雨が、降る。

二人の間に、しとしと、と。











無防備にも程がある














「降られちゃったね」



新選組監察方、は山崎と共に長州勢の内偵に出かけていた。

その帰り、二人を襲ったのは夕立ちのような激しい雨。

ここいらは民家も乏しく二人が駆け込んだのは、看板すら出ていない何かの店だった。





「ここで休んでいけるといいんだけど・・・これ、なんの店だろうね?」




が建物に足を踏み入れると、そこには旅館のような番台があった。

番台には台帳が置かれている。



「もしかして、素泊まり旅館かな?」

さん、誰もいないようです。他を探しましょう」

「でも、この雨だしもう日は暮れてる。他を探すのは無理じゃないかい?」





山崎の言葉に振り返れば、彼は妙に落ち着かない様子だった。



「どうしたんだい、山崎君?」

「い、いえ・・・・なにも・・・・・」

「そう?すいませーん、誰かいませんかー?」







声を張り上げると、奥から一人の老婆が出てきた。

足が不自由なのか、杖を突きながらゆっくりと歩き番台に座る。




「お客さんかい」

枯れた声が響く。


「二人なんだけど・・・・泊れるかい?」

鋭い目つきの老婆にたじろきながらも、は尋ねた。まるで昔噺の鬼婆のような迫力がある老婆だ。


「いいけど、あんたら、男色?」

「は・・・・・?だ、だんしょく!?」

「別にいいけどね・・・じゃ、あそこの奥の部屋、飯はないよ」





ふぉふぉふぉっと笑いながら老婆はまたゆっくりと奥の廊下に姿を消した。

残されたがちらりと山崎を見ると、微妙に頬を赤らめている。



「変なお婆さんだったね。」

さん・・・」



何か言いたそうに口ごもる山崎。

なんだろうと首を傾げつつも、とりあえず部屋に入ろうと草履を脱ぐ。



「行くよ、山崎君」

「・・・・・」



返事はなかった。が、まさかこの状況で一人帰りはしないだろう。

気にせず廊下を進み、奥の部屋の襖を開ける。

と、狭い部屋の中に大きな布団が一組敷かれていた。

部屋がほぼその布団で埋まっている。その上には枕が二つ。




「夫婦用の部屋だったのかな?」



それならば、先ほどの老婆の言葉も頷ける。

はたと人の気配を感じ振り向くと、老婆が手に何かを持って立っていた。


「お婆さん、なんだい?」

「ほれ、これ、使うだろ」


そう言って差し出されたのは、小さな壺のようなもの。

和紙に包まれた壺からは独特の匂いがしている。




「うん?なんだい、これ」

「なんだい、あんた初めてかい」

老婆は皺くちゃの顔でニタリと笑う。

「初めてって?」

「こういう場所に来るのが、さ」

「初めてだけど・・・・」

「じゃあ使い方は連れに聞きな」

老婆はの手に壺を持たせると、カツン、と杖の音を立てながら部屋から出ていった。

それと入れ違いに山崎が入って来たが、と老婆のやりとりを聞いていたのか、妙に落ち着きがない。





さん、それ・・・」

「ああ、山崎君。これ、なんだか分かる?」

「い、いえ・・・・俺には・・・・」

「ふーん。じゃ、とりあえず開けてみよう」

さん!あ、開けない方が・・・・・」

「え?なんで?」

「いえ・・・その・・・・」




どうも先ほどから山崎の様子がおかしい。

まぁいいや、と手の中の壺の蓋を開けると、中には油のようなものが入っていた。




「香油かな・・・?」


なんの匂いだろうか。

女でありながら新選組に隊士として籍を置くは香などには疎い。

けれどとてもいい匂いがするのは分かる。

肌に垂らせば、どんな効果があるのだろうかと手を壺の中に入れてみる。




さん!駄目です!」



香油に指が届く瞬間、山崎がの手を抑え、壺を取り上げた。

その素早さはさすがという他ない。



「や、山崎君!?」

さん、触れましたか!?」

「いや・・・触れてないけど・・・、やっぱりこれなんだか知ってるね?山崎君」

「・・・・・・・、はい」



ようやく観念したのか、山崎はこくりと頷いた。

その様子に憮然とする。ならどうして最初から言わないのか、と。




「で、これはなに?」

いささか不機嫌になりながら、山崎を睨みつける。

「おそらくそれは・・・・媚香ではないかと」

「びこう?」


聞き慣れない言葉だ。首を傾げると、山崎は気まずそうに眼を逸らした。


「その、・・・肌に直接塗ることで効果を発揮する媚薬のようなものです」

「び、媚薬!?え?な、なんで!?」

「おそらくここは元々地獄宿のようなものかと・・・・」

「じ、地獄宿ぉ!?」




地獄宿とは、宿場や賭場代を払わずに運営される違法な売春宿だ。

日に日に規制が厳しくなる京では、地獄宿は出会い茶屋と呼ばれる形式に変わりつつある。

女を連れ込むも良し、一人で来れば女を紹介する。場合によっては陰間でも男色でも構わない。

が、それらは客の意思によって行われるため、いざ役人に突かれても、客を泊めただけだと宿側は主張できるのである。





「山崎君・・・し、知ってて・・・・」

「申し訳ありません」

「なんで、もっと早く言ってくれなかったのさ!!」

「あの場でこのようなことをさんに説明するのは、憚られました」

「そりゃ、そうだけど――――」






ようやく山崎の態度の意味を知り、落ち着いた

けれど、気付く。



目の前には山崎。手首を山崎に抑えられている為、身動きが取れない。

後ろには布団。二人きりの部屋。あけっぱなしの壺からは甘い匂いが漂う。






「や、山崎君」

「なんですか?」

「そろそろ放してくれないかな?手」

「嫌です」

「・・・・え。な、なんで・・・っていうかもしかして怒ってる!?」

「ここに居るのが俺でなければ、どうなってたと思いますか?」




掴まれたの手首に込められる力。

心無しか二人の距離が近く感じるのは気のせいだろうか。



「どうって・・・・別になにも・・・・」

「起こらないわけがないでしょう」

「そ!そんなの!私なんて誰も相手にしないだろう!」





その言葉に山崎は眉間に皺を寄せる。

は知らない。

刀を帯び、男装をしてもその線の細さや肌の柔らかさは隠せない。

土方と同じように後ろに流した髪も、男とは違う手触りや香りがする。

が今まで無事でいられたのは、幹部の鋼の理性と鉄壁の防御の賜物なのだ。






「わかりました」

「な、なにが」

「やはり貴方には実地で教えなければならないようですね」

「じっ、実地って!?何を!?何を!?」

「今からそれを教えてやる」







据わった目で上着を脱ぎ始める山崎。

その手には媚香がしっかりと握られている。

口調から敬語が抜けているのがまた怖い。




「待って・・・・ちょっと待って、山崎君!?」

「待たない」

「謝る!謝るから!」

「俺が年上の男だってことを証明してやろう」

「ご、ごめんなさいってば!ちょ、脱がないで〜〜〜〜」

「観念しろ、








雨の音はなにもかも覆い隠す。

この後どうなったかは、二人しか知らない。