「タツさん!!どどど・・・・どうしよう!!」






私と同じくらい落ち着きの無い彼女が突然家に飛び込んできたのは昼間だった。









〜もしも私が妊娠したら〜関口巽編









「ど、どうしたんだい?そんなに慌てて」




進まない原稿と睨めっこして一時間。

ようやく少しばかり進んだところで飛び込んできたのは私の彼女、だった。

彼女は京極堂の常連客でどういう訳だが私の小説の愛読者だ。

いつの間に付き合う事になったのか・・・告白の言葉なんて言った覚えも聞いた覚えもないのに、出会って一年も経つ頃にはしっかり公認カップルになっていた。






その彼女は畳の上でぜーはー、と息を切らせている。

コップに水を入れて差し出すとそれを一気に飲み干した。






「あ、あのですね・・・・」





コップを机の上に置くと、彼女は畏まったように手を膝の上に置いた。

私達は京極堂曰く似た者同士らしい。

彼女も病名を貰う程ではないが、やはり少し内気ではある。






「う・うん」





緊張気味の彼女につられて私まで萎縮してしまう。

既に顔は真っ赤に違いない。

見れば彼女もほんのりと頬が赤い。

一体何を言おうとしているのか検討がつかない。

元々恋愛ごとには疎いのだ。







「お、驚かないで下さいね」






念を押す彼女の表情は何処となく笑っているようにも困っているようにも見えた。

勘でしかないが、悪い知らせではない気がする。

手には汗をびっしょりと掻いていた。

じぃっと彼女の表情を観察する。








「さっき・・・・病院へ行って来たんです」

「何処か悪いのかい?」




反射的に私は尋ねた。

そういえばここ最近体調が悪いと言っていたような気がする。

確か京極堂に病院へ行くように勧められていなかったか。

どうにも物覚えの悪い頭にこの時ばかりは苛々する。





「えっと・・・そうだけど・・・・そうじゃないんです」

「え?」





彼女はやはり、笑っていた。

だがどうにも本題が見えない。

汗がじっとりと額に噴出す。暑い。窓は開いていないのか。

どうでもいい事が気になった。







「その・・・・おめでた、だそうです」

「―――――え?」






思考が停止する。

おめでた。それはやはり子供が出来たという事だろうか?

それはそうだろう。

それしかない。

だが私は売れない小説家で所帯を持つなんて事出来ようはずがない。

そもそも私のような人間に子供など育てられるのだろうか。

父親などというものは私のような人間の対極に位置する立派な人間でなければならないのだ。







「あの・・・・タツさん・・・?」






黙っている私に気付いたのか、彼女が私の服の袖を引いた。

何か言わなければ、と思うほどに言葉は浮かんで来ない。

真っ白だ。






・・・・・あ、あの・・・・・」








彼女の顔を真正面から見れない。

元々他人という存在は誰もが眩しすぎるのだ。

特には。







「ぅ・・・うぅ・・・」







この時ほど自分の性質は疎んじた事はない。

何も言えない、何も浮かばない。













「―――――――何やってるんだい、君は」







しばらくの沈黙を破ったのはでも私でも無い、第三者だった。

聞き覚えのありすぎるその声の持ち主はいつも通り呆れたような視線で私を見下している。





「きょ・・・・きょうごく・・・・」





何とか搾り出した声はなんとも情け無いものだった。

はどう思っているのだろう。きっと失望しているに違いない。

なんと、頼りない男なのか。







「そんな事だろうと思って来てみれば案の定だ。
つくづく成長しない男だな君は。これでは君が可哀相だ。
全くどうしてこんな長所が一つとして挙げられない男に惚れたのか。
それこそ七不思議だとは思わないかい。
―――――全く一言言えば済むものを」





部屋の入り口で長々と述べた男は微動だにせずに僕を睨んだ。

見慣れた顔だが、いつもとは少し違う。本気で怒っているのだ。

この男が本気で怒ったらどうなるかを知っている人物は意外に少ない。






「な・・・・なにを・・・・」





一体何を言えばいいのだ。

そう言う間もなく、横面を叩かれた。

やはり怒っているのだ。








「今の言葉、本気で言っているのならもう一度殴らせて貰うよ。
暴力は好きじゃないが、こればかりはどうしようもない」







横面が痛い。

涙が出そうになるのをぐっと堪える。

足りない頭をぐるぐると回転させる。

答えはとっくに知っているのに、浮かばないのだ。









・・・・・・」










苦しくて息が出来ていないんじゃないかと思う。

そんな中でどうにか彼女の名を搾り出す。

俯いている彼女が顔を上げる。








「僕と・・・・・結婚してくれないか」








時間を掛けてようやく言えた言葉に彼女は頷いた。

柄にも無く彼女を抱きしめる。

万年筆が床を転がる音がした。












しばらくして私達が落ち着きを取り戻すとそこに京極堂の姿はなかった。

ただ戸口に見覚えのない花が置かれていた。

名も知らぬその花は私達を祝福するかのように風に揺れている。

ふと、私は小説の結末を変えようかと思った。