うーん、とは腕を組みながら首を捻った。


目の前には乱雑に束ねられた書簡が一つ。












疑惑















が三国志時代にやって来て早いもので一か月が過ぎようとしていた。

その間にがしてきたことと言えば、魏延の食事の世話から家事手伝い。

要するにただの居候である。そしてその間、ほとんと家から出てはいない。




「どうしようかな・・・・・」





を悩ませる原因は、一つの書簡にあった。

これはよりも大人になって再会を果たした子供が今朝忘れていったもので、確か今日忘れてはならないと何度もボヤいていたものだ。




「誰も取りに・・・・来ないよね」




大人になった魏延は武将として城勤めをしているものの、やはり周囲から浮いているようだった。

あまり親しい人間もいないようで、家にも使用人の一人もいない。

これは届けに行った方がいいと思う反面、がこの家を出る決意が出来ないのは、この世界の常識が乏しいと自覚しているせいだ。





魏延の片言は大人になってもあまり変わっていない。

身体も鍛えられ大きくなった。頭も悪くない。けれど口下手だ。やはり語彙が少ない。

そのせいか、この世界の話を聞こうとしても、あまり要領を得ず分かったことと言えば一つ。

簡単に命を奪われる世界であるということ。

例えば時代劇。侍の前を横切ったという理由だけで斬られてしまう平民。

そんな理不尽が通用する世界なのだ。そしてこの時代に水戸黄門も遠山の金さんもいるわけもなく。

いざという時に助けてくれる正義の味方など、現代社会と同じく存在しない。







「うーん、でも、きっと困ってるし・・・・」





嘘がつけないあの子のことだ。きっと言い訳も出来ず困っているに違いない。

本人曰く、魏延は諸葛亮という人に嫌われているらしい。

諸葛亮といえば、歴史に疎いでも知っているあの天才軍師だ。

様々なメディア媒体の影響で日本では最も有名な三国志の偉人と言っても過言ではないだろう。

まぁ、が知っていることといえば、この人が肉まんの元になる食べ物を作ったということぐらいなのだが。





「でもあの子には危ないから外に出るなって言われてるし・・・・」




もし魏延の忘れ物を届けに行って、危ない目に遭遇でもしたらあの子はどんなに悲しむだろう。

それを考えて、書簡に伸び掛けた手が止まる。

どんな理由であれあの子を悲しませたいわけじゃないのだ。




「もう!誰でもいいから取りに来てくれないかな!!」




こういう時部下に慕われている武将ならば、ひとっ走り取りに来てくれたりするに違いない。

部下じゃなくたって、同僚だって友人だって誰でもいい。

誰か城に一人くらい、あの子を助けてくれる人はいないのだろうか。





『魏将軍は孤立している』





思い出すのはあの老人の言葉。私は魏延の孤独を癒やす為に此処へ来たのだ。

そして出来れば、蜀という国での魏延の状況をなんとかしてあげたい。





「ええぃ!!」




迷っていた手が書簡を掴む。

そしていつも魏延を見送っている城への道へ飛び込んだ。

























目の前には堅牢な石の壁があった。

それが城をぐるりと囲んでいて、外からは中が見えないようになっている。

ニュースや観光で見たことのある日本の城とは明らかに違う石の建造物。

そして門らしき場所には手に槍らしきものを持った10人ばかりの兵がずらりと並んでいる。






(無理だ)




直観する。絶対無理。どうやってこの城の中へ入れというのか。

そもそも本当にこの中に魏延がいるという保証すらない。

話かけたら最後、あっさりと槍で刺されそうで怖くて近寄れない。




(ううっ、ごめん、エン。お母さん無理だよ)




