超雲は早足で門の前に向かった。

一つは共に劉備に忠誠を誓う魏延の為、もう一つは己の好奇心の為に。














好奇心











思った通り、劉備の返事は快いものだった。

元々魏延の孤立を気にかけていた劉備は、魏延に家族と言える存在がいたことを純粋に喜んだ。


「それは是非会いたい」

とまで言った主君と、笑いながら同意した二人の義弟達に超雲は心温まるものを感じる。

臣下一人に対しても深い愛情を注ぐ君主。だからこそ、このお方に仕えようと思ったのだ。





城を出、門の前まで行くと予想通りが一人ぽつんと佇んでいた。

急ぎ傍に寄ると、彼女も気付き姿勢を低く礼を取ろうとした。

それを軽く手で制する。


殿、わが殿の許可が下りました。城へ案内致します」


「え?あの、書簡は・・・・」

「それならば既に魏延殿の手に。実は貴方にお願いしたいことが」


超雲の言葉に、は目を瞬く。

その様子はとても魏延の乳母の年には見えず、超雲は不思議な心地に駆られる。

年齢を聞いてみたい気がするが、いくらなんでも失礼だろう。




「魏延殿があの書簡を探すのに部屋を荒らしまして。それを片付けるのを手伝って頂きたいのです」

「まぁ、あの子が!?それはそれは・・・・・散らかしたでしょうね」


遠い目でぽつりと呟く姿は、母親そのもの。

なにより、泣く子も黙る魏将軍を”あの子”と呼ぶものなど三国見渡しても他にいないに違いない。


「頼めるだろうか?」

「はい、お受け致します」


深く礼をしたに超雲は一つ息を吐いた。

礼節を弁え、言葉遣いもたどたどしいが、平民ならばこんなものだろう。

魏延の乳母、というには若く見えるのが疑問だが、とりあえず怪しいところはない。


(問題は軍師殿がどうみるか・・・・)




ただでさえ魏延に良からぬ思いを抱いている諸葛亮のことだ。

小さな綻びでも目敏く見つけて、責めてくるに違いない。

彼が蜀と君主を護ろうとしていることは誰もが知っている。

だが超雲の目から見ても諸葛亮の魏延嫌いは行き過ぎた感があった。






















早速魏延の執務室に案内すると、予想よりもひどい惨状だったのだろう、がため息を吐いた。



「申し訳ありません・・・・」

詫びる姿は母そのもので、超雲は苦笑しながら簡単に護衛兵にを紹介する。


「この者が入城することは、既に許可を取ってある。何かあったら私に報告するように」

「「はっ!」」


二人の護衛兵は不躾にを見ながら、超雲に対して臣下の礼を取った。


、魏延殿が戻るまでこの場をよろしく頼みます」

「はい!あの、超雲様、どうもありがとうございました」

「いえ、また後で様子を見に来ます」

















さてこの場に残されたは一人大きなため息をついた。

空き巣だってもうちょっとマシに散らかすに違いない。





「とりあえず書簡かしらね・・・・・」




一つ一つ丁寧に拾って一か所にまとめる。

小さな板を紐でつなぎ合わせて作られた日本では木簡と呼ばれる代物は現代人ではまずお目にかかれない。

本当は内容によって整理するのが好ましいのだけれど・・・と、ちらりと書簡に目を走らせる。

すると妙なことに気付いた。




(あれ・・・・私、これ、読める・・・・・)




