己の罪深さを自覚したのは何時の日だったか 風散の影欲しいものがある。 随分と前から欲していたもので、けれど手に入らないことも知っていた。 それは大豪院邪鬼にとって初めての敗北であった、ありとあらゆる意味で。 力だけでは手に入らないものを初めて欲っした。 すぐ手の届く、こうして望めば触れることさえ出来るのに、手には入らない。 己の目の前にいながら、物思いに耽るソレに憎しみさえ感じながら、邪鬼は立ち上がった。 「影慶」 名を呼べばすぐさま顔を上げる。 その瞳に自分が写ったことに安堵しながら、その頬を撫でる。 大威震八連制覇後、邪鬼は影慶に触れることが多くなった。 確かめたいのだ、この男が生きているという現実を。 例え一度でもこの身体の心音が己の技で止まったかと思うと今でも背筋が寒くなる。 いまだ己が影慶を殺す悪夢さえ見る。 あの邪鬼が、と笑われるかもしれないが、それでも嫌がる素振りをみせない影慶に甘え、邪鬼はこうして影慶に触れ安堵得るのだ。 「どうなさいました、邪鬼様」 「貴様こそ、一体何を考えていた」 触れた頬は温かく、確かに生きているのだと邪鬼に告げる。 けれど身体は確かめられても、心までは触れることが出来ない。 その内にあるものは例え大豪院邪鬼といえど、どうすることもできないのだ。 大威震八連制覇で邪鬼は苦渋の選択をした。 それは男の自尊心を半ば土足で踏みにじる行為でその判断が正しかったとは思うものの、どこか納得し得ない部分が確かにある。 自分と同等のプライドを持つ男達に後輩相手に負けを演じよと命令したのだ。 目的の為、と皆は納得してくれたが、心の内ではどうだったか分からない。 卍丸は元よりセンクウも羅刹も最初は渋った。 ただ影慶一人だけが、何も言わずにそれが邪鬼の判断ならばと従の意を見せた。 邪鬼にとってそれはあまり喜ばしいことではなかった。 自分のために己のプライドすら捨てるこの男が、いつか自分の真意の枠の外で死ぬような気がしてならない。 失いたくない、そう思う邪鬼の思惑とは別に、この男は自分の為に死にたがっているのだと感じる。 それが、邪鬼はひどく気に入らない。 「別段、何も」 「この邪鬼を欺けるかと思うか、影慶」 「いいえ、邪鬼様」 影慶が目を逸らす。 その仕草も最近では多くなった。最もこの男は気付いてはおるまいが。 それが気に喰わない。 江田島の意に従った自分に幻滅したのだろうか。 そうならばそうと言えばいい。 無理に従う必要はない。それは邪鬼の望むものではない。 「そうか」 「はい」 けれど影慶は淀みなくそう答える。 この男の意だけは、邪鬼にも分からない。 覗けるものならば、覗いてみたい。だがその手段を邪鬼は持ち合わせていない。 心などという形のないものを暴く手段を、無骨な自分が持つはずもない。 「影慶」 「はっ」 「最近物思いに耽ることが多いな」 「いいえ、そんなことは」 「俺だけではない。他の連中も言っておる」 「気のせいでしょう、俺は何も」 首を振る影慶が気に入らない。 センクウに言われるまでもなく、邪鬼も気付いていたのだ。 どうしたらいいか分からなかっただけで。 聡いセンクウならば影慶の心の内を暴く手段を知っているのかもしれない。 もしかしたら自分の想いにも気付いているのかもしれぬ。 この醜さが渦巻く心の内を。 邪鬼は影慶の輪郭を辿りその首筋へと指を滑らす。 影慶は微動だにしない。眉一つ動かさずその身を邪鬼に預けている。 人差し指の腹に、どくどくと小さな鼓動が脈打っているのが分かった。 「俺が今何を考えているか分かるか?」 「いいえ」 「俺がほんの少し力を入れれば、貴様は死ぬ」 「この命は既に邪鬼様に捧げております。お好きなように」 影慶は瞳を閉じ、そう答えた。 だがその言葉は邪鬼の望むものではない。 影慶の首筋を捉えた指に力が篭る。 「そうか、貴様は俺のものか」 「はい」 「では今夜、俺の寝室へ来い。意味が、分かるな?」 「じゃ、邪鬼様・・・・?」 分からない、と影慶の瞳が告げていた。 それでもいいだろう、分からぬならそのままでいればいい。 この手で手に入らぬものは確かにあるのだ。 無理やり手に入れても意味のないものだ、それは分かっている。 「必ず、来い。いいな、影慶」 影慶は来るだろう。 そんなことは分かりきっていた。 マントを翻し、部屋を出る。 全ての言葉が真実ならば、決して拒むな、この大豪院邪鬼を。 やがて夜の帳が落ちる。 足音が部屋の前で止まり、ノックの音がする。 「入れい、影慶」 今だどちらの真意も暴かれぬ内に。 |