「好きなんですか?」 「うーん」 「結婚したいとか考えたことは?」 「うーん」 君にこの手を伸ばして時は平日昼過ぎ。時間に縛れぬ職業の男たちが何故か揃いも揃って伊佐間を囲んでいる。 興味本位、としか思えぬ記者の若者と釣堀屋の主人は先程からこの押し問答を繰り返していた。 「据え膳食わぬは男の恥だ!」 榎木津のこの発言がそもそもの発端である。 古本屋の主人は―――その会話の珍しく興味深そうに聞き、口を挟んだ。 「しかし彼女の人生の行き先をまかりにも変えてしまったわけだから、それなりの責任は取らなければならないだろう? それとも君はその責任を放棄するのかね?彼女と添い遂げる意志がないのなら止めるべきではなかった」 京極堂の言葉に伊佐間は変わらず「うーん」とだけ言った。 事の発端の榎木津はとっくに夢の中で、質問者の鳥口が面白そうに目を輝かせている。 関口はというと、何処まで口を挟んで良いものかわからず閉口している。 「でもね、僕は彼女と付き合っているわけではないし、彼女が僕をどう思っているかなんてわからないし」 「全く女性の心というものがわかってないね、君は」 読んでいた本を閉じ、京極堂は不機嫌そうな顔に更に皺を刻ませた。 鳥口もそうですよ、とお茶を啜りながら言う。 「だったらどうしてわざわざ君のところへ見合いの相談に来たのだね? まさか君しか相談する相手がいない、なんて事はあるまい。 そもそもあんな場所へ若い女性が出入りすること自体おかしいのだよ。 彼女の趣味は釣りじゃないんだろう?だったら目的は別にあると考えるべきだ。 釣堀屋の主人と懇意している点から考えても目的は伊佐間一成、君だよ」 目的、とまで言われて言葉に詰まってしまう。 けれどこのまま鵜呑みにしてしまっては――――いけない気がする。 「その、目的が僕だったとしてもそれは友情か恋愛感情かわからないよ」 「いや、絶対その人は伊佐間さんの事が好きですよ!」 何処からその自信が湧いて出るのだろう、と思う。 大体誰一人彼女のことなど知らないのだ。 「まぁいいじゃないか。これは二人の問題なんだし」 ようやく関口が口を開いた。 夏でもないのに額に汗を掻いている。 「関口君は黙っていてくれたまえ。どうせ気の利いたことなど言えないんだから」 「それは君だって同じじゃないか!大体この面子で恋愛相談も何もないだろう」 別に相談した覚えてはまるでないのだけど。 そうは思ったが口には出さず飲み込んだ。 そして考える。 結局僕はどうしたいんだろうかと。 『愛しくはあるが、抱きしめたいとは思わない』 それは今も変わらないと思う。 彼女に不貞を働きたいとは思わぬし、そうしている自分も想像付かない。 『例え他の男の隣で笑っているとしても、彼女が幸せならばいいと思う』 ではこれはどうだろう。 この考えは―――今では少し変わっていると思う。 少なくとも前者は。 そんなことは有り得ぬと―――自分でも高をくくっていたのかもしれぬ。 「うーん」 「榎木津さんの言う通りですよ!盛り丼食わぬは男の恥です!!」 興奮気味の鳥口の間違いを指摘するものはいなかった。 鳥口が諺を間違えるのはいつものことだ。 「君ももう30だろう。そろそろ真面目に考えたらどうだい。 聞けばいい娘さんじゃないか。年もそう離れてないようだし。 別に借金があるわけでもあるまい。君の放浪癖さえ直れば問題無いのだよ」 古本屋が最もらしい事を言ってうまくまとめ様とする。 いつもなら小難しい詭弁に翻弄され、頷いてしまうが恋愛関係には彼の詭弁は登場する余地はないようだ。 「だから、彼女とはまだ恋人でもないんだってば」 自分で言って「まだ」という言葉に苦笑する。 どうやら風変わりな友人達のおかげで、少なからず希望というものを持ってしまったらしい。 「だったら告白なりなんなりさっさとしたまえ。初心(ウブ)な学生でもあるまいに」 「なんだか緊張しますねぇ」 「どうなっても君らに報告はしないからね」 何を期待しているのか―――伊佐間はこの若者が羨ましく思う。 もう少し若かったら伊佐間にも自信が持てたかもしれない。 告白・・・・するのだろうか?なんて言うのか。想像すらつかない。 「隠しても無駄だぞ!僕に隠し事は出来ない!!」 突然ガバッと木乃伊のように起き上がった榎木津が笑いながら大声で言った。 愉快そうにワハハ、と腰に手を当てて笑う。 そうだ、まだこの友人がいたのだ。 伊佐間にその理は解かってはいないが、どうやら彼は人の記憶が見えるらしい。 事の発端も彼が自分の記憶を見たからであって、つまりは隠し事などするだけ無駄なのである。 「さすが大将!!日本一!!」 「ハハハ!そうだろうとも!!」 「ちょっと、榎さん、鳥口君」 水を得た魚のようにはしゃぐ二人を関口ごときが止める事が出来るわけ無い。 伊佐間はその光景をぼうっと見つめていた。 「なんだい他人事みたいに」 「うーん」 「全くはっきりしないね君も」 「実感がね、ないんだ。彼女の人生は彼女のものなんだしね。 ここで彼女の事を好き勝手に話題にするのも失礼って感じがするよ」 「君も大概火付きの悪い男だね。まぁ結局は当人同士の問題だ。 別に僕らに報告する義務もないから安心したまえ」 「しばらく榎木津さんには会えないねぇ」 「それが懸命だろうね」 京極堂はそう言った後、再び本を開いた。 榎木津達の喧騒は収まりそうにもない。家の主はとうに諦めているようだ。 もうとっくに氷の解けてしまった麦茶を一気に飲み干す。 リン、と風鈴が風に揺れた。もうすぐ夏も終わる。 三日後、いつものように約束も無く現れてた彼女に伊佐間は。 まるで世間話のように、ポツリと呟く様に。 「どうやら僕はちゃんに惚れているようだよ」 と言った。 色々迷ったのだ。 彼女を愛しているのかそうでないのか。 愛しているなら伝えるべきか否か。 伝えるならなんと言えばいいのか。 結局思いついたのは月並みの言葉で。 結婚して下さいなんてとてもとても言えなくて。 久しくこんな気持ちは忘れていたように思う。 の様子を窺う事すら出来ず、ただ返事を待つ。 時が時間が止まったように緩やかに流れる。 それは今の伊佐間にとっては残酷なものでしかない。 やがて彼女はいつもの笑顔で。 「じゃあ両想いですね」 と照れくさそうに笑った。 つられて伊佐間も笑う。 もうすぐ秋だ。 旅行がてら紅葉狩りにでも行こうかと。 伊佐間は彼女の手を取った。 ああ、でも。 「やっぱり榎さんだけには会えないなぁ」 その呟きは風に消えた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー まるで中学生のような純愛。それこそ伊佐間。 |