「誕生日?」


そんな、男塾では到底聞かない単語を聞いて、羅刹は肉の塊を掴んでいた箸を止めた。

「らしいぜ、しかもあの伊達の。三面拳が毎年祝っているんで今年は一号共も便乗するんだと」

卍丸は到底祝ってやるなど、思えぬようなニヤニヤとした笑いを浮かべながら、目の前の湯飲みの中身を飲みほした。中は出涸らしで、これでもかと使いきったお茶の葉から出た湯に味など到底ついてはいない。

「それはまぁ・・・放っといてやればよかろう」

荒くれ共が集う男塾で、そもそも己の出生が明らかな者は意外と少ない。
邪鬼はいわずと知れた大豪院家の跡取りであるから、出生も戸籍もしっかりとしているが、塾内には親を知らぬ孤児や出自が不明な者の方が遥かに多い。
羅刹とて一応誕生日とされている日は、鞏家の修行寺の前に捨てられた日である。
卍丸も確か同じようなもので、影慶に至っては出自経歴一切不明、男塾では邪鬼の誕生日でさえ祝う風習がなかった。

鬼ヒゲ辺りに言わせれば、「何を浮かれておるか!」と祝い事自体を禁止しそうだが、まぁそう目くじら立ててやることもないだろう、というのが羅刹の見解である。
卍丸に至っては宴会に便乗して酒を飲む気満々だし、センクウなら知れば花の一つでも送りそうだ。邪鬼はそもそもそのような些事、と一蹴することだろう。

つまるところ問題は赤石と影慶だろう。あの頭の堅い二人を説得するよりは隠れて祝い事をした方が簡単だということは誰でも想像がつく。
要は一号の宿舎でやればいいのだから、よほどのことがなければバレない、とは思うが。

「一つ聞くが、卍丸」
「あん?なんだよ」
「その情報はどこから手に入れた」
「男塾一の諜報員舐めんなよ」
「と、いうことは一号の誰かから聞いたわけではなんだな?」
「まぁな」

羅刹は深いため息を吐いた。
それはそうだろう。彼らが伊達の誕生日を教官や二号・三号に秘密裏に行おうとしていることは明白だ。規律の厳しい男塾で、隠れて宴会でもしてバレでもしたら、首謀者は即刻懲罰房行きだろう。
しかし今回の首謀者は男塾の良心と常識の塊と言うべきあの三面拳なのだ。
そして伊達の出自は塾生なら誰もが知っている歴代塾生の中でも苛烈なもので、せめて誕生日だけでも祝ってやりたいと思う三面拳の親心のような気持ちもわかるというものだ。
卍丸とて邪魔をする為に羅刹に告げたわけではあるまい。むしろ協力しろと言っているのだ。この分だとセンクウも既に知っているのだろう。

「で、俺はなにをすればいいんだ」
「物分かりが早くて助かるぜ。なに、なんてこたぁねぇ。お前は影慶を半日足止めしておいてくれりゃいい。赤石の奴はセンクウに任せたからよ」
「簡単に言うな、馬鹿者が。それでお前一人だけがのうのうと一号に混ざって祝い酒を堪能するわけか」
「一応三号から差し入れってことで俺から酒差し入れといてやるよ」
「有難すぎて涙が出る気遣いだな」
「だろ?」

羅刹としては当然嫌みとして言った言葉だったが、卍丸に効くはずもなくあっさりとかわされた。そういえば、一人大御所が残ってるのだが、そちらはどうするつもりなのか。

「邪鬼様はどうするのだ」
「その日は江田島の親父の付き添いで出張だとよ」
「なら影慶も連れて行けばいいものを・・・・」

赤石は後輩だから命令すればどうにでもなろうが、影慶はそうもいかない。
むしろ人選が逆ではないか、と言いかけたところで、気付いた。

「センクウはもしや酒で赤石を釣るつもりではあるまいな」
「多分な」
「ということは、俺だけが貧乏くじか・・・・!」

卍丸は一号の宴会に混じり、センクウは赤石と庭園で酒を酌み交わす、そして自分はおそらく影慶の足止めをする為に山積みになっている書類の手伝いでもするのだろう。ああ、そうか。貴様ら揃いも揃ってそういう腹積もりか。
「どうして俺はこういう役回りなのか・・・・」 
今回の配役は卍丸の悪だくみとも取れるが、各人の性格を活かした適材適所とも言える。
今更、一号達のささやかな祝い事を潰そうとはいかに鬼の名を持つ羅刹とて思わず、結局は名に似合わぬお人好しを利用されたのだ。

