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幼い頃から新月の晩が苦手だった。

何故か、と問われれば暗闇が苦手だからという他ない。

それは腰が曲がるような歳になってからも変わることはない。

それを四代目風魔に知られた時は、それはそれは大笑いをされたものだった。













傾国月夜 影
















北条氏政は最近物思いに耽ることが多い。

ご先祖様の墓に手を合わせている時間でさえ、心は別の場所にある。

氏政も伊達に年を重ねてきたわけではない。

時代の波が押し寄せ、決断の時が迫っていることを知っていた。

武田信玄が上洛の為、同盟を申し込んできたのだ。

同盟というが、実質は武田に下ることを意味している。

氏政の胸にあるのは国よりも若い二人のことだった。











月のない晩、氏政は一人墨をひっくり返したような空を見ながら晩酌をしていた。

こうしていても、翼を持った友人が訪れることは、もうない。

その寂しさは何年経っても消えることなく氏政の心をじりじりと突き刺す。

これだけの長い時を生きていれば、自然と死に別れの数も多くなる。

その去って行った人々の中でもとりわけ四代目風魔が心に影を落とすには、彼の死に懺悔の念があるからに他ならない。





















忍は草の者とも呼ばれ、人であって人でないものとされる。

主に絶対服従を誓い、情報漏洩などあるはずもない。

北条が内通者の密通の事実に過敏になっていた頃、夜ごと警備に訪れる忍の一人に、氏政は心の内の不安を打ち明けていた。


それはいわば一方的な語りに過ぎなかった。

もしかしたら忍は大きな独り言だと思っていたかもしれない。

それでも聞いてくれるのが有難かった。

当時の氏政には信頼できる者など誰もいなかった。

敵に通じているやも知れぬ、と身内の顔を見る度に疑心暗鬼に陥り、精神は細い糸のように頼りないものだった。

氏政は自分が当主の器ではないと知っている。

だからこそ先祖の威光や栄光に縋りついてしまう自分の弱さも承知している。













ある晩、だった。

いつものようにぐちぐちと酒を飲みながら胸の内を吐露していると、あるはずのない声が聞こえた。

返事があったのである。






「だ、誰じゃ!?」




慌てて見回すが心当たりは一つしかない。

天井を見上げて呼んでみると、目の前に真っ黒な影が落ちてきた。




「お、お主は!?」

「風魔でございます、氏政様」




かしこまったように傅いた姿はまさしく代々北条に遣える風魔であった。

驚きにたじろく氏政に風魔はにっこりと口端をあげる。





「今宵、月の映えた晩、しばしお付き合い願いたく」

「ほう・・・・わしの酒に付き合うと」

「主がお望みならば」




初めてであった。

忍と親しく口を利くのも、こうして風魔と向き合うのも。

もちろん今まで己が忍に対して語りかけてきた結果であるが、それでも驚いた。

その瞬間、所詮草の者、心ならずともそう思っていた自分に気づき、氏政は己をひどく恥じた。

だがその心をも見透かし、そして許すとでも言うように、風魔は笑う。

顔を隠した兜では口元しか見えないが、それでも確かに風魔は笑っていた。







年も分らぬ、顔も知らぬ相手に、氏政は心を許した。

顔も血筋も知っている身内すら疑う自分が、忍に心を晒すのはひどく滑稽に思えたがそれでも良かった。

満月の晩に現れては、氏政の話に耳を傾けるだけだった影の男は、やがて相槌を打つようになり、酒も氏政の手酌から飲むようになった。






「死んでくれるなよ」


氏政はよく風魔にそう言って聞かせた。

忍に死ぬな、という主君は氏政様だけだと笑われたが本音なのだから仕方がない。

友と呼べば、なんと言われるだろうか、氏政はそれが怖くて言い出せなかった。

きっと笑い飛ばしてくれるのだろうと思っていたが、やはり越えられない壁というものはある。

この時代、身分は絶対的格差をもたらし、それを打ち壊すことなど出来るはずもなかった。

だから氏政は酒を飲む度に言った。

「死ぬな」と。

氏政にとって、戦よりもこの友人を失うことが何より怖かった。

だがそれに対する返答を風魔は持っておらず、決まって沈黙で返された。

















風魔が敵と相対し、討ち死にしたとの知らせを聞いたのは戦が終わってからだった。

突然の敵襲に遭い、一人戦った男は、見事栄光門を守り抜き果てたのだという。

門など、護らずともよかった、

そう言えたらどんなに良かっただろう。

だが当主の立場でそれを言うことは許されず、氏政と風魔の交流は月のみが知るものとなり、二人で見る月の晩酌は敵わぬ夢となった。










やがて月日が経った頃、氏政の元に一人の男が風と共に現れた。

それは五代目風魔を名乗る男で、ひどく無口で氷の如く世界を拒否した男だった。

期待を抱いていたわけではなかった。

例え風魔の者ならずとも、もう二度とあのように心を許し合える友には巡り合えはしないと思っていた。

まだ元服して間もないと思われる男と氏政はまさに忍と君主、それだけの関係だった。

正常、それが正しいのだと思いつつも、四代目と同じ衣装を纏った男は時々氏政にあらぬ錯覚を起こさせる。









「おお、風魔、こっちへ来て茶でも飲まんか」




「見ろ、風魔、綺麗なもみじじゃの」




「聞いてくれんか、風魔、これ、風魔!」










まるで四代目にそうしてきたように、氏政は五代目風魔に話しかけた。

無駄だと分かっていたがそれでも良かった。

いつか、四代目のように心を見せてくれる日がくるかもしれない。

年を取った氏政にはそんな余裕すら芽生えていた。









「風魔・・・・どうしたんじゃ!風魔!!!」








そんなある日、風魔が一人の女をつれてきた。

それは見たこともない衣装を身に纏った不思議な女だった。

風魔は黙ってその女を氏政の足元に置いた。

氏政の目には、大きな月と、風魔、とそして女が映っている。

直後、氏政は悟る。

それは直観というより、何かの導きのようであった。

あの晩、自分に四代目が現れたように、

今この風魔を名乗る男に、この女が与えられたのではないかと。

月が、月だけが知る逢瀬ならば、これも月の仕業なのだろうか。









「風魔よ・・・・この女、しばらくお前が面倒を見よ」













この采配がどう転ぶかはこの老獪にも分からない。

だが氏政はこれは天が与えた機会なのだと空に浮かぶ月を見た。






それは四代目風魔と共に見た、美しくも恐ろしい月と寸分変わらぬ景色であった。