彼の身体が海に沈んでいくのを息も出来ずにただ見ていた。

彼の為に副長を護るのだと、決死の思いで函館の地を駆けた。

副長が銃弾に倒れた時―――私は嗤った。

ようやく死ねる時が来たのだと、私は握っていた刀から手を放し、天に向かって両手を広げた。

弾幕の波は容赦なく私を襲い、そして私もまた、戦地の土と化した。


















「どういうことだろうね、これは」





私は死んだ。そう、確かに故郷より遠い地で、私は死んだはずだった。

それなのにどうしたことだろう。私には血の通った手がある。足がある。



鏡を見る。若い。最期の時、確か二十と九つを数えたくらいだったはずだ。

なのに鏡の中の私はせいぜい十五・六の小娘。ちょうど近藤さんと土方さんに出会った頃の歳だろうか。

着ているのは羽織りにも似た水色の洋装。

これはなにか?答えは簡単。制服だ。ここはどこか?学校だ。手の中にあるものは何か?お気に入りのストラップのついた携帯だ。




薄桜学園一年、それが私の名前だ。



新選組監察方、これも私の名前だ。






知っている。全部知っている。

落ち着け、落ち着こう。おかしいのは制服を着た私じゃない。

記憶の中の水色の羽織をきた私の姿、おかしいのはこちらだ。なぜ、そんな記憶が突然私の頭の中に湧き上がってきた?

どうして古典の土方先生を副長と呼んでいる?

どうして校長先生を局長と呼んでいる?

どうして原田先生や永倉先生や山南先生が同じ水色の羽織を着ている?

どうしてその中に剣道部の連中の顔がある?





私の記憶の中の、『私』は誰だ?





ああ、いけない頭痛がする。頭が痛い。眩暈がする。

私の中の『私』が泣いている。誰かの名前を呼んでいる。

意識がすぅと遠のいて私は地面に倒れこむ。その瞼の裏で、ほら、やっぱり呼んでいる。













どうして『私』は話をしたこともないクラスメイトの保健委員のことを必死で呼んでいる?



























かつて神狼、と呼ばれた。

神の如く身のこなしと狼の如く刀速、壬生の狼の中には神狼がいる、と。

罪に濡れることは怖くはなかった。濡れた分だけ局長や副長が濡れずに済むなら。

血を恐れることはなかった。恐れが招くものこそ死だと知っていたから。


ただ一つ厭うことがあるとしたら、

それは貴方を失うことなのだと、知った時には貴方はもう海の底だった。









もし、再び出会う事が出来るのならば、

その時は貴方が私を愛することがないように、

私が貴方を傷つけることがないように、

それが私の罰なのだから、

貴方を死なせてしまった罪なのだから、

だからせめて傍にいることだけは許して欲しい。

今度こそ貴方を背中を護り抜く、その決意だけは真実(ほんとう)だから。


























「・・・・−−・・−」







泣いて、目が覚めた。

私じゃない『私』の夢を見ていた。

記憶が混ざってうまく整理できない。ここはどこだろう。

屯所?違う、そうじゃない、そうじゃないのに、頭がうまく回らない。





「大丈夫か?」




私の顔を、誰かが覗きこんだ。知ってる。クラスメイトの、山崎烝。保健委員だ。

口ごもって、うまく返事が返せなくて、とりあえず頷いた。

保健委員。彼がここに運んでくれたのだろうか。黒装束を着た、誰かの背中が瞼の裏にちらつく。違う、その人はこの人じゃない。




「熱中症かもしれない。そのまま寝ていてくれ、今、水を持ってくる」



身体を起こそうとした私を制して、保健室の冷蔵庫からペットボトルを持ってきてくれる。

常備してあるのだろう、見慣れたスポーツドリンクを飲めるだけ一気に喉に流し込むと、ようやく少し落ち着いた気がする。



「ありがとう、烝君」



はぁ、っと息を吐きながらお礼を言うと、彼が驚いたように目を見開いた。

それがどうしてだか分らなくて首を傾げて・・・気付く。

『烝君』だなんて話もろくにしたことのない相手になんて馴れ馴れしい。驚くのは当たり前だ。

私じゃない『私』は確かに目の前のこの人じゃない『この人』を名前で呼んでいたけれど。

山崎君とか、山崎、とか色々な呼び方をして、一番『烝君』って呼び方が気に入っていたけれど。

それは私じゃなくて『私』、この人じゃない『この人』のことだ。





「ご、ごめん・・・ええと、間違えた」



取り繕うように謝るけれど手遅れなのは明白で。

彼は戸惑うように私の横に立つと、私の肩を両手で掴んだ。



「だ、誰と間違えた?・・・言ってくれ・・・、いや、言って下さい、さん」

「え、」




今度は私が驚く番だった。切羽詰った声は、私の記憶の欠片を叩いて振動させる。

そう、烝君はいつも礼儀正しくて。呼び捨てにして欲しい、とか敬語は止めて、とか色々言ったけど結局どれも直らなくて。




「嫌・・・だって、言ったのに、・・・・敬語」



口から出たのは問われたこととは全く違う言葉。

涙と共に溢れてくるのは記憶。どんなに私が貴方を愛していたか―――その欠片たち。




「そう・・だな、今はクラスメイトなんだから・・・・



貴方の手が、私の頬を滑る。記憶の欠片ごと私の涙を拭って。

私の言葉に何かを確信したのか、貴方の身体になにもかも包まれる。



「入学式で貴方を見つけて―――けれど貴方はなにも覚えていなかった・・・・」




局長も副長も総長も組長達も、雪村君でさえ覚えていたのに。

どうして貴方だけが覚えていないのだろう。

こんなにも愛おしい貴方をようやく見つけたのに、

ただのクラスメイトでいるしかないなんて、





「ずっとこうしたかった・・・・今も昔も・・・・、もう放さない、離れない―――」






聞こえた声が、記憶の声と重なる。

監察方の山崎烝は最後の最期までなにも言ってくれなかったけれど。

最後の最期まで『私』は何も言えなかったけれど。






「私もずっとずっと君のことが――――      」








言葉は耳に届くよりも早く、彼の唇に飲み込まれる。

記憶の中の『私』はずっとずっと泣いていて。








その感情に呼応するように、頬を流れた涙が彼を濡らした。















そしてまた巡り繰る