「しかしまぁ」

伊達の誕生日の祝いとは可愛い、ものだ。
日頃ダンディズムがどうとか言っている男が毎年どのように三面拳に祝われているのか、少し見てみたい気もする。
果たしてそれが本当に生誕の日であるかは確かめようがないが、邪魔が入らなければいい、と羅刹は口の中の肉を噛み砕いた。















さて、当日。
世間でいえばゴールデンウィークなわけだが、男塾にそんなものがあるわけがない。
普段と変わったことといえば、塾長と総代が揃って外出していることくらいである。

桃太郎はいつものお気に入りの木の下に寝そべりながら、三面拳の指示の元楽しそうに走り回る同輩達を眺めていた。

「うまくいきそうか?」
「押忍。先輩達のおかげですよ」

どこからか聞こえた声に桃太郎は起き上がりもせずに答えた。
だが声の主は別段気にする様子も見せず、くっくっくっと含み笑いが聞こえた。

「羅刹先輩にもお礼するつもりですんで、そう伝えて下さい」
「ま、上手い酒の一つでも差し入れてやってくれや」

どこから情報を仕入れたのか、卍丸が協力を申し出たのは二日前だ。
三号の中ではもっとも気さくで虎丸達とも気が合う卍丸は自分からある計画を立てた。
その中で羅刹が損な役回りを引き受けたのは、既に三面拳も知っている。
桃太郎が言うまでもなく、後日三人から礼の品でも届くだろう。

「じゃ、俺は夜にまた顔出すからよ」
「押忍。卍丸先輩の情報力と要領の良さは見習わせてもらいます」
「けっ、いつだって一番最後に得取る奴がなに言ってやがる」

最後に憎まれ口も忘れずに、桃太郎の寝そべっている大木の木がわずかに揺れ、いずれかに気配が消え去った。















さて、どうしたものか。
センクウは極上の日本酒を右手に持ちながら、赤石を誘う手立てを考えていた。
羅刹に比べれば難易度は格段に低いのだが、先輩風を吹かすのを厭うセンクウの頭の中には「酒に付き合え」と命令する、という考えがない。

美味い酒が手に入った、それだけで果たして赤石を誘えるものかと思ったが、ものは試しだ。それで駄目なら手合わせと称して無理やり天動宮に連れてきてしまえばいい。
最も手合わせと言えば赤石の方から喜んでついてくるだろうが、どちらかといえばそれはセンクウの方が勘弁願いたい。
何が楽しくて皆が宴の最中にあの赤石相手に死闘を演じなくてはならないのか。
どうにか酒で釣れてくれよ、と願いながらセンクウは二号筆頭室へと足を運んだ。







「赤石はいるか」

日暮れ時、死天王センクウの登場に二号棟は、一瞬どよめいた。
決して二号が弱いというわけではないのだが、今年の一号が豊作だっただけに、センクウが顔を出しただけでこの動揺具合とは、赤石の苦労が知れるというものだ。

「押忍!赤石筆頭なら筆頭室にいるであります!」
「そうか、すまないな」

案内するという申し出をやんわりと断って、センクウは二号生筆頭室の扉を開いた。
もちろんノックすることも忘れなかったが、それが逆に不審を買ったようだ。
扉を開けた瞬間、飛んできた殺気を、センクウはひらりとかわした。

「なるほど。二号にはノックをして入室するような者はおらんというわけか」
礼儀を重んじたつもりが逆に怪しがられたというわけだ。
普段二号がどのような礼を律しているのかと思うと、これには苦笑せざるを得ない。


