大きな指が私に触れそうになっては、止まる。

もう何度それを繰り返しているのだろうか。

その度に仮面の下の瞳が哀しげに揺れていることに気付かないはずがない。



どうして、そんな顔をするのか、聞いてみたいけれど私は臆病だから。

微かに感じる拒絶の気配に背を向けて気付かぬ振りをする。










消えぬもの












奇妙な客人が訪れた。

変な服を着た二人の男性。祖父の知り合いらしいが、正直怪しいものだと思う。

にも関わらず家に泊めることを許したのは、妙に胸が騒いだから。

ここで二人を追い出したら、すごく後悔する気がした。どうしてだかわからないけどそんな気がして。




「孔明さん、文長さん、おはようございます」

「おはようございます」

「・・・・・・」




表面上優しい孔明さんとは違い、文長さんはなにも言わない。

言葉が全く通じていないわけではないらしいから、無視されてしまったのだろうか。

どう考えても普通ではない容姿。怖いと思わないのはなぜ?

大きな背中を、腕を、頬を、撫でてあげたくなるのはどうしてなんだろう。





「ご飯出来ましたから、どうぞ」

「ありがとうございます」

「・・・・・・・」



孔明さんは見慣れぬ形の礼をして、食事に手を付けた。彼らの国の風習なのだろうか。

文長さんはしばらくの間手を付けず、やがて小さく口を開いた。



「・・・・・イタダキ・・・マス」

「あ・・・、どうぞ、召し上がれ」



彼が口にした言葉に少し驚いたのは、私だけではなかった。

孔明さんが首を傾げている。


「文長殿、今のはなんです?」

「飯・・・作ル者・・食材二・・・感謝スル・・・・」

「この土地の風習で?」

「ええ、そうです」




文長さんの代わりに私が説明すると、孔明さんは興味深げに何度も頷いた。

どうも流暢に言葉を話す孔明さんの方が日本の文化に疎く、片言で話す文長さんが文化に詳しいらしい。

自然と首を傾げると、その意図が伝わったのか公明さんがちらりと文長さんに視線を送った。





「文長殿はしばらくこの土地で暮らしたことがあるのです」

「・・・そうなんですか?」

「・・ウ”・・・」

「食事が済んだら、私は少し外します。文長殿が殿に話があるそうですので、聞いてあげてくれませんか」

「え、ええ・・・・」

「ウガ!諸・・孔明!」

「悠久の時など我々にはありませんよ、文長殿」







なんだろう、と文長さんを見ると、文長さんは孔明さんを射殺さんばかりに睨んでいた。

けれど孔明さんはどこ吹く風で、気に入ったのか、きゅうりの浅漬けばかりをポリポリと音を立てて食べている。


「文長さんも、とりあえず食べちゃいましょうよ」


箸が止まっている文長さんに声をかけると、彼は唸りながらも渋々頷いた。














「それで、話ってなんでしょう?」

食事が終わりお茶を一杯飲むと、孔明さんは散歩してくると出て行ってしまった。

残された文長さんはまるで親に捨てられた子供のように部屋の角で丸くなっている・・のだけど、身体が大きいだけに全く部屋の隅に収まっていない。

隣に腰掛けてみると、文長さんがいかに大きいかよく分かる。手も、腕も、背中も、今まで出会った誰よりも大きく逞しい。



「・・・・ナンダ・・・・」

「あ、ごめんなさい。文長さん、大きいなぁと思って」



不躾に見過ぎただろうか。とっさに謝ると文長さんは怒っていない、というようにゆるゆると首を横に振った。

そして大きな腕が伸びてきて・・・私の身体を軽く持ち上げてしまう。


「きゃっ!」


下されたのは膝の上。小さな頃父親の膝の上に乗せられたような体格差には苦笑せざるを得ない。


「ムカシ・・・・我・・約束・・シタ」

「え?」

「我・・護ル・・強クナル・・必ズ・・・」

「文長さん・・・?」



悲しげな声に、上を見上げると文長さんは仮面を外した。

強面の顔を歪め、揺れているのは深い瞳の色。

思わず頬に手を伸ばすと、文長さんは私の手の甲をペロリと舐めた。


「ひゃっ!あ、あの・・・」

「・・・・・・・・」



舐めて、歯を立てて、また舐めて。

それは手の平、二の腕、と段々と下りてきて肩に辿り着く。

くすぐったくて、でも嫌な感じはしなくて、不思議な感覚に身を捩って逃げようとすると

ガブリ。

首の付け根を甘噛みされて、背筋にぞくぞくと電流みたいなものが走る。

声にならない悲鳴が漏れて、声を出さなきゃ、と上を向くと今度はそこを舐められた。





「・・・・・・・・・」





呟かれたのは私の名前。



落とされたのは、優しい口付け。




こんなこと、会ったばかりの人に許していいはずがないのに。




心臓が苦しくて苦しくて、眩暈がして、目を閉じる。












「・・・・・・・・・」






耳元に流れ込むのは切なげな音色。





どうしてそんな悲しい声で私を呼ぶの。














獣のような大きな身体が、檻となって私を閉じ込める。

今にも喉元を食いちぎられそうなくらい、恐ろしい容姿なのに、どうしてこんなに優しいの。


ゆっくりと、ゆっくりと繰り返される触れるだけの口付け。














ああ


私は


きっと





この口付けを知っている。

































































「さて、もう良いでしょう、左慈殿」



諸葛亮はなにもない空間を歩いていた。

想像通り、の家を出ると、そこにはなにもなかった。やはり此処は仙人の術で作られた空間なのだ。



「魏延は選択したでしょう。おそらく彼の中で答えは最初から決まっていた」





『では貴公の選択を聞こう』




上か、下か、左か、右か、どこからともなく聞こえる声に、諸葛亮はため息をつく。

そもそも諸葛亮自身は左慈に何一つ問われてはいない。

だが諸葛亮は今何を問われているのか、知っている。諸葛亮自身がその答えに辿り着くことを仙人見越しているのだ。

そしてその問いの答えすらも見越した上で、敢えて諸葛亮自らの口からその答えを導き出そうとしている。



本当に、仙人というのは意地が悪い。




諸葛亮はわずかばかり眉を顰めながら、それでもはっきりと口にした。









「私は魏延を・・・・――――ます」









そして世界は変化する。











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次回、最終話