目の前にはまさに”みみずののたくったような字”が並んでいる。

本来なら読めないはずの字が、何故か読めることに気付いた。

今手にしてあるのは紅の紐で括られた川の治水に関しての書簡。

もしかして、と他の書簡をよく読んでみると、政治は紅、戦は青、市政に関しては緑の紐で簡単に識別されていることに気付いた。




「なんだ、ちゃんと分かりやすいように出来てるじゃないの」



これならば中身をわざわざ紐解く必要もない。

はすぐさま、集めた書簡の色分けを開始する。

青、緑、赤の他に白と黒があるのを見つけ、それぞれを壁沿いの棚に収めていくとあっという間に部屋が片付いた。

これなら後はゴミを片付けて、投げ出された椅子や家具を元通りにするだけでいい。




「あとは・・・・拭き掃除しなきゃね」



部屋は随分と埃が溜まっている。

ここへ連れてきてもらう間幾人もの侍女と思われる人達とすれ違ったから掃除をする人間がいないわけではないだろう。

超雲は門の外に居たをわざわざ許可を取ってまで此処へ連れてきた。

そうでもしなければ、此処を片付ける人間がいないということだ。





魏延の孤立は想像以上に厳しいものだということを実感する。






(どうにかしなきゃ・・・・)





原因の一端が魏延にあることも確かなのだ。

異端の容姿もさることながら、良くも悪くも感情を制御出来ない魏延は集団行動の出来ない子供と同じ。

今の魏延は他の人間から恐れられている。だがそうでない人間もいるのだ。あの超雲という青年のように。





「あの!すいません」


は意を決して扉の前に立っていた護衛兵二人に声を掛ける。

二人はこちらを伺うような顔でこちらを見た。



「何か用か」

「この部屋の掃除をしたいのですが、何か道具はあるのでしょうか?」

「・・・・・少し待て」




返事をした一人の兵が、そう言って何処からか桶と汚れた布を持ってきた。

桶の中には少し水が汲まれている。掃除の基本は国や時代が違っても雑巾がけのようだ。



「ありがとうございます」



超雲にしたのと同じように頭を下げて礼をする。

兵士は「ぁあ」と低く返事をしただけで、すぐに廊下へ消えてしまった。




部屋というのは人の個性そのものを表す。

部屋を綺麗にするだけでもきっと此処を訪れる人間の魏延のへの印象は変わるはずだ。

気合を入れて雑巾を絞っていると、廊下からバタバタと大きな足音がした。






!」

「エン!もう、こんなに散らかしちゃダメじゃないの!」

戻って来たのは予想通りエンだった。顔を出すなり叱られた魏延はウ″−と唸る。

「我、探シ物、シタ」

「部屋を荒らして探し物なんて見つかるはずないでしょう!物は元の場所に戻すってあれほど・・」

、待ツ!」


ここはきっちりお説教しなければと腰に手を当てると、魏延がわたわたと慌てだした。、

「待ちません!大体家に置いてきたとは思わなかったの?大切なものだってあれほど言って――・・」


構わず口を開くと、どこからかくすくすと忍び笑いが聞こえる。

護衛兵だろうかと振り返ると、そこには緑色の衣服を身に纏った三人の男と、超雲が立っていた。



「ああ、すまない。邪魔をするつもりはなかったのだが」

少し眉を下げて言ったのは、優しい表情で私と魏延を交互に見つめる口髭をちょこんと生やした男性。

「超雲の話を聞いた時が耳を疑ったが、これは頼もしい女人だ」

日本ではまずお目にかかれないような立派な鬚を蓄えた2メートルはありそうな長身の男性。

「がははっ!おめぇやるなぁ!うちの母ちゃんみたいだぜ!」

豪快にお腹を抱えて笑う魏延と同じくらい巨漢な男性。



三人とも身なりと品格、そして超雲と護衛兵が後方に下がっていることから見て、かなり高い身分の人間だということが伺える。

ちらりと魏延を見ると、魏延も超雲らと同じように膝をつき臣下の礼を取った。

慌てて魏延の真似をして、も礼と取ろうとすると、それを一番小柄な男性にやんわりと制される。




殿でよろしいかな?私は劉玄徳、横の二人は雲長と翼徳だ」

「おう、おめぇ魏延の母ちゃんだってなぁ!よろしくな!」