心の中で敗北宣言に涙しつつ、怪しまれないようにそろりと後ずさる。

幸い兵はまだ誰もに気付いてはいない。

そろり、そろり、ゆっくりと城から遠ざかろうとしたその時、


「そこの者、城に何か用か」

「ぇ、は、はい!?」



突然投げかけられた言葉には全身飛び上りそうになった。いや、心臓だけはこれでもかというほど飛び上っていたに違いない。

反射的に振り向くと、そこには格式高そうな衣服を身に纏った映画スターかと見間違うくらいの美男子が立っていた。



「あ、あの・・・!」

「城に用があるのではないのか」



恐らくが城の前でウロウロしているのを見ていたのだろう。

馬に跨った青年はの全身を検分し、腕の中の書簡に視線を落とす。




「誰ぞの使いか?」

「は、はい!あの、こ、子供が忘れたものを届けに・・・」

「子供?貴方の子供が城に仕えているのか?」




男は怪訝な顔をした。当然だ。

咄嗟に子供という単語が出てしまったが、魏延は今の時点ではよりも十も年が上なのだ。

外見も中身も二十代半ばのの子供であるはずがない。だが今更撤回できる状況でもない。




「名は?」

「エン・・・・いえ、あの、魏、延と申します」

「魏延殿の・・・母君?貴方が?」

「は、はい。生みの母ではございませんが・・・・」

「それはそうだろうな・・・しかし、乳母にしても若い・・・」




を検分する目が一層険しくなる。

どうしたらいいか分からず、ただ頭を下げるように姿勢を低くすると、ヒィンと馬の鳴き声がした。

どうやら青年が馬から降りたようだ。




「貴方を城に入れることは出来ないが、書簡を預かることは出来る。如何か?」

「あの子に・・・、魏延に渡して頂けますので?」

「・・・・無論そのつもりだ。ただ中身を検分させてもらおう」

それは当然の申し出だった。中身が密書とも限らないのだから。


「諸葛亮様から魏延への書簡と承っております。私が他の方に見せてエンが・・ぁ、いえ魏延がお叱りを受けることがなければよいのですが」

そう言うと、青年は一つ瞬きをし、それから少し表情を和らげて手を差し出した。

「それならば私が検分しても問題はないと思う。私は超雲と申す者。貴方の名は?」

「私はと申します」

か。変わった名だ。やはり魏延殿と同じ異民族の出か?」

「は・・・・はいっ!そうでございます」





異民族、そう聞いてはようやく魏延の謎の一つを知った気がした。

やはり魏延はこの土地でも異端な存在だったようだ。

薄々は気付いていたものの、面を向かって本人にそれを聞けるわけもない。

そしてこの勘違いは都合が良い。

魏延の同じ異民族ということにしておけば、多少の常識の無さも見逃してしてもらえるだろう。




がもう一度深く頭を下げると、超雲と名乗った青年が馬を引いたまま門へと歩いていく。

その姿が見えなくなるまで見送り、はため息をついた。





、未開の地での初めてのお使い、成功しました。




























「魏延殿!おられるか!」





超雲は厩に馬を預けてすぐ、具足もそのままに城の一番端にある魏延の執務室へと向かった。

部屋の前には護衛兵が二人立っていたが、その顔色は優れない。

ガシャン、と執務室の中で音がした。どうやら中で魏延が暴れているらしい。



「魏延殿はどうされたのだ?」

「そ、それが・・・分からぬのです。急に部屋を荒らし始めて―――・・」

「そうか。分かった」


怯える兵の肩を叩き、執務室へ入ると部屋はひどい有様だった。

あちこち書簡が散らばって、中には紐解かれてバラバラになっているものさえある。

その中で魏延がウロウロと獣のように徘徊している。



「魏延殿、探し物はこれか?」


超雲が預かった書簡を魏延の目の前に差し出す。


「ナゼ、超雲、ソレ、持ツ!」

「忘れ物を届けにきたという魏延殿の家人、殿から預かったんだ。」

!?城二、イルノカ!?」

「ああ、まだ門の前にいるかもしれんな。しかし・・・また散らかしたものだ」



元々片付いていない部屋だが、ここまで躊躇なく散らかすことができるのも魏延だけだろう。

片づけようにも魏延には侍女さえ付いていない。皆怖がってすぐに辞めてしまうのだ。

しかたなく部屋の前に立つこちらを恐る恐る覗いている護衛兵に頼もうかと思い、ふと思いついた。




「魏延殿、その書簡は諸葛亮殿の頼まれ物なのだろう。急いで渡して来たほうがいい」

「我、急グ!」

「ああ。それと、殿は間違いなく、魏延殿の家人でよろしいか?」

、我、家族!」

「そうか。ならば殿にここの片付けを手伝ってもらってもよろしいか?許可は私が取っておく。
魏延殿には侍女がおらぬし、きっと殿も書簡が無事渡ったか心配しているだろう」



超雲の言葉に魏延は部屋を見回し、肩を落とした。

どうしたのかと首を傾げると、さっきよりも勢いのない声で魏延が呟く。



「我、散ラカス、、怒ル」


その姿に思わず吹き出しそうになるのを堪える。張飛と並ぶ巨漢が子供のように身を竦めているのだから無理もない。



「魏延殿を叱ることの出来る女人とは貴重な存在だ。やはり呼んでくるとしよう」


とりあえず、魏延に諸葛亮の元へ行くよう促し、自分は君主の元へ向かった。