目の前には絹であつらえたそれは見事な衣装がある。

文官や武人が普段着ている衣装とも違うそれは、魏延用にされたものだ。

であるに、この大きな子供はそれに袖を通そうとはしない。


蜀の城に侍女として仕えることになって早二週間。

ここが腕の見せどころだと、は支給された侍女服の袖を捲った。







見えぬ心











は手に持った衣装と魏延を見比べて、大きなため息をついた。

びくりと魏延の身体が震える。なによりもの機嫌を損ねることを怖がるくせに、自分の主張はどうしても曲げられない大きな子供は、通常の何倍も大きな身体を丸めて、ウーと唸ることで自分の意思を主張している。

他の者がその光景を見れば、恐怖に慄きその場から逃げだすだろう。

だがは腰に手を当てて、じろりとその大きな塊を睨みつけるに留まる。






「今日は大切な式典があるんでしょう?そのままの格好じゃ出れないって劉備様に言われたばかりじゃないの」

「我・・・・式・・出ヌ」

「それは駄目。武将様は全員出席と言われているでしょう」

「グヌ・・・我、出ヌ!」

「駄目ったら、ダメ!!!」




バンっと机を叩く音が響き渡る。

それをしたのはか魏延か、部屋の入口に立っている護衛兵が青い顔で部屋の中を伺っているのは本人達は知らぬことだ。




「エンはいい子でしょう?さっさと湯浴みをすませて着替えなきゃ」

「我・・イイ子・・デモ・・・」

「でもじゃないの!ほら、行くわよ!逃げちゃだめだからね!」





グダグダと緩慢な動きをする魏延の腕を掴み、は部屋の扉を開けてもらうよう、護衛兵に頼む。

慌てて扉を開けた護衛兵が見たものは、魏延の大きな右腕を身体全体で引っ張っているの姿だった。









今日は蜀が成って5年目の祝い事が行われる日であった。

日本で言う建国記念日のようなものだ。

盛大に行わる式典は城中に留まらず、民衆が集まる市にも多くの出店や芸人が集まる。

まだまだ歩き出したばかりの国、それだけにこういった式典や政(まつりごと)は他国に蜀の存在を知らしめる大きな意味がある。

各州の要人や各所に任務についている文官・武人などが一堂に会するこの式典にはもちろん魏延も将として出席することが決まっているが、当の本人は乗り気でない。

この式典の全てを魏延の天敵である諸葛亮が仕切っていることもその原因の一つであることを思うと、は頭が痛くなった。

ちなみに多忙な諸葛亮の姿をはまだ一度も見ていない。




「ほら、行くよ」

「ウ”―」


唸る魏延に何事かと侍女や兵が遠巻きに見ている。

だが二人に声を掛ける者など存在しない。誰もが魏延を怖がり見て見ぬ振りだ。

それをいいことに、は廊下の真ん中を堂々と歩く。無論、巨体をひきずって。





「えっと・・・・ああ、ここだ」




足を運んだのは、風呂場・・・ではなく、水場。

中国では水源を川水に頼っている為、付近の川から水路を掘りその水を引いて、大きな掘りに溜めて生活水として使用している。

無論飲み水は井戸から引かれるのだが、洗濯や湯浴みなどはこの水を使用するのだ。





「さて、ほらさっさと済ませなきゃ」


は足元まである長いロングスカートを膝の上で一結びして、じゃぶじゃぶと裸足で水場の中へ入る。

この時代では女性が人前で足や膝を出すことなどまずないのだが、そんなことを知らないはまるで気にしない。

どうせ誰もいないんだしと気にも留めず、水の中から魏延を誘う。



「おいで、エン。洗ってあげる」

「ウガ・・・・・・・・・狡イ」



ぽつりと呟かれた言葉は風に流されて、誰の耳にも届くことはない。

が城にあがってからは、以前のように名で呼ぶことはなく”魏延”や”魏将軍”と呼ぶようになった。

それでも二人きりの時や、甘えたい時、甘えさせたい時などには子供時代と同じように”エン”と呼ぶ。

”エン”と呼ばれた魏延が、もはやに逆らえないのは分かりきったこと。

渋々と魏延は鎧と服を脱ぎ捨て、下帯一枚になって水の中に入っていく。




「はい、しゃがんで」


子供の頃から水浴びが嫌いで、始終の膝の上で抱かれていたものだ。

もうそれが出来ない寂しさを感じつつ、魏延は水場に腰を下ろす。

臍の辺りまで水に浸かると、春とはいえ少し寒い。



「大人しくしてればすぐに終わるんだからね?」

「・・・・」

「返事は!」

「ウガ!」



ピシャン、と水に濡れた背中を叩かれ、勢い良く返事を返す。

魏延とは違い、魏延との再会までの時間が僅かな間だけだったは、まだまだ魏延に対する子供扱いが抜けていない。男としてみられていないのだ。

今だって、魏延が下帯一枚であるのに動じもしない。それが魏延は少し不満だ。




以外触ることのない硬い髪の隙間に、細い指が入っていく。

わしわしと撫でられると気持ちが良く、ついつい欠伸が出そうになる。

それを懸命にこらえていると、ばしゃりと頭のてっぺんから水をかけられた。




「はい、頭は終わり!身体は自分でね?」

「ウガ・・・」




最早逆らう気にもならない。そんないきなり水をぶっかけなくたって。

自分としてはもう少しの指を堪能していたかったのに。





不満に唇を突き出してみるも、はどこ吹く風で、魏延が脱ぎ捨てた服を回収している。

仕方なく自分で身体を洗っていると、どこからか ぴゅーと口笛の音が聞こえた。




「昼間から大胆だな?誘っているのか?」