「・・・・!センクウ先輩、失礼を」

生真面目な赤石は愛刀の手入れをしていた手を止め、頭を下げたがセンクウはそれを手で軽く制した。

「いい酒が入ったんだ、たまには一緒にどうだ?どうも他の連中は都合が悪いようでな」

センクウは嘘が上手いとよく言われるが実際はそうではない。センクウの言葉には嘘、と呼べるほどの事実がないのだ。嘘とも本当とも取れることしか言わない。だから心音に動揺も出なければ、それを見破られることもない。
結果、狼少年ほどではないが、卍丸には「お前の言うことは全て嘘か本当かわからない」と言われる羽目になるのだが。





赤石がセンクウの誘いをどう受け取ったかはわからないが、手に持った日本酒の銘柄を見て少しばかり眉を動かした。二号の身分では手に入らないそれなりに希少な酒を持ってきたつもりだ。でなければこの男は釣れないだろう。

「・・・・押忍。お供させて頂きます」

「そうか。ならば俺の庭へ行かないか。ちょうど夜にしか咲かぬ花が咲く頃合いだ」

花になど興味はあるまいが、赤石とて風流を理解する男である。
頷くと、愛刀を壁の刀掛けにかけると、黙ってついてきた。
これでとりあえずは一安心だ。あとは羅刹の方なのだが・・・・













「影慶、なにか手伝うことはあるか」
「・・・どういう風の吹きまわしだ」

羅刹にしては一生懸命考えたセリフなのだが、影慶は訝しげに答えただけで書類から顔もあげなかった。
総代室の真ん中にある邪鬼の大きな机の側面に影慶の机がある。
いわば秘書席だ。その影慶の机の上には日頃書類仕事から逃げ回っている卍丸や細かい作業が苦手な羅刹、そして出来そこないの書類ばかりあげてくる二号、一号の報告書の山が積み重なっている。

「いや、さすがにその量では大変かと思ってな」
「羅刹、この山の中にはお前の未処理の書類もあるのだが?」
「で、では、俺はまずそれから片付けることにするか」

影慶の鋭い視線に耐えられず、崩れそうな紙の束から見覚えのある書類を何枚か引っ張り出すと、確かに自分が途中で投げ出したものがいくつかあった。
自分でも自覚があるのだが、細かい計算や統計を取るのが苦手なのだ。
男塾に来る前は、肉体的な修行に明け暮れていたから、事務的作業にはとことん向いていない。能力的に出来ない・・・わけでは決してないのだとは思うが、身体の、とりわけ手の力の強い羅刹はペンを握る作業でさえ苦痛そのものだ。

とりあえずやるしかあるまい・・・・

一度自分が投げ出した作業を一からするのは、精神的にも大変苦痛だが、これも後輩の為。全くかわいくないニヒルな後輩だが、あれも男塾魂を受け継ぎ、やがては世界に羽ばたいていく器の男だ。だがその過程には様々な苦難や試練が伊達を襲うだろう。
そんな時、今日という日を思い出してくれればいい。孤戮闘で育った男はもはや孤独ではなく、多くの仲間に支えられているということを。
羅刹の犠牲はおそらく表に出ることはないが、それもまた鬼の役割。

「よし、やるか!」
「ほう?本当にやる気か?」

本当に出来るのか?、と鼻で笑った影慶に、フン!と意気込んでペンを取る。
その作業は容易ではなかったが、誰かの為である、ということが羅刹をやる気にさせた。







総代室に羅刹の鼾が響く真夜中、天動宮の主が帰ってきたという知らせを受け、影慶は玄関まで迎えにでた。
玄関を開けると遠くで賑やかな笑い声が微かに聞こえる。
きっと帰りの道中、男塾の敷地から天動宮まで歩いてきた邪鬼にもこの声は聞こえたことだろう。

「おかえりなさませ、邪鬼様」
「出迎え御苦労」

邪鬼が脱いだコートを影慶が受け取りながら、総代室へと足を運ぶ。
その途中通った中庭からはセンクウと赤石の静かな語り草が聞こえた。
総代室の大扉を開けた瞬間、聞こえた羅刹の大きな鼾に邪鬼はフッ、と口端をあげた。

「留守中なにかあったか」
「・・・・・いいえ、別段」

どこからともなく賑やかな声はまだ聞こえてくる。
だが、二人は静かに視線を交わし合い、揃って素知らぬふりをした。











閻魔もたまには知らぬふり