「ふむ。先ほどの叱責、見事であった」




「お、恐れ入ります・・・」






なんてことだ。目の前の男がまさかあの劉備とは。

それに関羽といえば三国志の中でも特に人気があり、軍神との字もついている。

そして張飛とくれば桃園の誓いで有名な義兄弟である。




中国の偉人、というとピンとこないが、これが例えば織田信長や徳川家康だったなら。

現代人の誰もが腰を抜かすだろう。それぐらいの人物が今目の前にいるのだ。

現実味があるのかないのか奇妙な感覚の中、はただ平伏した。





「そう畏まらないでくれないか。実は貴方に頼みがあるのだ」

「は、はい。なんでございましょう」

「このまま魏延の侍女を務めてくれないだろうか?魏延にとっても、その方が良いと思うのだが」

「ウガ!?」

「わ、私がですか!?」




劉備はちらりと棚にしまわれた書簡を見た。それは綺麗に整頓されている。

書簡の中身は色別されているが、それに気付くには書簡の中の内容を理解し、把握しなければその法則には気付けない。

これは諸葛亮が暗に魏延を試すためにわざと色別したものだったが、それに気付いたのは魏延でなくだった。

優れた知識を持ち、時に魏延を叱り、諌めることが出来る彼女の存在は大きなものだ。

なにもかも一人で完璧にこなす必要はない。

魏延が一人で半人前ならば、と二人で一人前になったっていい。劉備に義弟がいるように、魏延にも支えが必要なのだ。





「どうだろうか。なに、諸葛亮は私が説得しよう」

「おう、あの頭でっかちは俺がなんとかしてやるからよぉ!」

「ふむ。拙者も協力は惜しまぬ」



三人の言葉には胸が熱くなるのを感じた。

魏延は決して孤独ではなかった。それがただ素直にうれしい。

顔をあげて魏延を見ると、魏延もこちらを伺っていた。

仮面の下の瞳には期待と不安が入り混じっているように見えて。




「私でよろしければ、お受けしたく存じます」

「おお、受けてくれるか!ありがとう、殿」


つい勢いで引き受けてしまったけれど、きっと後悔なんてしない。

それにこれで魏延の孤立を解くきっかけを掴めるかもしれない。






、イッショ!」

「一緒ね、エン」



興奮した魏延の腕が私の身体を掴み、そのまま肩に担ぎあげられる。

劉備たちがその場にいることも忘れ、魏延の頭を撫でてやる。

その光景に張飛が、誰もが気になっていたことを口にした。




、おめぇよ、一体いくつなんだ?」



その質問に、劉備達は無礼な義弟を諌め、魏延とは顔を見合わせた。

実年齢は二十代半ば、けれどそれでは魏延の乳母にはなりえない。

魏延が三十路であることを考えると、少なくとも四十を超えていなければならない計算となる。

考えに考えた末、は口に開く。




「恐れながら超雲様の生みの母となってもおかしくない年齢かと」


にこりと微笑みながら言うと、超雲が目を瞬かせた。

嘘八百だが年齢を堂々をサバを読むのは気が引ける。しかも実年齢より上に。

曖昧な言い方で誤魔化したが、その場の人間にはそれで充分通じたようだ。




「これはお若い・・・・」

「すっげぇな!それじゃ俺らより年上だってのか!」

「ふむ。世とは広いものよ・・・・」



驚きを隠そうともしない三人に、魏延と二人、顔を見合せて笑う。


「なぁなぁ、どうやったらそんなに若く見えるんだ!?」

「若さの秘訣ですか?それは秘密です」


子供のような張飛の言葉をひらりと交わす。すると彼はじゃあ、じゃあ、と質問を重ねる。



「魏延のガキの頃ってどんなだ!?」

「そうですね。なんにでもよく頭を突っ込む子で」

「突っ込む!?突っ込むってなんだよ!?」

「ガァ!、ヤメル!!」

「ふふっ、どうしようかな」

「私も聞かせて欲しいぞ!なぁ、雲長!超雲!」

「あまり苛めるものではありませぬぞ、義兄上」

「魏延殿には悪いが・・・私も聞かせて頂きたいですね」


にとってはついこの間の、そして魏延とっては遠い昔の思い出話は、四人の偉人の興味を大いにそそったらしく、喧騒はしばらくの間止むことがなかった。