蜀の国ではあまり見ることのない金髪の髪、普段の武装した姿でないところを見ると彼も水浴びにきたのか。

錦馬超、人呼んで女たらしのご登場である。




「・・・・・・・は?」



あまりに突然のご登場に唖然とするを尻目に、馬超の視線はの足に注がれている。

焼けても傷ついてもいない白い足は、どこぞの姫を思わせ馬超の興味をそそるには十分だった。




「知らん顔だな、新人か?今夜俺の部屋に来ないか。可愛がってやるぞ」


女好きしそうな笑みで、の前ににじり寄ってくる男の言葉に、はもしかしてナンパされてるのかと驚きに目を瞬かせた。

なんせナンパなんて学生の時以来のことだ。それもかなり年下とみえる男に。




「なぁ、返事は・・・」

「ウガ!!馬超、触ルナ!」



思わず固まってしまったの肩に馬超が触れようとしたところで、魏延が慌てての身体を抱えあげた。

途端、ちっ、と舌打ちが聞こえ、魏延は馬超を仮面の下から睨みつける。




「馬超、下ガレ!」

「これはこれは・・・魏延殿の女とは、失礼した」


頭を下げるも、まるで謝る気のない馬超に、魏延は唸る。

一方突然魏延に抱えられて、水に濡れたままの魏延と一緒に水浸しになってしまったはくしゅん、とくしゃみをした。

だが睨み合っている二人にはその音は聞こえない。




「魏延殿にそのような女がいたとは知らなかったな・・・・せっかくの美人が勿体ない」

二触レル!殺ス!!」

「こ、こら、エン、何言ってるの!!」



殺気すら滲ませる二人に慌てるだが、二人はまるで聞く耳を持たない。

諸葛亮以外にも仲が悪い武将がたくさんいるのだろうか、とうろたえるの目の端に、ある人物の姿が映る。

この場面ではまさに救世主。は声を荒げてその人物の名前を叫ぶ。




「超雲様ーーーーー!!!!」

「・・・殿!?それに馬超、お前なにをしている!!」




の声に駆け寄って来たのは超雲だ。だがその姿は礼服で整えられまるでどこぞの王子様のようだ。




「げっ、超雲!」

「馬超、害ス」

「お前は殿にまで手をだそうとしたのか!」




魏延の言葉に一瞬で全てを理解した超雲は、次にのさらされた白い足を見て、ぎくりと視線を逸らす。

とても四十代とは見えない美しい足に、これに誘われたのだなと納得しつつ、に呆れもする。

どうやらは自分が男にどのように見られているのか、理解できていないらしい。

確かに年齢的には既に男の興味の対象となる年ではないが、見かけは妙齢の年頃にしか見えない。

超雲と馬超の視線に気づいたのか、魏延が慌てての足を己の腕で隠す。だが、隠し切れてはいない。





「魏延殿、殿、大変申し訳ない。馬超にはよく言って聞かせる故、ここはご勘弁願いないだろうか?」

「ほら、魏延、もう行こう。早く準備しないと遅れちゃうよ!」

「ウヌ・・・超雲、頼ム」

「了解した」




なにやら文句を言っている馬超を超雲に任せ、魏延はを抱えたまま部屋へと急ぎ足で戻る。

実はまだ下帯一枚なのだが、もう式典まで時間も押し迫っているため廊下には誰もいない。

二人の姿に驚く護衛兵を押しのけ、部屋の中に入っても魏延はを抱きあげたままだった。




「魏延?早く着替えないと・・・」

、肌、見セル、良クナイ」

「・・・え?ああ、でもそれくらい別に――――」

「駄目ダ!!」




現代では普通だ、と言いかけて魏延の気迫に押されて口を噤む。

魏延はの頬を舌でくすぐる。

頬から顎のラインを辿って、白い首筋に吸いつくと、犬歯で柔肌を甘噛みする。

本当は、いつだって欲しいのだ。けれどそれをしないのは、を失いたくないからで。

魏延が雄の欲望を自分に向けていると知れば、大切な笑顔を失うかもしれないから。








「ちょ、え、エン!?」


いつもと違う”ちゅう”に、は魏延を引きはがそうとするも、力の差は歴然。

犬歯は肌に食い込み、チリ、と鋭い痛みが走る。

その痛みにが声を上げて、ようやく魏延は顔を上げた。



「我・・・・行ク」

「う、・・・うん」



あれほど嫌がっていた衣装を素早く見に纏い、魏延は部屋を出て行く。

残されたは、『子供のしたことだから』と自分に言い聞かせ、火照った身体をどうしようかと頭を悩ませなければならなかった。

に魏延の真意はまだ届かない。




































一方、超雲と馬超。



「俺が女口説くのなんぞいつものことだろうが!いつまで説教続けるつもりだ!」

「開き直るな!大体お前殿の年を知っているのか!?全く節操がないにもほどがある!」

「年なんて知るはずないだろうが!今日会ったばかりだぞ!」

「・・・・・ふぅ、なら驚くぞ。聞きたいか?」

「なんだよ。ああ見えて、実はガキなのか?」

「逆だ。・・・俺達の母親でもおかしくない年だぞ」

「はぁ!?おい、まさかあれで四十超えてるのかよ!?あの足だぞ!」

「女人の足を軽々しく見るな!魏延の乳母だった方だぞ!」

「う、乳母ぁ!?まさか、嘘だろ!あの女があの魏延を育てたってのかよ!?」

「本当だ。二人を見ていれば分かる。聞けば魏延殿の幼少の頃の話をして下さるぞ」

「・・・・・・・・・マジかよ」

「マジだ」

「俺は年上趣味じゃないぞ。どう見たって二十代・・・・」

「まぁ、口説いた気持ちはわからんでもない」



項垂れる馬超を慰める超雲の姿がそこにあった。