいいのだ。

卍丸にとっては、大事な仲間が幸せであればそれでいい。

この幸せになるという概念の無い友人が幸せを掴むためならば、自分は帝王でさえ利用するだろう。

だからこそ卍丸は二人の仲が気になるのだ。






「よぉ、影慶。久しぶりに飛距離を争うか」

「なんのだ?」

「決まってんだろ、息子から出る―――」

「俺はそんなことをした覚えもする気もない!!!」

「つれねぇなぁ」












友情だって愛情だって、なんだっていい。

それが幸せであるのなら。

複数の足跡がやがて一つになって、同じ方向へと歩き出した。