荒廃した土地もあれば、美しいまま残っている土地もある。

それが誰も名前を知らない土地ならば、胸が躍るのも当然で。



その光景を目にした人々は口々に感嘆の声を漏らした。










絆IF物語。もしもOROCHIの世界に落ちたら5












それは中華でも和でもなかった。

美しく装飾された白い石の柱が規則的に並んだ建物と人の手で手入れされただろう植物。

誰もがそれを目にするや足を止め、会話を止め、ただその風景に見入る。





「まるでギリシャ神殿みたい」



誰もがその風景の美しさを表す言葉を知らない中で、ぽつりとそう呟いた女性がいた。

それに反応したのは巨躯の将で、大口を開けながら子供のように眼を輝かせる。


、あれがなんだか知ってんのか!?」

「似たような建物を見たことがあります。遠い異国の建物じゃないかと」

「ほぅ・・・お前はその土地に行ったことがあるのか?」


言葉を返したのは隻眼の将で、興味深げに女の隣に立つ。


「いいえ、絵で見たことがあるだけです。あの建物は神を祀る神殿だと思います」

「神・・・か。皮肉なものだ。神の居ない世界に神殿だけが招かれたか」

「惇兄!!今日はここで野営といこうぜ!」




弓の名手、夏侯淵は高々と己の弓を掲げる。野営の時は絶好の腕の見せ所だ。

白い柱の中央の開けた広場のような場所に天幕を張ることが決まり、夏侯惇は兵に指示を出す。



、食事の方は任せてもいいか」

「はい、畏まりました夏侯惇様」



夏侯惇の指示には頷いて、もう一度周囲を見回す。

獲物はきっと夏侯淵が捕ってくるだろうから、まず必要なのは飲み水。

人の手による建物はあっても、井戸があるようには見えない。

湧水があるのだろうかと、森の方へ耳を澄ませると微かに水音が聞こえた。



「夏侯惇様、私―――」


森へ行ってきます、と言おうと振り返るともうそこには夏侯惇の姿はなかった。

おそらく軍の最後尾の兵達へ指示を出しに行ったのだろう。

仕方なく近くにいた兵に言付けを頼むと、壺を手に森の中へと進んだ。



















OROCHIの作ったこの世界―――いや、三国の世界でも同じで人の手の届かぬ場所はどこでもみな暗く、どこか不気味だ。

森へ数歩入っただけで、生い茂った木々は陽の光を遮断して森そのものを黒く塗りつぶしてしまう。

陽が届かないせいで、少し湿った地面。けれどそれは近くに水場があることを意味している。

湧水や食物の見つけ方は全て魏延に習ったことだ。

注意深く足元を見つめていると、やがてぶつぶつと地面に小さな穴のようなものが出来ていた。

水源による気泡が蒸発する際に地面に穴を開けたものだ。



「近いかな」



目を閉じて耳を済ませれば、葉の擦れ合う音とともに水音が聞こえる。

音のする方へと足を進ませると、少し木が開けた場所に小さな泉のようなものが現れた。





「きれい・・・水が澄んでいる」




それは本当に小さな泉だった。子供用のプールよりもちょっと大きいかどうか。

地下から絶えず水が湧いているようで、泉の中心からコポコポと音を立てて気泡が水面を波立たせている。



「よいしょっと」



持ってきた壺をゆっくりと水の中に入れる。

この時代にはプラスチックなんてないから、一抱えもある陶器の壺は中身が空でもかなり重い。

しっかりと壺の縁を持って水の中に入れて、いざ持ち上げようと腕に力を込めた。が、



「あ、!」



あまりの重さに壺から手が離れてしまった。

小さな割に水が湧いているだけあって深い泉はあっという間に壺を底へと連れ去る。

慌てて水の中に手を伸ばすものの、届くはずもなく危うく自身もそのまま落ちそうなほど身体が傾いた、その時。






バシャ!!


目を覆ったのは大量の水飛沫。すぐ脇を何か長いものが通った気がするけどよく分からない。

慌てて目を閉じて、水飛沫のシャワーが止むのを待つ。

滝の音のような水音が止み、身体を濡らす水がおさまるのを確認しておそるおそる目を開けた。

すると。



「うぬはなにを望む」



頭から降ってきた声は聞いたこともない低い声。

慌てて振り返って見上げれば、目の前には鉄の鎧で固められた大きな巨体と長い腕。

そして壺。




・・・・・・・・壺?



