己の罪深さを自覚したのは何時の日だったか











風散の影

















気付けば胡乱な思考の中にいる。

何かを考えているようで、実は何も考えてはいない。

ぶつぶつと何かに飲み込まれて、ただふよふよと波の中に漂っているだけ。

ただそれは不思議と心地よく、気付けばいつもその波の中に居る。

それが逃げ以外の何者でもないと知っているからこそ、逃れられない何かが、在る。






抗えない存在、逃れられない、一度侵食されればそれはもう己の一部に他ならない。





そんな絶対的な力を持つ者を影慶は知っている。

だからこの感情も不自然ではないのだろうと思う。

この胸に抱く言葉にしようも無い想い。

尊敬・畏怖・敬愛・憎悪・恋慕・ 人が持つありとあらゆる感情がその人物の為に在る。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・ その全てがその人を感じる為に存在する。








「影慶」



思考の波に飲まれていた意識がふっと浮上する。

何も見てはいなかったが開いていた目で、その人物を認識する。




「どうなさいました、邪鬼様」

「貴様こそ、一体何を考えていた」






そう言いながら俺の頬をその大きな指で撫でる。

大威震八連制覇後、邪鬼は二人きりの時にこういったスキンシップが多くなった。

優しいこのお方のことだ。罪悪感があるのだろう。

江田島の思惑で大威震八連制覇は最初から一号生の勝利と決まっていた。

それぞれが悟られぬように手加減をし負けを演じたが、一号の力は予想以上で三号側もかなりの深手を負った。

本来ならば決して負けを演じるような男達ではない――――自分を含めて。

だが次なる闘い、藤堂兵衛を抹殺する為に天挑五輪大武會へ出場する為にはどうしても必要な演出だった。

一号達に更なる結束と、成長を何としてでもしてもらわなくてはならなかった。

あの男と組織を殺さなければ、日本はいずれ滅びの運命を辿る。

大き過ぎる敵の前になんとしてでも、目的を遂げなければならない。皆、納得した上の闘いだった。





だが、それでも、大豪院邪鬼は納得し切れていなかったのだろう。

山のようなプライドと自尊心は、本来ならば負けはすぐさま死と直結する。

目的の為とはいえ、それを自分だけでなく部下にまで強要してしまった。

邪鬼と同じように愚直な男達がすぐさま負け戦を演じることに、納得したわけではなかったのだ。







「別段、何も」

「この邪鬼を欺けるかと思うか、影慶」

「いいえ、邪鬼様」





そう言いながら、影慶は邪鬼から目を逸らした。

もし何かあるとしたら、それは邪鬼のことだ。影慶の中にあるものは。

だがそれを言えば、邪鬼は困るだろう。

この人は肯定できなくとも、おそらく否、とは言わない。

優しい人なのだ、誰よりも、何よりも。







「そうか」

「はい」







影慶は戸惑いも無くそう答えた。

嘘をつくのは慣れている。否、嘘と真など紙一重なのだ、どんな時でも。

己の内にある感情に名前はまだない。だからこの答えは、まだ嘘ではない。

例え真であったとしても、きっとどうすることもないのだろう、








「影慶」

「はっ」

「最近物思いに耽ることが多いな」

「いいえ、そんなことは」

「俺だけではない。他の連中も言っておる」

「気のせいでしょう、俺は何も」








邪鬼の手は、今だ影慶の頬に触れている。

その手は影慶の頬を滑り、首筋を捉える。







「俺が今何を考えているか分かるか?」

「いいえ」

「俺がほんの少し力を入れれば、貴様は死ぬ」

「この命は既に邪鬼様に捧げております。お好きなように」








戸惑いもなく、影慶はそう答えた。

その気持ちに偽りはない。







「そうか、貴様は俺のものか」

「はい」

「では今夜、俺の寝室へ来い。意味が、分かるな?」

「じゃ、邪鬼様・・・・?」






一瞬、影慶は眩暈を感じた。

言葉の意味は分かる、だが真意は察しかねた。

少なくとも邪鬼は男色ではないし、権力を行使してそういった行為に及ぶような人間ではない。

しかも自分が望まれるなど、考えもしなかったことだ。





「必ず、来い。いいな、影慶」






そう言って邪鬼は影慶の前から姿を消した。























己の全てがこの方の為にある。

だからこの感情は決して不自然ではないのだ。

例えそれが、少女が抱く淡い初恋のような恋慕の情であったとしても。




この身の中に在る全てのものが、初めて会ったその日から邪鬼のものなのだから。












自分はきっと行くのだろう、今夜邪鬼の元へ。

その先に何があるか分からぬまま。