この手で掴めぬものなど、何もないと思っていた。














風散の影




















大豪院邪鬼には多くの部下がいた。

長年男塾で生死を共にし、言葉はなくとも熱い絆で結ばれている、そう確信出来る仲間。

ここまで来るのに死んでいった仲間も多い。

邪鬼が男塾へ入塾した頃から数えれば、それこそ星の数だ。

清々堂々と決闘の末に倒された者、敵にふいをつかれ死んだ者、教官に切腹をさせられた者もいた。

その中で、邪鬼が直接手を下した者も多く居る。

事情は様々であったが、後悔など微塵もなかった。ただ一人を除いては。









影慶が一号生筆頭である剣桃太郎に敗れた後、影慶は邪鬼に死を請うた。

それはいわば計算ずくの芝居であったはずだった。

だが邪鬼には影慶が本気で死を願っているようにしか思えなかった。

あの、胸を貫いた瞬間、邪鬼を襲ったのは無限にも思える喪失感だった。

その感覚は今でも忘れられない。









己にとって影慶がどれほどの存在であるか充分知っているはずだった。

だがその認識がどれほど甘いか、あの時思い知られた。

周囲は影慶の世界が邪鬼で構成されていると思っている。

だが違う。

本当は、邪鬼の世界の一部に影慶がいるのである。


ピースが一つ外れれば、世界はいとも簡単に崩されてしまう。







邪鬼の中に後悔などない。

所詮、邪鬼と影慶では互いに求めるものが違う。

影慶は邪鬼に絶対なる支配と力を求め、

邪鬼は影慶に温もりを求めた。


影慶の求める大豪院邪鬼の姿には弱さなどあってはならぬのだ。







だからこそ、邪鬼はどんな時でも帝王でなければならなかった。

だが、それも今夜終った。

邪鬼は影慶を求めることで、己の弱さを曝け出した。

影慶は失望しただろう。

己の求める支配者の、真実の姿を見、侮蔑したに違いない。


己の起こした行動に一片の後悔もない。

だが、口惜しさは残る。














邪鬼が部屋を出てから一時間が経とうとしていた。

誰も来ない屋上で冷たい夜風に当たっていた邪鬼は重たい腰を上げる。

影慶はもう、部屋を出ただろう。

もしかしたらもう、この地に、男塾にはいないかもしれない。

それならばそれでいい。

このまま手の届かぬ存在を、傍に置いて己が狂うその前に。











長い廊下を歩き、部屋のドアを開ける。

じっとりと汗ばんでいる己の手に思わず笑いながら、静かにドアを閉めた。

閑散とした部屋、乱れていたはずのベットはシーツが整えられていた。

最後の最後まで世話を焼いて出て行ったのか。アイツ、らしい。

ベットの脇に立つと、見慣れた皮手袋が目に入った。



忘れていったのか。



拾い上げると、ひんやりと冷たく時間の経過と去って行った男の面影を思わせる。

その毒で死ぬのならば本望だと、言えばやはり失望されただろうか。






「影慶」





唇が無意識に男の名を紡ぐ。

だが答えるのはガタガタと震える窓ガラスだけで、部屋には木の葉が舞い散っていた。

身体はそれほど疲労していないが、ひどい眠気が邪鬼を襲う。

手袋をサイドテーブルの上に置き、邪鬼はしばし目を閉じた。



























































眠りについてからどれほどが経ったのか。

夢心地の中で、部屋に自分以外の気配があることに気付いた。

だが身体は動かない。

動かそうとすれば動けるが、その気にはならなかった。

これが自暴自棄というものなのか。

大豪院邪鬼とあろう者が、なんたるザマだ。

だがもう、帝王を演じる必要はなくなった。もう、いいのだ。






気配はゆっくりと邪鬼の動きを警戒するように近づいてくる。

やすやすとやられるつもりなどない。だが、大暴れしたい気分だ。

襲い掛かってきた所を思い切りブン殴ってやろう、敵ながら気の毒なヤツだ。

気配は邪鬼の寝ているベットのすぐ脇のテーブルで止まった。

テーブルの上に置かれた何かを手にしたようだ。

ギシっと、ほんの少しだけ皮の音がする。これは、影慶の、手袋の音。








「邪鬼様」







あるはずのない声が聞こえた。

心臓が跳ね上がる。聞こえてしまうじゃないかと思うほどに。





「何故・・・・戻ってきた・・・・・」






とっさに影慶の左手を取る。

長い時間外気に晒されたように、その腕は冷たい。

反射的に影慶の手を取ったものの、この後どうすればいいのか邪鬼には分らなかった。









「邪鬼様」








影慶の唇が自分の名を紡ぐ。

それだけで、身体が高揚するのを感じた。

こんなにも焦がれているのか、改めてそれを知る。






「邪鬼様」








その存在を確かめるように、影慶が毒手である右手の人差し指で邪鬼の唇に触れた。

そのまま顔の輪郭を辿り、やがて指は首筋に辿り着く。

包帯が巻かれているとはいえ、毒手である手を影慶自ら邪鬼に触れさせるのは初めてであった。







「邪鬼様、俺は貴方のものです」







影慶、そう呼ぼうとした声を邪鬼は飲み込んだ。

憂いを秘めたその目が、邪鬼の心を縛る。







「けれど貴方は俺のものではない」







その言葉の意味が、邪鬼には理解出来なかった。

何故だ、と音にならない言葉を邪鬼は唇だけで問うた。

唇を読んだ影慶はうっすらと笑みを浮かべる。








「貴方は誰よりも気高くなくてはならない。その為ならば俺は死すら厭いません」


「やはりお前は俺に帝王であることを求めるのだな」




邪鬼は絶望した。

一人の人間としては、見てくれないのかと。

だが影慶は首を横に振る。







「帝王を求めているのではありません。大豪院邪鬼・・・・・が帝王であることを求めるのです。
ほかの誰でもない、貴方を・・・・・その為ならばなんでもしましょう。
だから貴方の好きになされば良いのです。俺は何一つ拒みはしません」






影慶の言葉に、邪鬼は包帯が巻かれている毒手に静かに唇を寄せた。

さすがに口に含むことは出来なかったが、音を立てて毒手の指に口付ける。

それは邪鬼の覚悟の証であった。















二人の影が重なる。

何一つ拒みはしない、その言葉通り影慶は邪鬼の口付けにゆっくりと瞳を閉じた。























ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後書き↓スクロール
邪影萌えがたまりませんvvどうしましょうこの衝動!!
帝王である前に一人の人間として影慶と向き合いたい邪鬼様と
己の全てが邪鬼のものである、と献身的に邪鬼様を支えようと決心する影慶
自分的邪影像を書いてみましたvv
邪影増えろーーーーー!!!!
邪影祭とかアンソロとか誰か作ってくれないかな!切実に邪影求めます!