それは間違いなく先ほどが泉に落とした壺で、それを丸太のように太い腕が軽々と手の平にのせている。

手の平にのせて頭の高さにまで持ち上げているものだから、座り込んでいるから見ると、大きな身体の首の先に壺が付いているように見える。

要するに壺に隠れて顔が見えないわけだけど。要するに壺人間みたいになっているわけで。




「い、泉の妖精さんですか?それとも壺の妖精さんですか?」




思わず出た言葉は一日経ってから反芻して自分を殴りたくなるような言葉でした。















「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

「うぬは頭がおかしいのか?」

「い、いえ・・・・忘れて下さい」






どこのメルヘンチックな子供だ、と自分でも突っ込みたくなった。穴が入ったら入りたい、なんてまさにそんな心境。

呆れたように降ってきたため息は間違いなく妖精なんて可愛いものじゃない。

今、水面に映っているのは年甲斐もなく赤面した自分の顔だろう。



「す、すいません、ありがとうございました」


それを誤魔化すようにお礼を言うと、今度はくっと喉の奥で笑いを堪えるような音が降ってきた。

改めて上を見上げると、かなりの大男だということが分かる。

燃えるような赤い髪が編み込まれ、仰々しい鎧と装甲を腕に付けている。

ちらちらと鎧の隙間から見える肌は見たこともない色で、その異形はどこか魏延を思わせた。



「あの、壺・・・・」


とりあえず返してもらおうと手を伸ばすと、ふっとその壺が横に動く。

それと同時に男の身体が音もせずに横に動いた。



「我は壺の精なのだろう?くくくっ、その我から壺を奪おうなどと殺生なことよ」

「さっ、さっきの言葉は忘れて下さい!」

「うぬの望みはそれではあるまい」

「そんなこと言わないで・・・いい子だから返しなさい」

「ほぅ、我がいい子か」




しまった、と思った瞬間、もう遅かった。

どことなく魏延に似ていると思ったせいで出てしまった子供諭すような言葉。

怒らせてしまったかと慌てて上を見上げると、突然激しい風が巻き起こる。

目も開けないほどの強風に目を閉じた瞬間、ふわっと胃が浮く感覚がして、身体にひんやりと冷たいものが巻きついた。





「な、なに!?」



氷のような冷たさに背筋がぞくりと震える。水に濡れたのとは違う感覚。

風が止み、瞼をそっと開くと目の前に映し出された光景は今まで見たことのないものだった。

視界の全てを覆いそうなほどの一面の青と足元に広がる緑色。

それが空と森なのだと分かるのに数秒を要したのは仕方ないことだ。




「え、ぇええ!?」

「くくくっ、飽きぬ女よ」

「や、あの、え?」



そんな男が自分を抱きあげて、木の上に立っているのだ。文字通り木の本当にてっぺんの先っぽに。

不可能だと思う。何か足場があるのだと思わずにはいられないけれど、それを確かめる為に下を向くことは怖くてできない。

高所に自然と身体が震え、目の前の身体に抱きつく。

身体に感じた冷たさは男の身に纏った鎧の鉄の冷たさ。でもそれだけじゃない。

ようやく見ることの出来た男の顔は、肌と同じ色に化粧が施されている。



「我を恐れぬのに、目の前の景色が怖いか」

「と、いうかあの、どなたでしょう・・・・?」

「人の子が無知は必然。知りたくば闇を覗くことだ」

「は、はぁ・・・・・」





正直よく分からない。分からないけれど、彼が人知を超えた存在だということは分かった。

人、というよりはOROCHI軍の兵士達の容貌に似ている。

彼らは死人が蘇ったものだと聞いたけれど、この人もそうなのだろうか。

首元に抱きついた腕をそっと弛めて、その頬に触れる。

横抱きされて抱きついているから距離はすごく近いけれど、特殊な状況下にいるせいかあまり気にならない。

触れた頬はひやりと冷たく、撫でるとつるりと指が滑った。



「名前、ないんですか?」

「うぬの名は」

です。貴方は?」

「我の名は風と共に在る」



すっと目を細め、男が笑った。その、刹那。

再び激しい風が巻き起こる。

冷たい、なにかが、首に触れた。

途端に、ズキンと痛みが走る。

驚いて、両手を男の首から離して自分の首を抑えて。

目を開くと、







男の姿はそこにはなかった。











!!」



いつの間に地面に降ろされたのだろうか。

頭が働かなくてぼぅっとしている視界の中に夏侯惇が飛び込んでくる。その姿はとても慌てていて。

地面にへたり込んでいた身体を腕を引かれ起こされる。

それでも身体に力が入らなくて、引かれるまま夏侯惇の胸に飛び込む。

触れた身体は温かくて、夏侯惇が生きているのだと感じさせる。でも、じゃあ、あの男は?



「夏侯惇さま・・・・」

、これはどうした?」


目敏く夏侯惇が見つけたのは首に付いた二つの傷痕。

まるで獣に牙を突きたてられたかのように、等感覚に並んだ二つの丸い傷から血が滲み出ている。

眉間にしわを寄せて首元を見つめる隻眼の男に、なんと言っていいか分からずただ黙する。


「悪い虫にでも噛まれたか」

「よ、よくわかりません・・・」



嘘は言ってない。けれど気まずさに顔を上げることが出来ず、夏侯惇の胸に顔を埋める。


「動くなよ」

「え?」


夏侯惇が耳元で囁いた。その声は小さくて、聞き返そうとした瞬間、再び首に痛みが走る。

そしてぬるりと生暖かい感触。

ちゅっと吸われる感覚して、ちくちくとくすぐったい感じがして、それが夏侯惇の唇と鬚のせいだと認識した頃には夏侯惇の身体離れていた。



「あ、あの・・」

「毒虫ならば消毒が必要だからな」

「は、はい」

「行くぞ。急がんと陽が暮れる」

「はい」


そう言うと夏侯惇がの手を取り、強引に歩きだした。

医学が発達していない時代ではこんな治療法もあるんだと、自分を納得させても引きずられながら歩き出す。

時折上空を見上げたけれど、あの濁った空のような肌の色はついに見つけられなかった。

























「くくくっ・・・・毒は時を刻んでから効くものよ」

闇の中に男がいた。

男は風を纏い、その姿は漆黒に溶ける。

その足元には。

空の壺が転がっていた。


















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さてみなさんの予想は当たったでしょうか。次回は総当たり戦に突入します。
魏延にはシード席をご用意しておりますのでご安心を。